聖書 基本知識と道具箱

ポイント① 聖書は信仰者だけに分かる啓示

聖書解釈学に必要なもの

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24:13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。24:14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。24:15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。24:16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。24:17 イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。24:18 クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」24:19 イエスが、「どんな事ですか。」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある預言者でした。24:20 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。24:21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、24:22 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、24:23 イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。24:24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」24:25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。24:26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」24:27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。

24:28 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。24:29 それで、彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから。」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中にはいられた。

.24:30 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。24:31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。24:32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」24:33 すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、24:34 「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた。」と言っていた。24:35 彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。

—ルカ24:13-35



聖い心

心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。 ーーマタイ5:8

※同時に信じない人は聖書の真理を知ることができない。

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり[ました]。--ローマ1:16-22

謙遜でなければならない

へりくだる者を公義に導き、へりくだる者にその道を教えられる。 ーー詩篇25:9

生活に置き換えなければ、聖書のなにも知れない

モーセは、『あなたの父と母を敬え。』また『父や母をののしる者は、死刑に処せられる。』と言っています。それなのに、あなたがたは、もし人が父や母に向かって、私からあなたのために上げられる物は、コルバン(すなわち、ささげ物)になりました、と言えば、その人には、父や母のために、もはや何もさせないようにしています。こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。そして、これと同じようなことを、たくさんしているのです。」ーーマルコ7:10-13

聖書解釈の目的はキリストに似ていく

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きますこれはまさに、御霊なる主の働きによるのです。ーー2コリント3:18

聖書は信仰の家族のもので
信仰の家族によって
信仰の家族の中で
信仰の家族のために
書かれた文庫



ポイント② 聖書は書かれた当時の著者と読者のことをまず考えなければいけない。

聖書はどういう意味ですか?

聖書の意味を正しく理解するためには、いくつかのレベルで考えるべきだと思います。聖書を読む時の当事者、それぞれに対する意味について考えよう。伝言ゲームではないのですが、それぞれの声を意識することによって、聖書のシンフォニーを楽しみ、本当の意味を理解することができます。

聖書を読む時の「声」

  1. ★神様

  2. ☆【内】聖書が聖書を注釈する(特に新約時代人が読んだ旧約聖書の視点)

  3. ☆【内】使徒的著者

  4.  【内】意図的著者(著者のペルソナ)

  5. ☆【内】文のジャンル(説話?歴史?詞?法?預言?)

  6. ☆【内】原文中の説話的語り手(ナレーター)

  7. ☆【内】原文中の説話的キャラクター(その中でも、第1者~第3者など)

  8. ☆【内】原文中の聞き手(ヨブの友人、ヨハネ3章のニコデモなど)

  9.  【外】写本筆写

  10. ☆【内】意図的読者(直接の読者、手紙の宛先)

  11.  【内】初期の読者(直接の読者と同世代が、宛先以外の人)

  12.  【外】原文批評家

  13. ☆【外】翻訳者・翻訳協会

  14. □【外】出版社・アプリ開発者

  15. □【外】読んでいる環境と状態 

  16. ★私 第1の人(また、応答・適応)

  17. 第2の人(また、その応答・適応)

  18. 第3の人(また、その応答・適応)

内・外 原文のテキストに入っているかどうか

☆意識して、思い巡らそう!

□意識して、ミュートをかけよう!(アプリだと章で切れてしまうが、元が切れないよ。受け取れる環境準備しようね)


詩篇で一つの例を考えましょう。詩篇2

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音響の経験ある人はよくわかると思います。これらの声がたくさんある中で、ミュートをかけたい声もあるし、聞きたい声のバランスが正しく設定されないと混乱するし、一つだけ強調すぎるとハウってしまい、重要な声がきこえないようになります。



 

ポイント③ 聖書は無謬で人類すべてに対して権威あるもの。

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聖書の特徴 

  • 権威 聖書は人間の上に権威を持っています。人は聖書を解釈するのではなく、聖書は人を解釈します。

  • 充分 聖書は足りないところがなく、神の、人への完成された啓示であります。

  • 関係性 聖書はいかにも人間に対して関係ある書物です。関係ないということはありません。

  • 明確 聖書は文字の通りの意味で、だれでも聖霊と一緒に読めば分かりやすい文書です。比喩的ではありません。

  • 無謬 聖書は誤りの無い神の言葉です。




聖書の権威に関する宣言

JPCの信仰基準は「旧新約聖書六十六巻が、十全霊感による誤りない神のみことばである」と告白しています。
この告白はJPCの生命線であり、一歩も後退させることはできません。 
この「誤りのない」という言葉が何を意味しているかという点をめぐって多くの論争がなされてきましたが、JPCとして、この「誤りのない」をどう理解しているかを明らかにしたいと思います。 

I 「誤りのない」とは、聖書が神のみことばであり、それが主張しているすべての点で絶対的権威を持っていることを告白した神学的表現である。 

II この「誤りのない」ということは、人間の理性や学問によって検証することができると考えて告白しているものではない。人間理性は、聖書の権威を十分に弁証し、立証し尽くせるものではない。聖書の権威を私たちに究極的に確信させるものは聖霊の内的なあかしである。 

III 「誤りのない」という表現において、聖書の内容を信仰的・教理的領域と歴史的・科学的領域とにあえて分け、その一方の領域においてのみ誤りがないことを主張するという立場をとらない。 

聖書の理解においてこのように二つの領域に分けることはもともと不可能なことである。聖書はその書かれた目的にそって理解されるなら、それが
主張しているすべての事柄において誤りがない。 

IV 「誤りのない」ということが不可謬性(Infallibility)を意味するのか無誤性(Inerrancy)を意味するのかという点は、それらの用語の理解にかかっている。 

ある人たちは不可謬性を「教理や信仰の領域でのみ真理である」と解釈する。もし不可謬性をそのような意味に解するなら、第III項に照らして、その意味での「不可謬性」の使用は適切ではない。ある人たちは無誤性を「誤りがないことが検証されうる」と解釈する。無誤性をそのように解釈するなら、第II項に照らして、その意味での「無誤性」の使用は適切ではない。従ってこれらの用語を使用するときは注意深く定義してから使うようにすべきである。 

V 「誤りのない」という確信と主張は、聖書の正しい解釈を前提とするだけではなく、その解釈と適用への努力をも要請する。 

この確信と主張は、聖書の統一性と真理性に堅く立ち厳密な歴史的・文法的解釈をほどこす責任、さらにその今日的意味をも明らかにする責任を私たちに課するものである。 

もしこの責任をなおざりにし、その努力を怠るなら、「聖書は誤りのない神のことばである」との信仰告白は有名無実になり、空文化するであろう。 

一九八七年二月五日 日本プロテスタント聖書信仰同盟 




ポイント④ 木を見る時、林や森を見て、枝や葉も見る

聖句一つを木とすれば、それの意味をしっかり理解するためには前後の文脈の中にどうフィットしているかを考えて(林)、聖書全体の中にどうフィットしているか(森)、そして言葉の定義についての理解や言葉同士が文の中にどう掛り合っているか(葉や枝)を考えましょう。

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林)勉強法① アウトライン、キーワードなど

 私のカナダの聖書学校の先生が良く使っていた言葉があります。“TEXT without CONtext is PREtext” 文脈を無視した聖句の扱いは理屈にすぎない。前後を分析しなければ、正しい解釈ができません。さぁ、やってみよう。

森)勉強法② 関連箇所

 https://www.chrismichaelmoore.com/takusei-bible/

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葉)勉強法③ 原語で調べる 

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枝)勉強法④ 文法的な分析

聖書の言語、すなわち新約聖書のギリシャ語と、旧約聖書のヘブライ語の勉強についてはまた別の機会にしましょう。興味あれば、聖書言語の解剖をご覧ください。


リーディングプランバイブルガイド pp8, 76

リーディングプラン

バイブルガイド pp8, 76

質問

①聖書は他の本とは、何が違いますか。

②上記の概要の例に従って、別の詩篇の概要を作ってください。

③関連箇所の機能を使って、ヨハネ3:16に関連する箇所を調べてみて、その結果を教えてください。


補足: 「聖典」について

ポイント① 聖書は霊感によるもの

神の御言葉 「霊感」

けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

 ーー2テモテ3:14-17

また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。

—2ペテロ 1:19-21

しかし、私は、力と、主の霊と、公義と、勇気とに満ち、ヤコブにはそのそむきの罪を、イスラエルにはその罪を告げよう。

—ミカ 3:8

これはダビデの最後のことばである。エッサイの子ダビデの告げたことば。高くあげられた者、ヤコブの神に油そそがれた者の告げたことば。イスラエルの麗しい歌。「主の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある

—2サムエル 23:1-2

霊感の意味

θεόπνευστος セオプニュストス Theo (神) + Pneustos (息吹き)。究極的に聖書の著者は神様です!

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新約聖書と旧約聖書が今日の形に出来上がるまでの工程はそれぞれ違います。見てみましょう。

聖書が語る旧約聖書の書き方と編集

さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。モーセはヨシュアに言った。「私たちのために幾人かを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。あす私は神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」…

主はモーセに仰せられた。「このことを記録として、書き物に書きしるし、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。」

—出エジプト 17:8-9, 14

そこでモーセは来て、主のことばと、定めをことごとく民に告げた。すると、民はみな声を一つにして答えて言った。「主の仰せられたことは、みな行ないます。」それで、モーセは主のことばを、ことごとく書きしるした。

—出エジプト24:3-4

今、次の歌を書きしるし、それをイスラエル人に教え、彼らの口にそれを置け。この歌をイスラエル人に対するわたしのあかしとするためである。

モーセは、その日、この歌を書きしるして、イスラエル人に教えた。

モーセが、このみおしえのことばを書物に書き終えたとき、モーセは、主の契約の箱を運ぶレビ人に命じて言った。「このみおしえの書を取り、あなたがたの神、主の契約の箱のそばに置きなさい。その所で、あなたに対するあかしとしなさい。

—申命記31:19,22,24-26

それからヨシュアは、エバル山に、イスラエルの神、主のために、一つの祭壇を築いた。それは、主のしもべモーセがイスラエルの人々に命じたとおりであり、モーセの律法の書にしるされているとおりに、鉄の道具を当てない自然のままの石の祭壇であった。彼らはその上で、主に全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげた。その所で、ヨシュアは、モーセが書いた律法の写しをイスラエルの人々の前で、石の上に書いた。全イスラエルは、その長老たち、つかさたち、さばきつかさたちとともに、それに在留異国人もこの国に生まれた者も同様に、主の契約の箱をかつぐレビ人の祭司たちの前で、箱のこちら側と向こう側とに分かれ、その半分はゲリジム山の前に、あとの半分はエバル山の前に立った。それは、主のしもべモーセが先に命じたように、イスラエルの民を祝福するためであった。それから後、ヨシュアは律法の書にしるされているとおりに、祝福とのろいについての律法のことばを、ことごとく読み上げた。モーセが命じたすべてのことばの中で、ヨシュアがイスラエルの全集会、および女と子どもたち、ならびに彼らの間に来る在留異国人の前で読み上げなかったことばは、一つもなかった。

—ヨシュア 8:30-35

しかし、士師記時代から、ヤハウェに忠実だった人が少数になった。

ヨシュアが民を送り出したので、イスラエル人はそれぞれ地を自分の相続地として占領するために出て行った。民は、ヨシュアの生きている間、また、ヨシュアのあとまで生き残って主がイスラエルに行なわれたすべての大きなわざを見た長老たちの生きている間、主に仕えた。主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。人々は彼を、エフライムの山地、ガアシュ山の北にある彼の相続の地境ティムナテ・ヘレスに葬った。その同世代の者もみな、その先祖のもとに集められたが、彼らのあとに、主を知らず、また、主がイスラエルのためにされたわざも知らないほかの世代が起こった。

—士師記2:6-10

その忠実な残った信仰者は伝達された内容を時代とともにまとめて編集しました。

これは、「アダムの歴史の記録」である。 — 創世記5:1 *「記録」は直訳「巻物」

「ヤシャルの書」 — ヨシュア10:13, 2サムエル1:18

「主の戦いの書」 — 民数記21:14

「イスラエルの王たちの年代記」 — 1列王記 14:19など

「王たちの書の注解」 — 2歴代誌24:27

「次もまたソロモンの箴言であり、ユダの王ヒゼキヤの人々が書き写したものである。」 — 箴言 25:1

「エッサイの子ダビデの祈りは終わった。」 — 詩篇72:20

などなど

ホセア、ゼカリヤなどの時代(紀元前400年代)に今の旧約聖書が今の形となって、そのヘブライ語が死海文書(紀元前200~0年代)の中でも残されています。その内容は当時の国際共通言語であったギリシャ語に訳されました(七十人訳;紀元前200年代の半ば)。

そして、イエス様は旧約聖書の3区分にあたるTNK(タナック=トーラー(モーセ五書)、ナビーム(預言者)、ケットゥビーム(諸書))を聖典としていました。

さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」

— ルカ 24:44

トーラーの最後の節+ナビームの最初の節は、モーセのような預言者が立ち上がり、ヨシュアのような救い主はみ言葉を思い起こし、約束に導いてくれる。ナビームの最後の節+ケットゥビームの最初の節は、エリヤのような預言者が立ち上がり、ダビデのような救い主はみ言葉を思い起こし約束に導いてくださる。申命記 34:10-12、ヨシュア 1:1-9。マラキ4:4-6、詩篇1篇と2篇。旧約聖書の最終編集者たちはイエスが来る希望を持っていました。


新約聖書はいつ書かれた?だれが書いた?

著者

  • マタイ マタイの福音書

  • マルコ マルコの福音書(ペテロ)

  • ルカ ルカの福音書、使徒の働き、ヘブル?

  • ヨハネ ヨハネの福音書、1ヨハネ、2ヨハネ、3ヨハネ、黙示録?

  • パウロ ローマ、1コリント、2コリント、ガラテヤ、エペソ、ピリピ、コロサイ、1テサロニケ、2テサロニケ、1テモテ、2テモテ、テトス、ピレモン、ヘブル?

  • ヤコブ ヤコブ

  • ペテロ マルコの福音書?、1ペテロ、2ペテロ

  • ユダ ユダ

※ マルコの福音書 ペテロが教えたこと、マルコが忠実に書き残したとされています。それを言っていた教父たちはパピアス、イレナエウス、ユスティノス、クレメンスなどあります。

※ ヘブル パウロ的神学、ギリシャ語の表現はルカ的。パウロがローマにいた時の教えをルカが書き残したのでしょうか?

※ 黙示録 福音書を書いたヨハネと同一人物かが問われるのですが、私はそうだと思います。マタイ、マルコ、ルカのオリーブ山の講話をヨハネは別の書物に分けているのかな?

※ パウロの教会に対する手紙と、弟子に対する手紙の表現の仕方が違うことから、リベラル神学者は別の人がパウロと名のって書かれたではないかと言いますが、読者の相手の違い、場面の違いによっては誰もが違う表現するので、パウロが全部書いたことは疑わなくてもいいと思います。


著作年

この27巻はローマ=ユダヤ戦争(67~70)年について、また神殿の破壊(70年)のどちらについても、預言はするが明記はしないことから、70年までにできたと思われます。

  • Before Jerusalem Fell 特に黙示録が70年の前にかかれた事を証明します。

  • Redating the New Testament

    新約聖書が47~68年の間に書き終えた学術的な説明。神学的にリベラル的あやまりもあるが、書かれた時代を表明するにあたっては非常に興味深い。結論を下記の表にまとめてある。その中に外典の教父の書物である、ディダケー、第1クレメンスの手紙、バルナバスの手紙、ヘルマスの牧者もいつ書かれたかが書いてあるので、参考までに。(外典・内典において、これらの正統的なものが外典であることが、異端的であるトーマスなどがなおさら外典であることの話につなげやすい)また、著者についてもこの本によると、伝統的な著者は絶対ないと言い切ることができないことを学術的に証明します。

マタイ 45~59
マルコ 42~45
ルカ  59
ヨハネ 60~70
使徒  62
ローマ 56・57の冬
1コリント 56前半
2コリント 56後半
ガラテア 47~52
エペソ  57~59
ピリピ  57~59
コロサイ 57~59
1テサロニケ 50~52
2テサロニケ 50~52
1テモテ  63か64
2テモテ  64~68
テトス   63か64
ピレモン  57~59
ヘブル   50~70
ヤコブ   62より前
1ペテロ  60~69
2ペテロ  60~69
1ヨハネ 60~100
2ヨハネ 60~100
3ヨハネ 100より前
ユダ   96より前
黙示録  68~70

ポイント② 聖書は固定聖典になっています。

聖典の範囲はいつ、だれが決めた?

上記のルカ24:44から分かることは旧約聖書はすでに聖典として受け入れられていたことは、新約聖書の中でもわかります。さらに新約聖書の中でも、ペテロはパウロの手紙を聖典として受けていたことが分かります。

そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。

— 2ペテロ3:14-16

同じようにパウロが1テモテ5:17-18にルカの福音書10:7を引用します。使徒たちはお互いに書いたことを聖書として認め合っています。だから、聖典は人が決めたのではなく、信仰者たちが認めていたものです。300年代のアタナシオスやニカイア会議に決めたという説は広く主張されますが、それよりずっと前にオリゲネス(185年ごろ~254年ごろ)は「ヨシュア記講話」に新約聖書についてこう言っています。

Matthew first sounded the priestly trumpet in his Gospel; Mark also; Luke and John each played their own priestly trumpets. Even Peter cries out with trumpets in two of his epistles; also James and Jude. In addition, John also sounds the trumpet through his epistles, and Luke, as he describes the Acts of the Apostles. And now that last one comes, the one who said, ‘I think God displays us apostles last’ [1 Cor 4:9], and in fourteen of his epistles, thundering with trumpets, he casts down the walls of Jericho and all the devices of idolatry and dogmas of philosophers, all the way to the foundations.

— オリゲネス『ヨシュア記講話』

パウロの手紙を14と数えるということはオリゲネスはパウロがヘブルを書いたとしています。ヨハネの手紙の数が書かれていないのですが、1~3ヨハネと黙示録で考えるなら、新約聖書の全部を今日と同じ27巻のリストになっています。

学術的な証明にならないのですが、一つ霊的な印

燭台(メノーラー)

燭台(メノーラー)

あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。

ー詩篇119:105

純金で燭台を作りなさい。燭台は打ち出し作りとし、台座と支柱、萼と節と花弁は一体でなければならない。六本の支柱が左右に出るように作り、一方に三本、他方に三本付ける。一本の支柱には三つのアーモンドの花の形をした萼と節と花弁を付け、もう一本の支柱にも三つのアーモンドの花の形をした萼と節と花弁を付ける。燭台から分かれて出ている六本の支柱を同じように作る。燭台の主柱には四つのアーモンドの花の形をした萼と節と花弁を付ける。節は、支柱が対になって出ている所に一つ、その次に支柱が対になって出ている所に一つ、またその次に支柱が対になって出ている所に一つと、燭台の主柱から出ている六本の支柱の付け根の所に作る。これらの節と支柱は主柱と一体でなければならず、燭台全体は一枚の純金の打ち出し作りとする。次に、七個のともし火皿を作り、それを上に載せて光が前方に届くようにする。また、芯切り鋏と火皿を純金で作る。燭台とこれらすべての祭具とを重さ一キカルの純金で作る。あなたはこの山で示された作り方に従い、注意して作りなさい。

ー出エジプト25:31-40

右の3本の支柱と中の支柱にある装飾物は

 3本
×3アーモンド
×3装飾物(萼と節と花弁)
+
 1本
×4アーモンド
×3装飾物(萼と節と花弁)
=39装飾物、旧約聖書の巻と同じ数です。

また左の3本にある装飾物は3x3x3=27 新約聖書の巻と同じ数です。

全部合わせてメノーラーは66装飾物があり、聖書の巻の数と同じ数字です。

外典について、聖典に含まれなかったものは何?何でこのものも聖書じゃない?

外典の種類はいくつかあります。

  • トーマスの福音書など使徒の名に乗って、勝手に書かれた「偽書」

  • 旧約と新約の間の400年間にかかれたユダヤ人の歴史を語るマカバイ書など(カトリックの「二次聖典」)

  • 聖書が引用する神話的な物語(1エノクなど)

  • 教父たちの手紙(1クレメンスなど)

  • 新約時代の神話的な物語(ヘルマスの牧者など)

  • 異端(特にグノーシス派)の資料

など

これらの資料は信仰者に聖典として認めなかったし、現在に残るものを仮に読んでみても、聖書との差が明らかです。

「固定聖典」の意味

固定聖典とは、聖書は完成されていることを意味します。新しい聖書の書は来ない、今あるものは再構成されたり、足したりすることはありません。原文においては神様がお与えになった御言葉を充分です。

ポイント③ 聖書は正確に今日に至って伝達されました。

旧約聖書の主な写本

  • 死海文書

  • アレッポ写本(作成930年、発見1947年)アレッポ写本公式ホームページ、一部損失

  • レニングラード写本(作成1008年、1863年より博物館に保管)もっとも古い全体、電子版レニングラード写本

  • 七十人訳 ギリシャ語に訳された(紀元前250年ごろ)七十人訳の写本は紀元前のものも残っています。

*反ユダヤ主義の迫害により、ヘブライ語の1000年より古いものは多く失っていますが、死海文書や七十人訳、ユダヤ教の古い注釈文書などを用いて、レニングラード写本が忠実に伝達されたことが証明できます。

新約聖書の主な写本

新約聖書の異形

① 一例 マルコ1:1 [神の]子?

  聖書写本の内、古いもので、信頼性の高いものの中でも、異形が見れる件を一つ取り挙げましょう。マルコ1:1は「Ἀρχὴ τοῦ εὐαγγελίου Ἰησοῦ Χριστοῦ Υἱοῦ Θεοῦ.」(Ἀρχὴ「~のはじめ」 τοῦ「冠詞」 εὐαγγελίου「~の福音」 Ἰησοῦ「イエス」 Χριστοῦ「キリスト」 Υἱοῦ「~の子」 Θεοῦ「神」.)ですが、写本だと、全部大文字で書いて、空白とパンクチュエーションマークがなく、また神についての言葉がよく出るゆえに、下のように書かれている。(ヴァチカナス写本)

しかし、シナイ写本と比較した時、「神の子」が抜けています。

でも、よく見ると、下記写しの間違いを直すために、書きこんであります。

これについてどう思いますか?このことからして、リベラル学者は、一番最初のマルコの福音書では、イエスが神でなく、三位一体を信じていなかったではないかと問います。決してそのことはありません。マルコの福音書の中にイエスを神の子と表す箇所は他にもいっぱいあります。

シナイ写本のアップ

シナイ写本のアップ

ブロックとして存在する異形は二つしかありません。マルコの終わりと、ヨハネ7:53-8:11。節ごとのレベルは数少ないです。言葉のレベルではたくさんあります。しかし、どのレベルのものでも、神学がガラッと変わる内容が一つもなく、キリスト教の神学的な内容はこれらにかかっているものはありません。

旧約聖書の異形

旧約聖書も異形が存在しますが、新約聖書ほど写本が残っていません。それは多くの理由がありますが、写本が少ないから異形も少ないです。特に研究が進めているのは、アレッポ写本とレニングラード写本の比較や、死海文書と七十人訳との比較。

ちなみに本題から外れますが、一部の異形は、旧約聖書のヘブライ語に組み込まれています。その時に、ケティブ(書かれた文字)とケレ(読む意味)と呼ばれていますが、日本語で、漢字に当て字の読み方をつけるようなものと考えられます。例えば:「奇跡の地球」=「きせきのほし」だったら、「地球」がケティブで、「星」がケレになります。詩篇100:3のケレを用いて訳された新改訳だと「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」しかし、文書に残されているケティブでは「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。[私たちは自分で自分を創造していない。(私たちは)]主のもの、主の民、その牧場の羊である。」

情報の保存度、信頼性を考えましょう:電子データのバックアップと比較

① 複数のコピー(多いほど良い)

② 地理的に分散(遠いほど良い)

③ 誤りが分かるチェックビットのある形式(聖典の言語の文法的一致、注釈書の引用、他の言語の訳文)

聖書はこの3つともそろっています。

まとめ:大事なポイント!

① 聖書は霊感によって与えられて、神様のみ言葉そのもので、人が霊感を受けて書き記し、人が霊感を受けて編集しました。現在の形になったのは70年より前と思われます。

② 聖典は固定されています。旧約聖書の39巻と新約聖書の27巻で構成されています。人が決めたのではなく、信仰者が認めました。それ以外のものは外典で、聖典は完成されています。新しいものが出てくること(たとえば、コーランやモルモン書)は決して聖典ではありません。

③ 信頼性の高い方法で伝達されていて、原文は何だったかについて、強い確信が持てます。異形があるにしても、神学を左右するほどのものが一つもありません。

参考

① Canon Revisited: Establishing the Origins and Authority of the New Testament Books

 新約聖書の聖典がどのようにできたか、そしてその原点と権威、内典と外典についても細かく説明してあります。

② Introduction to the Hebrew Bible - Tim Mackie

③ Dan Wallace lecture https://www.youtube.com/watch?v=zZ5cgQUJnrI&t=6883s


福音書

ポイント① 四つの福音書の違いとは?

4つの生き物 エゼキエル1:5-14、エゼキエル10:9-14、黙示録4:6-11

マタイ 取税人、ユダヤ人へ、王でいるメッシア、弟子を育つため(ディダケー)、預言を実現するため

マルコ ペテロの弟子、ユダヤ人へ、苦しんだ僕、「どのように」を仕える

ルカ 医者、ローマ人へ、人の子でいる人間になった、癒しの奇跡と歴史を詳しく(使徒につづく)

ヨハネ 雷の子と愛された弟子、マリヤの面倒、エペソへ、ギリシャ人と女性の話、すべてを作り感情豊かな神

※ マタイの福音書はヘブライ語(アラム語)から訳されたかもしれない?その逆?

They have the Gospel according to Matthew in its entirety in Hebrew. For it is clear that they still preserve this, in the Hebrew alphabet, as it was originally written.

— Epiphanius of Salamis, Panarion 29.9.4

※ マルコの福音書はペテロの説教を聞いたマルコが書き残したからして、ペテロの視点からの福音と言われる。

15. “This also the presbyter said: Mark, having become the interpreter of Peter, wrote down accurately, though not in order, whatsoever he remembered of the things said or done by Christ. For he neither heard the Lord nor followed him, but afterward, as I said, he followed Peter, who adapted his teaching to the needs of his hearers, but with no intention of giving a connected account of the Lord’s discourses, so that Mark committed no error while he thus wrote some things as he remembered them. For he was careful of one thing, not to omit any of the things which he had heard, and not to state any of them falsely.” These things are related by Papias concerning Mark.

エウセビオス(263年ごろ~339年5月30日)『教会史』

※ ルカはルカと使徒の働きを書いて、その2書をセットと考えたらいい。

※ このヨハネが他に1~3の手紙と黙示録の著者とされています。でもヨハネは人気の名前ので、他にヨハネはたくさんあります。(例:バプテスマのヨハネは別人物)

ポイント② 福音書の信頼性について

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① 外部の証拠ある

② 直後に書かれている

③ 正確に伝達

④ 嘘を付ける裏付けができない

福音の共通部分のミステリー???

Synoptics 同視点の福音書

Synoptics 同視点の福音書

同視点福音書の裏にはなくなっているQ原文があるのでしょうか?

個人的意見:エルサレム教会にいた三人は同じ教えを受けていたので、文書がなかったにしても、エルサレム教会によく取り上げられた説教・教えの内容が共通しているかもしれません。もっと言うと、三人とも、本当にイエス様と一緒に歩みました。現代のQ原文説の裏には、その三つの著者が直接いたわけではなく、当時の時代から離れたコミュニティーが書いたというリベラル前提があります。

ポイント③ 福音調和 ~表現の違いを説明できますか?~

 福音調和とは、この四つの証言を横に並べた時、表面的な矛盾が見受けられます。この表面的矛盾を説明することを調和と言います。4つの福音書とも、歴史的記録を述べているのではなく、福音のメッセージを忠実に伝えようとしています。しかしながら、同時に、地理的な表現、時間の表現、でてくる歴史的人物はすべて、本当に存在したもので、忠実にイエスのメッセージがその中にあります。表面的矛盾の調和の例をいくつかあげましょう。

福音調和の例

ヤイロの娘はまだ生きていたか?

イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」

—マタイ9:18

すると、会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、イエスを見て、その足もとにひれ伏し、いっしょうけんめい願ってこう言った。「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。娘が直って、助かるようにしてください。」

—マルコ5:22-23

さて、イエスが帰られると、群衆は喜んで迎えた。みなイエスを待ちわびていたからである。するとそこに、ヤイロという人が来た。この人は会堂管理者であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。彼には十二歳ぐらいのひとり娘がいて、死にかけていたのである。イエスがお出かけになると、群衆がみもとに押し迫って来た。

—ルカ8:40-42

 マタイでは会った時はすでに死んでいます。マルコとルカでは死にかけています。

 しかし、マルコとルカの続きをみると、家に向かう途中で、人が来て、死んだことを知らせます。だれでも、同じ話を別の人、別の時に伝えると、詳細をどこまで伝えるかを考えます。この現象を「伸縮」と言います。多くの場合、話の伸縮でこのような違いが説明できます。また、もう一つ重要なことは、この違いに神学的な重点がかかっていることはありません。

杖をもつか?

また、彼らにこう命じられた。「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻きに金も持って行ってはいけません。くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。」

—マルコ6:8-9

イエスは、こう言われた。「旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません

—ルカ9:3

胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。

—マタイ10:9-10

 マルコは一本を持って大丈夫です。ルカとマタイは持たずに行きなさいと言われた。

 福音書はギリシャ語で書かれました。しかしながら、イエスと弟子たちが実際に使っていた言語はアラム語とされています。ギリシャ語に「愛」の言葉が複数あるけど、杖の言葉の意味の範囲が広いですが、アラム語で一本、歩く助けになるような「杖」はもってよくて、泥棒や野獣を追い払うような多きいな「杖」はもってたらいけないという説があります。当時の文化と言葉によって、その文脈から遠く離れた現代人の私達にとっての矛盾は矛盾じゃないこともあります。もう一つの調和説では、持っているなら許されたが、わざわざ一本を買いに行かなくても良いという意味だったと言われています。

 どちらにしても、この点においても神学的な重点がかかっていません。

報告したかな?

そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った

—マタイ28:8

女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

—マルコ16:8

 マタイでは報告しました。マルコでは言わなかった。

 伸縮の話として、最初に恐れて言わなかったが、落ち着いたら報告しに行ったと調和できます。

何人?

彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。

—マルコ10:46

イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。

—ルカ18:35

すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」

—マタイ20:30

 マルコとルカは一人の盲人がいたと言っています。マタイは二人がいたと言っています。

 まず、違う出来事ということも言えますが、同じ出来事とすれば、一人と言った人はもっといたとは限りません。すなわち、少なくとも一人はいたと調和できます。例えば、マルコとルカはベルテマイの知り合いだったので、彼の癒しについて書きましたが、マタイは二人目のことも知り合いだったので二人がいたと言っている可能性があります。

天使?人間?一人?二人?

すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。

—マタイ28:5

それで、墓の中にはいったところ、真白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。

—マルコ16:5-6

そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。

—ルカ24:4

しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」

—ヨハネ20:11-13

 人数のことは前のものと同じ、二人がいるなら、当然一人がいました。また、天使が人間として現れた出来事は聖書のあらゆるところにあります。例えば、創世記18:1-2; 19:1、創世記32:22-32;ホセア12:4、ヨシュア5:13-15、士師記13:9-10など


参考

Harmony :  https://www.blueletterbible.org/study/harmony/

Inerrency in scripture : https://bible.org/seriespage/12-are-there-contradictions-gospels 

Harmonized Chronology of the Gospels: https://aschmann.net/BibleChronology/ChronologyOfTheFourGospels.pdf


リーディングプランバイブルガイド pp78-98

リーディングプラン

バイブルガイド pp78-98

質問

①福音調和表をチームで完成しよう。

②調和している時、出て来た外見上の矛盾ありましたか。その説明について考えて教えてください。


使徒の働き

1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」

1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。1:10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。1:11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

―使徒1:6-11

 使徒の働きから学ぶこと: 教会はどのように、複数の環境の中で、変わる時代と文化に対応し、成長し拡大しました。また、福音書がイエスの生涯を語っているように、使徒の働きは今日にいたる聖霊の奉仕について述べています。大きく分けて3つの段階:①エルサレム、②ユダヤとサマリア全土(アンテオケまで)、③地の果てまで。。。

また、福音の主なターゲットにも3つに分けれる:

 ①ユダヤ人(アラム語圏)(1~10章)

 ②ギリシャ語圏(①11~20章)

 ③ラテン語圏(21章~)

ポイント① 1~10章は旧約聖書を理解したユダヤ人(アラム語文化圏)中心に

この区分に出てくる説教は、旧約聖書が分かる人を相手にしています。読んでみよう。2:14~41、3:12~26、4:8~12, 24~31、7:2~53、10:34-48

1~8章 エルサレム

 イエスの昇天と力の約束。。。

 新しい使徒と屋上の部屋の祈り。。。

 ペンテコステと奇跡、ペテロの説教と初代教会の様子。。。

 アナニヤとサッピラ。。。

 執事の選択。。。

 ステパノ。。。

 ピリポの旅。。。

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8~12章 アンテオケ

 迫害によって散らばって、行くところどころに福音を伝えます。。。

 サウロの迫害と改心。。。

 コルネリオは福音を受けて、異邦人への伝道が開かれる。。。

 迫害がさらに。。。

ポイント② 11~20章は神話と哲学で有名なギリシャ語圏を中心に

西に進むと段々パウロのメッセージが旧約聖書いっぱいのユダヤ人向けの説教が続く(内容が書かれていないのがほとんど)けど、それに加えて異邦人であるギリシア語を喋る人が多くなっていくにつれ、その場所の文化に合わせてイエスを伝える。読んでみよう。13:16~48、14:8~18、17:22~31

また、1~10章の動きと比べて、教会は形になってきていて、パウロは各地に宣教活動と共に、弟子を育ってリーダーを建て上げていきます。

13~28章 宣教旅

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パウロの第一宣教旅行

47~49年 使徒の働き13:1~14:28

メンバー パウロ、バルナバ、ヨハネ・マルコ

距離 2,253km

① サウロの名前がパウロになる。パウロは使命を受ける。異邦人に福音を届く。

② マルコが途中でやめて、エルサレムに行く。

③ 迫害が相次ぐ。

④ パウロは教会の監督をたてる。

⑤ エルサレムの会議(15:1~35)

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パウロの第二宣教旅行

49~51年 使徒の働き15:36~18:22

メンバー パウロ、シラス、テモテ、プリシラ、アキラ、ルカ

距離 4,506km

① パウロとバルナバはマルコのことで別れる。バルナバとマルコが別の旅にでます。

② パウロとシラスが歌って解放の話、べレア、マーズ丘の説教など、福音が進みます。

③ 迫害も相次ぐ。

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パウロの第三宣教旅行

52~57年 使徒の働き18:23~21:16

メンバー パウロ、テモテ、ルカ、その他

距離 4,345km

① エペソの奉仕など、教会を強める。

② エルサレムに向かうが、そこでローマに捕まる預言される。

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ポイント③ 21章~は政権を持つラテン語圏へ

パウロの法定的な戦いが始まる。その論点とは、復活が本当にあるかどうか。24:10~21、26:1~29

ローマへ

57~62年 使徒の働き21:17~28:31

メンバー パウロ、ルカ、その他

距離 3,621km

① パウロが捕まえられる。

② ローマへ連れていかれる中、船がマルタ島の近くで事故にあう。蛇に噛まれるが、害がありません。

③ ローマで牢中、奉仕し続ける。


まとめ 「使徒の働き」でもあるが、「聖霊の働き」と言って良いでしょう

私たちに託されている使命

 パウロがスペインに行って、福音を伝えたかったのです。それは当時の「地の果て」でした。結局、ローマに行って、牢屋の中で福音を伝えて、その先まで行けませんでした。使徒の働き1:8の「地の果てまで、証人となる」ことは私たちにとって成し遂げなければいけない使命なのです。

参考

  • サミルチャーチの孫先生が拓成のために訳してくれた本(4冊)があるので、是非参加にしてほしいと思います。

  • その後、AD70年、「使徒の働き29章 」、「2000 Years of Christ’s Power: Volume 1, Volume 2, Volume 3, Volume 4, Volume 5」


リーディングプランバイブルガイド pp102-110

リーディングプラン

バイブルガイド pp102-110

質問

①この背景を認識しながら、使徒の働きを一度読んでみよう。

②使徒2:14~41、10:34-48、17:22-31の三つの説教を比較して、その違いについて述べてください。


教会への手紙

この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。

—エペソ3:8-9 


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ローマ

  • 著者 パウロ

  • 著作年 57年前半



概要

  1. 挨拶 1:1-17

  2. 福音 

    - 罪によって神から離れている 1:18-3:20

    - イエスが神と和解させてくれた 3:21-5:21

    - 聖霊によって罪人から神の子に変えられる 6-8

    - 救いの計画によって、神へ栄光が返される 9-11

  3. 福音に対する応答(適応・習慣) 12-15

  4. ローマのクリスチャンのために具体的な挨拶 16

 

有名なテーマ 

まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです

-- ローマ1:8-17

 

私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。ただ私が所々、かなり大胆に書いたのは、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうためでした。それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。キリストは、ことばと行ないにより、また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。

-- ローマ15:14-19

 

ローマの道 (Roman Road)

3:10 義人はいない。ひとりもいない。

3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、

6:23 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。

5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

10:13 主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。

 

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コリントの手紙

 

1コリント

  • 著者 パウロ

  • 著作年 55年春

 

概要

1. 挨拶と励み 1:1-9

2. 未熟さを指摘 1:10-6:20

 - リーダーシップに反対すること 1:10-4:21

 - 性的な罪に対する軽さ、法的な訴えあい 5-6

3. 前の手紙に触れた課題をより具体的 7-10

 - 結婚、離婚など 7

 - 偶像礼拝に使われた肉を食べる事 8-10

4. もう少し順序へ

 - 頭の飾りと権威について 11:1-16

 - 聖餐式 11:17-34

 - 霊的な賜物 12-14

 - 復活について 15

 - お互いの挨拶について 16

 

有名なテーマ

教会生活について

悔い改めの実

賜物

どの霊的な賜物に勝る愛

聖餐式 11:23-26...

愛 13

 

2コリント

  • 著者 パウロ

  • 著作年 56年前半

 

概要

1. パウロとコリントの教会の和解 1-2

2. パウロの使徒としての働き 3-6

3. パウロの信頼と喜び 7

4. エルサレムへの献金 8-9

5. パウロの使徒としての権威 10-13

 

有名なテーマ

私たちの関係は大丈夫だよ

来てないのは、来たくない来たくないという事ではなく来れてないなだけ

エルサレムへサポートし続けてね

私の手紙の強さと実際にあうとの差について

 天国の幻 12:1-10

 

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ガラテヤ

  •  著者 パウロ

  • 著作年 56年後半

 

概要

1. ガラテヤで福音の誤解 1:1-10

2. 律法対恵みの対決 1:11-2:21

3. 信仰による救い、働きによる救い 3

4. 奴隷と、子でいる相続人 4

5. 肉体の欲望(罪)、御霊の実 5

6. クリスチャンのコミュニティのあるべき姿 6

 

有名なテーマ

ミニローマ書

 律法に戻そうとすることについて

自由だ!罪や律法から自由だ!

 御霊の実


私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

-- ガラテヤ5:16-25

 

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エペソ 

  • 著者 パウロ

  • 著作年 58年夏後半

 

概要

1. キリストによる使命 1-3

 - キリストによるアイデンティティ 1

 - キリストによる恵み 2:1-10

 - キリストによる平安 2:11-22

 - パウロの使命 3:1-13

 - パウロの祈り 2:14-21

2. キリストによる歩み 4-6

 - 一致の歩み 4:1-16

 - この世と違った歩み 4:17-31

 - 注意深い歩み 5:1-21

 - 愛の歩み 5:22-6:9

 - 歩めない時は、立つ 6:10-24

 

有名なテーマ

恵み 2:8-9; 4:25-32

平安 2:14; 4:3

愛 2:4; 1:15; 3:17; 5:2

 4:1「使命に相応しく歩みなさい」

 神の防具

 

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。

-- エペソ6:10-20

 

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ピリピ

  •  著者 パウロ

  • 著作年 58年春

 

概要

1. 喜べ!キリストは命です 1

2. 喜べ!キリストは模範です 2

3. 喜べ!キリストは栄光です 3

4. 喜べ!キリストは力です 4

 

有名なテーマ

どの聖書の書物よりも喜びについて語る!

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。私のことを心配してくれるあなたがたの心が、今ついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜んでいます。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです

-- ピリピ4:4-13

残りの概要につきまして、宿題になります。

参考 See my prezi


リーディングプランバイブルガイド pp112-116

リーディングプラン

バイブルガイド pp112-116

質問

①コロサイ、1テサロニケ、2テサロニケの概要を作って提出してください。


 弟子への手紙

著者別

  • パウロ テモテ(1&2)、テトス、ピレモン、ヘブル※

  • ヤコブ

  • ペテロ (1&2)

  • ヨハネ (1~3)

  • ユダ

 ※ヘブルについてはパウロが著者だったことは紀元後300年ぐらいから問われましたが、その中でもパウロは元々ヘブライ語で書いて、ルカがそれをギリシャ語に訳した説も有効的であり、どちらにしてもパウロの思想が含まれていることが明確です。

パウロの手紙 

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第一テモテ

著作年 55年秋

 

テモテがエペソの教会の牧者だった時に書かれていた、リーダーのため

エペソ書の「Why?」「What?」に対しての「How?」

 

概要

1. しっかりした教え 律法と恵み 1

2. 敬虔と真実な生き方 2~3

 - 祈り 2:1-8

 - 結婚生活 2:9-15

 - 監督 (牧者) 3:1-17

 - 執事 (サポートする人) 3:8-13

3. パウロの教え全体のまとめ 3:14-4:5

4. 教会のリーダー 4:6-6:21

 - リーダーとは 4:6-16

 - コミュニティとは 5:1-6:2

 -- 女性へ 5:3~16

 -- 社会人へ 6:1~2

 -- お金持ちへ 6:6~6:19

 

私は、近いうちにあなたのところに行きたいと思いながらも、この手紙を書いています。それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。神のことばと祈りとによって、聖められるからです。

-- 1テモテ3:14-4:5

 

第二テモテ

著作年 58年秋

 

弟子に最後に残す言葉: 

①福音のために戦って、守ってください

②義を求め続ける

③しっかりした教えに立つ

④み言葉を語る

 

概要

1. 福音を守り、保つ 1

2. 福音のためにたたき、苦しむ 2:1-13

3. 敬虔を求める 2:14-16

4. しっかりした教えに立つ 3

5. み言葉を語る!

 

クレタ島

クレタ島

テトス

著作年 57年春後半

 

クレタ島に必要のは従順と文化を覆す教会を開拓するように

 

概要

1. 文化を覆すリーダーの任務 1

2. 文化を覆す教会のあるべき姿 2:1-10

3. 文化を覆す教会の存在目的2:11-3:15

 

私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。

-- テトス3:3-8

 

ピレモン

著作年 58年夏

 

オネシモはピレモンの奴隷で、逃げました。

ピレモンはコロサイで、パウロと出会い救われ、の教会のリーダーになった(ピレモン2、コロサイ4:17)

その後パウロはオネシモと出会い、福音を伝えて、オネシモが弟子になり、パウロの助けをする。

パウロがコロサイに手紙を送るとき、オネシモが持って行った。

逃げた奴隷は死刑を受けるべきだが、パウロが許すように願う。

奴隷としてではなく、兄弟として受け入れてくださいって。

 

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ヘブル

著作年 67年

 

旧約聖書から見て、イエスこそキリスト、そして、イエスの本質について。

天使より優れた王、モーゼより優れた神の子、ヨシュアより優れた救い主、アーロンより優れた祭司

 信仰への勧め 11

 

ヤコブ

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著作年 47~48年

 

概要

1. 難しい状況においても 1:1-20

2. 誠の宗教とは 1:21-27

3. 神の好意と裁き 2:1-13

4. 信仰と働き 2:14-26

5. 教師と舌について 3

6. 神への服従 4:1-5:6

7. 強さと期待 5:7-20

 

 

霊感の疑問 恵みが???(ヤコブ、ユダ、第二ペテロ、第二ヨハネ、第三ヨハネ、黙示録。。。その他)

※ 残りの概要は宿題です!

参考 See my prezi


リーディングプランバイブルガイド pp 118-122

リーディングプラン

バイブルガイド pp 118-122

質問

①1,2ペテロ、1,2,3ヨハネ、ユダの概要を作って提出してください。


 黙示録 入門

 黙示録はしっかりした聖書の土台を据えて読むべきです。多くの預言的幻がでますが、その多くの意味は他の聖書からの引用ができれば明確になります。また、内容が怖いと思う人もいますが、黙示録は「良い人への良い知らせ」です。403節中、信者にとって恐ろしいのは12節しかありません。その箇所も、迫害がくるけど、最終的にイエスの完全な勝利が現れます。第3部の聖書預言では4章以降を見ていきますが、ここではとりあえず、黙示録の1~3章を見ていきましょう。


1~3章を読む時の注意点

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  1. 1:1にある「イエスの啓示」の「の」について考えましょう。

  2. ヨハネお爺さんの啓示。聖書のすべてと同様、信仰の家族から、信仰の家族ため、信仰の家族へ書かれた書物

  3. 福音書、ヨハネの手紙と同じヨハネ?

  4. ギリシア語の文法の異常。啓示中?暗号化されている?

  5. マンとプランが含まれていますが、プランよりマンが大事です。イエスという方を知っていきましょう。1章~3章にある42個イエスを表す言葉

  6. さのプランにおいての、クリスチャンにとっての18個の永遠の報いがあります。

  7. 7つの教会への手紙。。。


また、黙示録の最後を読んでみよう。22:6-21


拓成学院 課題

リーディングプラン 黙示録全体を口に出して、読んでみよう。

質問

①1~3章の中で出てくるイエスについての言葉をできるだけ拾ってください。

②1~3章の中で出てくる信者への約束をできるだけ拾ってください。

③7つの教会への手紙の忠告の中で、自分も注意しないといけない内容はありますか。


旧約概要

部族長時代 

モーセ5章 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記

ヨブ書

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王国前時代 

ヨシュア、士師記、ルーツ

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統一王国のイスラエル 

人物 サムエル、サウロ王、ダビデ、ソロモン

歴史 1歴代誌、1サムエル、2サムエル

ダビデの書 詩篇

ソロモンの書 箴言、伝道者の書、雅歌

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分裂、追放、アリーヤー

二つの王国

人物 エリヤ、エリシャ

歴史 2歴代誌、1列王記、2列王記

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イスラエル(北の王国)が服従されるまでの預言者(1列王記)

イスラエル(北の王国)の預言者 アモス、ホセア

ユダ(南の王国)の預言者 イザヤ、ミカ

異国への預言者 ナホム、ヨナ

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ユダ(南の王国)が服従されるまでの預言者(2列王記)

ユダ(南の王国)の預言者 ヨエル、ゼパニア、ハバクク、エレミヤと哀歌

異国への預言者 オバデヤ

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追放

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アリーヤー

歴史 エズラ、ネヘミヤ、エステル

預言者 ハガイ、ゼカリヤ、マラキ

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参考 See my prezi


リーディングプランバイブルガイド1. pp10-302. pp32-363. pp38-504. pp52-74

リーディングプラン

バイブルガイド

1. pp10-30

2. pp32-36

3. pp38-50

4. pp52-74

質問

①モーセの幕屋にある福音のメッセージについて述べてください。

②ルーツ記を読んで、その中にある福音のメッセージについて述べてください。

③詩篇22篇を読んで、その中にある福音のメッセージについて述べてください。

④エステルを読んで、その中にある福音のメッセージについて述べてください。