聖書律法の概要
ここまでをまとめると、律法との関係がはっきり見えます。
神の主権と永遠 の中に
神の御心の定め の中に
人間の神意が決まって の中に
信者への約束の契約をくださいました。
そして、その約束の中に、愛を持って、信者の正しい生き方や、神の正義と忠実などを示すため、律法をお与えになりました。この主権と律法をつなぐ関係がみえないと律法は無関係に思うクリスチャンもいますが、主権と永遠が分かるとイエスの言葉に目がひかれます。
わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。
— マタイ5:17-18
もっとも重要な戒め
「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
— マタイ22:36-40
どのように「律法全体が、この二つの戒めにかかっているのです」か。見てみましょう。
それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。
「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。――それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」
— 出エジプト記20:1-17
画像にあるように、最初の5つは、「神を愛せ」にかかっています。本当に神を愛するなら、他の神がいなくて、偶像礼拝をしません。また、神の名と安息日を聖なるものとして扱い、神の代行として代理的権威をもつ両親を敬います。同じように、次の5つは「人を愛せ」にかかっています。人を愛するなら、これらの事をしません。神様がモーセに2つの石板にこの戒めを与えたので、時々最初の五つをまとめて律法の第一板と最後の五つをまとめて第二板という風に言う人もいます。
また画像に、「否定形」(するな)の戒めに×をつけて、「肯定形」(せよ)の戒めに〇をつけました。10戒の内4,5つ目以外が否定的に書かれていて、4つ目でも「働いてはならない」と書かれているので、ある意味否定的に書かれている。肯定的な法律は限界がないことに注意が必要。否定的な法律は明確に悪いことを指して、それを禁じるなので、否定的な法律に限度がある。逆に、それ以外の事に自由を与える。否定性によって解放される。
肯定的な法律は人生のすべての領域に適応してしまうので、全体主義の法律になる。義務と責任の関係上、肯定的な法律は犯罪者を守り、正義の人に罰を与える。
十戒を覚えましょう
モーセの律法と新約の適応
御心が主権の中、神意が御心の中、契約が神意の中、約束が契約の中。これと同じように十戒めが最も重要な二つの中、そして十戒の中に他の律法が「判例法」のようにかかっていて、新約聖書で、その適応が見えるパターンになっています。
十戒の「盗んではならない」判例法と適応をいくつか考えてみましょう。
あなたの隣人をしいたげてはならない。かすめてはならない。日雇人の賃金を朝まで、あなたのもとにとどめていてはならない。
— レビ19:13
貧しく困窮している雇い人は、あなたの同胞でも、あなたの地で、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人でも、しいたげてはならない。
— 申命記24:14
その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。
— ルカ10:7
人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。――万軍の主は仰せられる。――すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ。」と万軍の主は仰せられる。
—マラキ3:8-12
永遠の律法
ユダヤ教のラビー達は、モーセの律法に613戒めがあるとされています。その内訳で、否定形は365条あって、肯定形は248条あるとしています。神の律法は私たちの毎日、守ってくださいます。年間365日、一日24時間、週7日、神の主権に従う事を第一とします。
十戒を細かく見ていきますが、その前に律法全体についていくつかのコメントをしたいです。
律法は無効になっていません マタイ5:17~18 ローマ8:2-4
律法、法律は根本的に宗教にかかわるもの(良し悪しを定義するから)
法律の源はその社会の神
法律の変わりは神の変わり
社会の土台としたら、法律と宗教はなくなることはない
人間に対する律法の関係
起訴(有罪の証明)
贖いの根拠(キリストの働き)
聖くなる基準(救われた人間の回復)
聖書の律法は神様による啓示
律法と恵みは対決ではない
ユダヤ教では律法が人間と神の仲介
イエスが本当の仲介者です
聖書の律法は同盟や契約です(契約みたいに2回、石に書かれた)
同じ律法はある人にとって責め、ある人にとって守る
十戒は基本の法律(言えば「憲法」)例えば「盗んではならない」は「所有権」を制定する
律法のほとんどは「判例法」
神の律法の目的は「堕落」からの「返還」
質問
①十戒を暗記してください。
②あなたは十戒の内、どの点において誘惑を感じますか。