マタイ24:1-4

イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

そこで、イエスは彼らに答えて言われた…

読む前に

 聖書の預言について説明していきたいと思っていますが、前提として知っていただきたい事もここで伝えたいと思います。聖書の中心的なメッセージはイエスキリストです。イエスの死と蘇りに信仰を宣言する事は、全人類にとって唯一の救いの道です。救いについて知らなかったり、確信がなかったりするなら、この前提について、前提の章をみてください。基礎となる信仰もなければ、聖書の内容について分かることができないと聖書は語っています。

 救いの確信は聖書預言に比べていかにも重要です。また、聖書預言の理解が救いの理解(救済論)にかかっていることがあります。聖書が教える明確な福音のメッセージは聖書預言の解釈に影響します。しかしながら、これらの点において、違う理解を持つクリスチャンいます。その中、私が尊敬する人も私と違う理解を持つ場合があります。その人を尊重し、その意見を真剣に聞いたり考えたりもします。何よりも大宣教命令を実現するパートナーになりたいと思います。神の御国を日本において、そして世界中に広げたいです。繰り返しになりますが、預言の理解よりも、福音が大事だと思っています。

 だったら、なんでわざわざ教会の歴史でも、現在でも分裂が起こるところを取り上げるかと問われるかもしれません。しかし、聖書は明確に神の計画を教えて下さっていて、それを知ることによって正しくイエスに仕えていけると思います。また、預言を知ることは神の御心をよりよく知ることで、神を愛して知ることになると思います。

 もしここで読む内容が、自分の解釈と違っていたとしたら、それが分離になるような問題と思っていませんので、それでも是非お声をかけて頂きたいと思います。

Chris Michael Moore

参考までに、下記のリンクにて、3人、違う視点を持つ尊敬すべき先生たちのお話の動画をみてください。

https://www.desiringgod.org/interviews/an-evening-of-eschatology

 神の顕現

預言って何?

預言を読むときの注意点

(1) 分かりやすいものから始める。
(2) 聖書のみが解釈する。聖書だけで解釈できる。
(3) 預言は特定の一回に実現するが、ほかの時に適応・予示することできます(大洪水など)
(4) 聖書は、普通の人が分かるように書かれている。
(5) 初めから読むべき。後ほどのものはその前のものに積み上がっている。

聖書に出てくる預言的なテーマ 

•栄光
•墜落
•希望の種
•背教
•御国

•追放
•アリーヤー
•神殿再建設
•メッシア(油注がれた者)
•大苦難

•反キリスト
•携挙
•裁き
•永遠の刑罰
•永遠の命


神の顕現

 神様を見た人がいたとします。何を見たか、聞きたくないですか。どんな感じだったか。聖書の中で見れます。読みながらイメージしてみよう。

第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。それはエホヤキン王が捕囚となって連れて行かれてから五年目であった。その月の五日に、カルデヤ人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルにはっきりと主のことばがあり、主の御手が彼の上にあった。私が見ていると、見よ、激しい風とともに、大きな雲と火が、ぐるぐるとひらめき渡りながら北から来た。その回りには輝きがあり、火の中央には青銅の輝きのようなものがあった。その中に何か四つの生きもののようなものが現われ、その姿はこうであった。彼らは何か人間のような姿をしていた。彼らはおのおの四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。その足はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏のようであり、みがかれた青銅のように輝いていた。その翼の下から人間の手が四方に出ていた。そして、その四つのものの顔と翼は次のようであった。彼らの翼は互いに連なり、彼らが進むときには向きを変えず、おのおの正面に向かってまっすぐ進んだ。彼らの顔かたちは、人間の顔であり、四つとも、右側に獅子の顔があり、四つとも、左側に牛の顔があり、四つとも、うしろに鷲の顔があった。これが彼らの顔であった。彼らの翼は上方に広げられ、それぞれ、二つは互いに連なり、他の二つはおのおののからだをおおっていた。彼らはおのおの前を向いてまっすぐに行き、霊が行かせる所に彼らは行き、行くときには向きを変えなかった。それらの生きもののようなものは、燃える炭のように見え、たいまつのように見え、それが生きものの間を行き来していた。火が輝き、その火から、いなずまが出ていた。それらの生きものは、いなずまのひらめきのように走って行き来していた。私が生きものを見ていると、地の上のそれら四つの生きもののそばに、それぞれ一つずつの輪があった。それらの輪の形と作りは、緑柱石の輝きのようで、四つともよく似ていて、それらの形と作りは、ちょうど、一つの輪が他の輪の中にあるようであった。 それらは四方に向かって行き、行くときには、それらは向きを変えなかった。その輪のわくは高くて、恐ろしく、その四つの輪のわくの回りには目がいっぱいついていた。生きものが行くときには、輪もそのそばを行き、生きものが地の上から上がるときには、輪も上がった。これらは霊が行かせる所に行き、霊が行かせる所には、輪もまたそれらとともに上がった。生きものの霊が輪の中にあったからである。生きものが行くときには、輪も行き、生きものが立ち止まるときには、輪も立ち止まり、生きものが地の上から上がるときには、輪も共に上がった。生きものの霊が輪の中にあったからである。生きものの頭の上には、澄んだ水晶のように輝く大空のようなものがあり、彼らの頭の上のほうへ広がっていた。その大空の下には、互いにまっすぐに伸ばし合った彼らの翼があり、それぞれ、ほかの二つの翼は、彼らのからだをおおっていた。彼らが進むとき、私は彼らの翼の音を聞いた。それは大水のとどろきのようであり、全能者の声のようであった。それは陣営の騒音のような大きな音で、彼らが立ち止まるときには、その翼を垂れた。彼らの頭の上方の大空から声があると、彼らは立ち止まり、翼を垂れた。彼らの頭の上、大空のはるか上のほうには、サファイヤのような何か王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。私が見ると、その腰と見える所から上のほうは、その中と回りとが青銅のように輝き、火のように見えた。その腰と見える所から下のほうに、私は火のようなものを見た。その方の回りには輝きがあった。その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。

— エゼキエル1:1-28

三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。シナイ山は全山が煙っていた。それは主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山が激しく震えた。角笛の音が、いよいよ高くなった。モーセは語り、神は声を出して、彼に答えられた。主がシナイ山の頂に降りて来られ、主がモーセを山の頂に呼び寄せられたので、モーセは登って行った。主は彼に仰せられた。「降りて行け。そしてあなたはアロンといっしょに登れ。祭司たちと民とは、主のところに登ろうとして押し破ってはならない。主が彼らに怒りを発せられないために。」そこでモーセは民のところに降りて行き、彼らに告げた。それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。――それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」民はみな、雷と、いなずま、角笛の音と、煙る山を目撃した。民は見て、たじろぎ、遠く離れて立った。彼らはモーセに言った。「どうか、私たちに話してください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお話しにならないように。私たちが死ぬといけませんから。」それでモーセは民に言った。「恐れてはいけません。神が来られたのはあなたがたを試みるためなのです。また、あなたがたに神への恐れが生じて、あなたがたが罪を犯さないためです。」そこで、民は遠く離れて立ち、モーセは神のおられる暗やみに近づいて行った。

— 出エジプト記 19:16-20, 24-25; 20:1-21

それでモーセは申し上げた。「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。」主はモーセに仰せられた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。」すると、モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」主は雲の中にあって降りて来られ、彼とともにそこに立って、主の名によって宣言された。主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」モーセは急いで地にひざまずき、伏し拝んで、

モーセはそのあかしの板二枚を手にして、シナイ山から下ったが、その山を下ったとき、モーセは、さきに主と語ったゆえに、顔の皮が光を放っているのを知らなかった。

— 出エジプト記 33:15-19; 34:5-8, 29


リーディングプランThe Book of PrayerTheophanies

リーディングプラン

The Book of Prayer

Theophanies

祈ってみよう

日 エゼキエル10:1-22
月 イザヤ 6:1-8
火 ダニエル 7:9-10, 13-14, 18, 21-22, 24-27
水 ダニエル10:1-11:1, 12:8-10
木 黙示録1:9-18
金 黙示録4:1-11
土 黙示録19:11-21

質問

①預言的に語られた体験ありますか。あれば、それについて教えてください。

②直接うける神の声と聖書の権威の関係について、述べてください。


こうして、イスラエルはみな救われる

トーラーの預言 約束の子孫

聖書の最初の預言:栄光 

そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。神はその光をよしと見られた。そして神はこの光とやみとを区別された。 神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日。

— 創世記1:3-5

 光よあれ。あった光、ある光、来られる光。世の光。内に生きている光。神に栄光を返すために作られました。

聖書の二つ目の預言:堕落

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」

— 創世記2:17

 人類は堕落中です。罪の中で死んでいます。死人は自分の力で助かるわけがないのです。

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聖書の三つ目の預言:希望の種 

お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」

— 創世記3:15

 アダムに来られるイエスの啓示が与えられました。イエスは来て苦しむが、サタンを砕く。旧約聖書の全体はこの出来事の序章です。

 

アブラハムの契約

 アブラハムは偶像礼拝から呼び出され、多くのことを約束される。 (創世記12:1-3, 18:18, 22:18, 26:4など)

子羊、希望の種、人の子 イエス 

 これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ。」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります。」と答えた。神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る。」と言った。アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク。」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム。」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある。」と言い伝えられている。それから主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

— 創世記22:1-18

ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。

— ガラテヤ3:16

 イサク「羊はどこにありますか?」、雄羊が与えられた。羊はまだでした。でも「主の山の上に備えがある」の通り、イエスがカルバリーの丘に備えられた、全焼のいけにえの羊(ヘブライ語「הַשֶּׂ֛ה לְעֹלָ֖ה  」は直訳して「(煙のように)昇る・上げられる羊」、イエスは雲に乗って天に来る羊)

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信仰の民、永遠の御国

 アブラハムの契約、その約束には①土地②子孫③国々への祝福が含まれます。何度も繰り返されます。

わたしは時季に応じて雨を与える。それによって大地は作物をみのらせ、野の木は実をみのらせる。穀物の収穫にはぶどうの収穫が続き、ぶどうの収穫には種蒔きが続いて、あなたたちは食物に飽き足り、国のうちで平穏に暮らすことができる。わたしは国に平安を与え、あなたたちは脅かされることなく安眠することができる。わたしはまた、猛獣を国から一掃し、剣が国を荒廃させることはない。あなたたちは敵を追撃し、剣にかけて滅ぼす。あなたたちは五人で百人の敵を、百人で一万の敵を追撃し、剣にかけて滅ぼす。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちに子を生ませ、その数を増し、あなたたちとわたしの契約を立てる。あなたたちは前年の穀物を食べ尽くさぬうちに、それを倉から運び出して、新穀を倉に納めるようになる。わたしはあなたたちのただ中にわたしの住まいを置き、あなたたちを退けることはない。わたしはあなたたちのうちを巡り歩き、あなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。

— レビ記26:4-12

 特徴 ①生産性 ②平安 ③力 ④人口 ⑤備え ⑥臨在

不信仰の人(背教者)が省かれる

 しかし、この聖なる、神が選んだ民族から、不信仰の人が省かれていきます。上記の土地などの約束が不信者のユダヤ人において、はっきりと省かれます。

もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。あなたは町にあってものろわれ、野にあってものろわれる。あなたのかごも、こね鉢ものろわれる。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊ものろわれる。あなたは、はいるときものろわれ、出て行くときにものろわれる。主は、あなたのなすすべての手のわざに、のろいと恐慌と懲らしめとを送り、ついにあなたは根絶やしにされて、すみやかに滅びてしまう。これはわたしを捨てて、あなたが悪を行なったからである。主は、疫病をあなたの身にまといつかせ、ついには、あなたが、はいって行って、所有しようとしている地から、あなたを絶滅される。主は、肺病と熱病と高熱病と悪性熱病と、水枯れと、立ち枯れと、黒穂病とで、あなたを打たれる。これらのものは、あなたが滅びうせるまで、あなたを追いかける。またあなたの頭の上の天は青銅となり、あなたの下の地は鉄となる。主は、あなたの地の雨をほこりとされる。それで砂ほこりが天から降って来て、ついにはあなたは根絶やしにされる。主は、あなたを敵の前で敗走させる。あなたは一つの道から攻撃するが、その前から七つの道に逃げ去ろう。あなたのことは、地上のすべての王国のおののきとなる。あなたの死体は、空のすべての鳥と、地の獣とのえじきとなり、これをおどかして追い払う者もいない。主は、エジプトの腫物と、はれものと、湿疹と、かいせんとをもって、あなたを打ち、あなたはいやされることができない。主はあなたを打って気を狂わせ、盲目にし、気を錯乱させる。あなたは、盲人が暗やみで手さぐりするように、真昼に手さぐりするようになる。あなたは自分のやることで繁栄することがなく、いつまでも、しいたげられ、略奪されるだけである。あなたを救う者はいない。あなたが女の人と婚約しても、他の男が彼女と寝る。家を建てても、その中に住むことができない。ぶどう畑を作っても、その収穫をすることができない。あなたの牛が目の前でほふられても、あなたはそれを食べることができない。あなたのろばが目の前から略奪されても、それはあなたに返されない。あなたの羊が敵の手に渡されても、あなたを救う者はいない。あなたの息子と娘があなたの見ているうちに他国の人に渡され、あなたの目は絶えず彼らを慕って衰えるが、あなたはどうすることもできない。地の産物およびあなたの勤労の実はみな、あなたの知らない民が食べるであろう。あなたはいつまでも、しいたげられ、踏みにじられるだけである。あなたは、目に見ることで気を狂わされる。主は、あなたのひざとももとを悪性の不治の腫物で打たれる。足の裏から頭の頂まで。主は、あなたと、あなたが自分の上に立てた王とを、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった国に行かせよう。あなたは、そこで木や石のほかの神々に仕えよう。主があなたを追い入れるすべての国々の民の中で、あなたは恐怖となり、物笑いの種となり、なぶりものとなろう。畑に多くの種を持って出ても、あなたは少ししか収穫できない。いなごが食い尽くすからである。ぶどう畑を作り、耕しても、あなたはそのぶどう酒を飲むことも、集めることもできない。虫がそれを食べるからである。あなたの領土の至る所にオリーブの木があっても、あなたは身に油を塗ることができない。オリーブの実が落ちてしまうからである。息子や娘が生まれても、あなたのものとはならない。彼らは捕えられて行くからである。こおろぎは、あなたのすべての木と、地の産物とを取り上げてしまう。あなたのうちの在留異国人は、あなたの上にますます高く上って行き、あなたはますます低く下って行く。彼はあなたに貸すが、あなたは彼に貸すことができない。彼はかしらとなり、あなたは尾となる。これらすべてののろいが、あなたに臨み、あなたを追いかけ、あなたに追いつき、ついには、あなたを根絶やしにする。あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、主が命じられた命令とおきてとを守らないからである。これらのことは、あなたとあなたの子孫に対して、いつまでも、しるしとなり、また不思議となる。あなたがすべてのものに豊かになっても、あなたの神、主に、心から喜び楽しんで仕えようとしないので、あなたは、飢えて渇き、裸となって、あらゆるものに欠乏して、主があなたに差し向ける敵に仕えることになる。主は、あなたの首に鉄のくびきを置き、ついには、あなたを根絶やしにされる。主は、遠く地の果てから、わしが飛びかかるように、一つの国民にあなたを襲わせる。その話すことばがあなたにはわからない国民である。その国民は横柄で、老人を顧みず、幼い者をあわれまず、あなたの家畜の産むものや、地の産物を食い尽くし、ついには、あなたを根絶やしにする。彼らは、穀物も、新しいぶどう酒も、油も、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も、あなたには少しも残さず、ついに、あなたを滅ぼしてしまう。その国民は、あなたの国中のすべての町囲みの中にあなたを包囲し、ついには、あなたが頼みとする高く堅固な城壁を打ち倒す。彼らが、あなたの神、主の与えられた国中のすべての町囲みの中にあなたを包囲するとき、あなたは、包囲と、敵がもたらす窮乏とのために、あなたの身から生まれた者、あなたの神、主が与えてくださった息子や娘の肉を食べるようになる。あなたのうちの最も優しく、上品な男が、自分の兄弟や、自分の愛する妻や、まだ残っている子どもたちに対してさえ物惜しみをし、自分が食べている子どもの肉を、全然、だれにも分け与えようとはしないであろう。あなたのすべての町囲みのうちには、包囲と、敵がもたらした窮乏とのために、何も残されてはいないからである。あなたがたのうちの、優しく、上品な女で、あまりにも上品で優しいために足の裏を地面につけようともしない者が、自分の愛する夫や、息子や、娘に、物惜しみをし、自分の足の間から出た後産や、自分が産んだ子どもさえ、何もかも欠乏しているので、ひそかに、それを食べるであろう。あなたの町囲みのうちは、包囲と、敵がもたらした窮乏との中にあるからである。もし、あなたが、この光栄ある恐るべき御名、あなたの神、主を恐れて、この書物に書かれてあるこのみおしえのすべてのことばを守り行なわないなら、主は、あなたへの災害、あなたの子孫への災害を下される。大きな長く続く災害、長く続く悪性の病気である。主は、あなたが恐れたエジプトのあらゆる病気をあなたにもたらされる。それはあなたにまといつこう。主は、このみおしえの書にしるされていない、あらゆる病気、あらゆる災害をもあなたの上に臨ませ、ついにはあなたは根絶やしにされる。あなたがたは空の星のように多かったが、あなたの神、主の御声に聞き従わなかったので、少人数しか残されない。かつて主があなたがたをしあわせにし、あなたがたをふやすことを喜ばれたように、主は、あなたがたを滅ぼし、あなたがたを根絶やしにすることを喜ばれよう。あなたがたは、あなたがはいって行って、所有しようとしている地から引き抜かれる。主は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散らす。あなたはその所で、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった木や石のほかの神々に仕える。これら異邦の民の中にあって、あなたは休息することもできず、足の裏を休めることもできない。主は、その所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を弱らせる。あなたのいのちは、危険にさらされ、あなたは夜も昼もおびえて、自分が生きることさえおぼつかなくなる。あなたは、朝には、「ああ夕方であればよいのに。」と言い、夕方には、「ああ朝であればよいのに。」と言う。あなたの心が恐れる恐れと、あなたの目が見る光景とのためである。私がかつて「あなたはもう二度とこれを見ないだろう。」と言った道を通って、主は、あなたを舟で、再びエジプトに帰らせる。あなたがたは、そこで自分を男奴隷や女奴隷として、敵に身売りしようとしても、だれも買う者はいまい。

— 申命記 28:15-68

 その申命記28章の「きょう、命じる主のすべての命令とおきて」について、申命記18章に来られるイエスキリストに聞き従うように命じられます。

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 イエスも、ユダヤ教の指導者たちに背教者として忠告しました。

もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。そこでもう一度、前よりももっと多くの別のしもべたちを遣わしたが、やはり同じような扱いをした。しかし、そのあと、その主人は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう。』と言って、息子を遣わした。すると、農夫たちは、その子を見て、こう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺して、あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。』そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。このばあい、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」

— マタイ21:33-44

 教会のミッション、「すべての国民から弟子をつくる」、これはアブラハムの契約の実現です。また聖書律法の「契約の約束」を参考にしてください。

バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです

— ガラテヤ3:27-29

「こうして」はどのようにして?

こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。神の賜物と召命とは変わることがありません。

— ローマ11:26-29

 「イスラエルはみな救われる」は具体的にどういうことが起こると言っているでしょうか。この質問の答えによって、ほとんどの聖書預言の解釈がかかっています。また、国際社会や政治の動きにも、この聖書箇所の理解によって変わります。そして、福音・宣教に対する態度も場合によって変わります。関心の言葉は「こうして」です。この聖句の文脈を見るために、ローマ書を少し巻き戻し、読んでみましょう。是非、自分の聖書で引いて、自分のために確認してください。

※ ローマ1:1-4, 16-17, 2:9-13, 17-24, 28-29, 3:1-4, 20-24, 29-31, 4:1,3, 13, 16-17… 9:1-5, 6-8, 22-27, 30-33, 10:9-12, 16, 20-11, 11:1-5, 7, 17-25

「残されたもの」?

それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます。

— ローマ11:5

 初期教会を信じたメッシア派のユダヤ人、また、現在のメッシア派ユダヤ人もいます。イエスを信じなくても救われるという意味ではありません。イエスが唯一の道であり、イエスを通してでなければ、だれも父のところに行けません。

参考 


リーディングプランThe Book of PrayerThe Psalms

リーディングプラン

The Book of Prayer

The Psalms

質問

①「こうして、イスラエルはみな救われる」はどのように理解していますか。

②イエスの時代の律法学者はギリシャ哲学など、ヘレニズム化とヒューマニズムを追い、背教者になりました。この出来事は私たちにとっても忠告であることについて述べてください。

祈ってみよう

日 詩篇23:1-6
月 詩篇91:1-16
火 詩篇84:1-12
水 詩篇22:1-31
木 詩篇24:1-10
金 詩篇20:1-9
土 詩篇128:1-6


苦しむしもべ

ナビーム・ケトゥビームの預言 追放、アリーヤー、アドベント

大預言者、小預言者

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旧約聖書の最後に4人の大預言者と、12人の小預言者の書があります。大小の違いは偉さではなく、残した預言の文書の量です。
イザヤはイスラエル(北の王国)が追放に入る直前、紀元前700年以上前に活動していました。その預言の中に、メッシア(油注がれた者)についての預言がたくさんあります。イエスの産まれ方、人生、十字架の死と蘇り、すなわち福音のメッセージが入っています。福音書の中ででも、イザヤの預言を引用する箇所が多くあり、イエスが奉仕を始める時にイザヤの巻きものから読み上げた場面や、使徒の働きでエチオピアの方がイザヤ書を読んでいたところピリポと出会って救われるなど、あります。
エレミヤはユダ(南の王国)が追放に入る、その時に生きていた預言者で、エレミヤ書と哀歌の著者です。有名な預言で主を陶工に、人間を器に例えます。
エゼキエルはバビロン追放中に預言していました。エゼキエルの預言はイメージが力強くて、その中に有名な乾いた骨の谷や、神殿から流れる川などあります。
ダニエルは追放中に預言しました。最初の5章はバビロンにいましたが、バビロンがメドペルシアに服従されて、残りの預言はメドペルシアのスーサからしました。ダニエルは夢をみたり、他人の夢を解き明かす賜物で、明確にメッシアが来るタイミングを繰り返して預言しました。

小預言者
・ホセアは不忠実な妻に対して忠実でいることを通して、神とイスラエルの関係を人生をとおして描いた預言者です。
・ヨエルはバッタの災い、主の日について預言しました。
・アモスは羊飼いでイスラエルとその周りの国に預言的な忠告をしました。
・オバデヤは旧約聖書の一番短い書物です。エサウとヤコブの話を覚えている?ヤコブの子孫はイスラエルになったと同様に、エサウの子孫はエドムとなりました。こんないとこのような関係があるのに、必要な時にイスラエルを助けなかったエドムに対する忠告です。
・ヨナは皮肉的な要素が多くあり、預言のコメディと言われています。魚のお腹に三日過ごすことはイエスが自分の世代に見せる印とイエスは言いました。
・ミカは裸で町中に預言したことによって、裁きの時の貧しい姿を見せました。
・ナホムはヨナと同じく、ニネベに忠告をした預言者です。
・ハバククは贖いの詩篇を作曲しました。また、有名な箇所に啓示を書き記すように命じられました。
・ゼパニアはイスラエル、ユダ、まわりの国の偶像礼拝に対して裁きを宣言しました。
最後の三人は追放の後、エズラとネヘミヤと同行に活躍しました。
・ハガイは追放から戻った民に対して、神の家である神殿を建てるように預言しました。
・ゼカリヤはイメージ的な預言をして、メッシアについての内容もあります。
・マラキはハガイに相次いで、建てた神殿は什一献金がないと祭司が別の仕事を探すことに対して忠告し、捧げものをちゃんとするように教えました。

参考 聖書概要の「旧約概要

  12小預言者と部分完了論

major and minor prophets.png

イザヤ 「苦しむ僕」

7:14 それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。

9:1-7 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。あなたはその国民をふやし、その喜びをまし加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

11:1-9 エッサイの株からひとつの芽が萌えいで/その根からひとつの若枝が育ちその上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊/思慮と勇気の霊/主を知り、畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず/耳にするところによって弁護することはない。弱い人のために正当な裁きを行い/この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって地を打ち/唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。正義をその腰の帯とし/真実をその身に帯びる。狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ/幼子は蝮の巣に手を入れる。わたしの聖なる山においては/何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように/大地は主を知る知識で満たされる。

42:1-9 見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々も、そのおしえを待ち望む。天を造り出し、これを引き延べ、地とその産物を押し広め、その上の民に息を与え、この上を歩む者に霊を授けた神なる主はこう仰せられる。「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。こうして、盲人の目を開き、囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。先の事は、見よ、すでに起こった。新しい事を、わたしは告げよう。それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。」

52:13-53:12 見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。多くの者があなたを見て驚いたように、――その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。――そのように、彼は多くの国々に振りかかる。王たちは彼の前で口をつぐむ。彼らは、まだ告げられなかったことを見、まだ聞いたこともないことを悟るからだ。私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。


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Wisdom

質問

①下記のリストの一つを選び、読みながら簡単な概要をつくって、「追放」「アリーヤー」「メッシア・贖い」「苦難」の4テーマにかかわると思う聖句をリストアップしてください。

ア)エゼキエル
イ)エレミヤ、哀歌
ウ)ホセア、ヨエル、アモス
エ)オバデヤ、ヨナ、ミカ
  ナホム、ハバクク、ゼパニア
オ)ハガイ、ゼカリヤ、マラキ

祈ってみよう

日 伝道の書3:1-8, 11
月 箴言2:1-6, 9:9-10, 7:4, 23:12, 4:7
火 箴言24:30-34, 23:4, 14:23, 10:4-5, 26:13-14, 18:9, 22:29
水 詩篇 39:1 箴言 13:3, 18:21, 12:18, 10:19, 15:1, 12:16, 20:3, 25:15 伝道の書 5:2
木 ヨブ 31:1, 箴言 6:24-27, 6:29, 30:20, 6:32-33, 2:18-19, 5:15-21
金 箴言 14:31, 22:2, 22:22-23, 29:7, 19:17, 11:25, ヨブ 29:12-17, 29:25
土 箴言 4:20, 4:22-23, 21:21, 10:27, 4:24, 4:26, 22:1


ダニエルのドリーム

歴史的ダニエル

 ダニエルはバビロン(イラク)、そしてペルシア(イラン)に連れていかれた追放時代に生きていた預言者です。現在でもイランでその墓がモスクになっていて見ることができます。

預言者ダニエルの墓 - イランのスーサにあります

預言者ダニエルの墓 - イランのスーサにあります

ダニエルは追放時代にバビロンに連れていかれた祭司の一人でした。

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ダニエル1~5章はバビロンにいた時の預言です。バビロンの遺跡は現在のバグダッドの近くにあります。

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 バビロンは紀元前539年9月のオピスの戦いにて、メドペルシアに服従して、ダニエル6章からダニエルがイランのスーサにいる時になります。メドペルシアのキュロス王の命令で、エズラとネヘミヤがパレスチナに戻り、イスラエル再建国の作業します。紀元前457年で神殿の再建設が始まり、またエルサレムの壁を立て直すことが大きいな手がかりでした。49年後、紀元前408年に再建設の中心的な作業が終わります。この時代について、エズラ、ネヘミヤ、エステル、ハガイ、ゼカリヤ、マラキで読めます。また、この時代が最近人気になって、ぺリシアとスパルタの戦いの間で起こった戦争について「300」の映画もあったりします。今になっても名古屋などの世界中で走っているマラソンの長さもこの歴史のことからあります。

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 その後、マケドニアのアレクサンドロスがインダス川まで支配することになります。アレクサンドロスの下、全世界(服従させた領域)をギリシャ化(ヘレニズム化)の政策で、ギリシャ語とギリシャ哲学、ギリシャ宗教に強制的に統一させようと、他の国の文化を消す法律作ったりしました。多くのユダヤ人、特に社会的上位の層はヘレニズム化されます。ギリシャ語の名前に変えたりして、割礼をやめたり、プラトンやソクラテスの哲学にたって旧約聖書を解釈しなおしたりします。その中、上位の層の人たちはヘブル語が分からなくなるくらいユダヤ文化から離れて、聖書を理解するためにLXX(七十人訳聖書)というギリシャ語旧約ができます。新約聖書の著者たちは旧約を引用する時このLXX訳を引用します。

 現在にでもソクラテスなどをもって哲学について学んでいきます。このヘレニズム化の形として現在残っているものを挙げるとオリンピックもあります。ギリシャ風の偶像が仏教の仏像の由来とされています。この古代ギリシャ文化は今も、響いています。なおさらのこと、当時その服従の中にいたユダヤ人です。

 アレクサンドロスが亡くなると帝国が4つに分離します。エルサレムから見る北にあるセレウコス朝(上記地図の黄色)とエルサレムから見る南のプトレマイオス朝(上記地図の青いエジプトの領域)が戦いし続けて、パレスチナが戦場となります。その中プトレマイオス朝と同盟を組むことで、戦いに負けるセレウコス朝の王、アンティオコス4世エピファネス、怒りのあまり、エジプトから帰っていく中でユダヤ人を迫害し、エルサレムの神殿でゼウスに豚のいけにえを捧げることを命令したりします。これに対する反乱(マカバイ戦争)がおこり、ユダヤ人が自由を得て、この中でハヌカーの由来があります。

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 その後、ローマ帝国が地中海の西を勝ち取り、弱くなったプトレマイオス朝を手にし、マケドニア戦争でギリシャとアジア(トルコ)、ユダヤの地などを服従させます。ローマ帝国の帝王は下記のリストにまとめられます。

  1. ユリウス・カエサル (49-44)

  2. アウグストゥス (31-14)

  3. ティベリウス (14-37) *

  4. カリグラ (37-41)

  5. クラウディウス (41-54)

  6. ネロ (54-68) **

  7. ガルバ (68-69)

  8. オト (69)

  9. ウィテッリウス (69)

  10. ウェスパシアヌス (69-79)***

 紀元後27年*にイエスが洗礼を受け、御国を告げます。3年半後の約紀元後30年*イエス様の奉仕が十字架で終わり、でもイエスは蘇り天に昇り、そしてペンテコステの日に聖霊が信者を満たし、教会が世界中に広がっていきました。

 紀元後67年**、ネロの指導でクリスチャンの迫害が悪化し、またローマ対ユダヤ人のユダヤ戦争が始まります。その3年半後の70年***、エルサレムの囲い、最終的に服従させて神殿を取り壊します。

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 これらの出来事は事前にダニエル複数の預言にて預言しました。下記の表を参考にしてください。宿題です。これらを読んで、歴史と比較して、この預言は実現されたか確認することです。

daniel chart.PNG

9章の70週間、再建国の490年のミステリー 

 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。

  まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」

 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言いますこのことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。。。

—マタイ18:15-23

追記 ダニエルがあまりにも預言が正確すぎて、後から書かれたじゃないか???

 1800年代でリベラル学者の多くは、自然現象しか認めないとして、ダニエルはこれらの出来事の後に書かれたと主張します。しかし、それも主張するだけであり、決定的な証拠はありませんでした。

 しかし1947年に死海文書が見つかります。イエスが来る前の紀元前408~318年ぐらいに書かれたとされています。その中に聖書のギリシャ語訳のLXXが残っています。イザヤやダニエル書が今のままの文字で少なくとも紀元前300年に存在していた証拠は保あります。

 残念ながら、不可知論者、その他のリベラル学者などは1800年代の理論をもって、1947年に決定的証拠があるにもかかわらず、このような明らかな間違いについての本や映画を出し続いているだけです。聖書を信じない前提で「学術」として認めないので、聖書が正しいであることに対して、どの決定的証拠があってにしても、拒否し続けます。神学について話したくないというが、不信・リベラル神学的前提を握ります。

参考

In the Days of These Kings: The Book of Daniel in Preterist Perspective

その他、歴史の参考資料:
Tisha Ba'avティシュアー・ベ=アーブ
Wars of the Jews (Josephus) - ユダヤ戦争 (ヨセフス
Siege of Jerusalem (70AD)エルサレム攻囲戦 (70年)
Maccabees - 1マカビー(明治訳) (1:10~ ... 特にvv39, 46, 54)


リーディングプランThe Book of PrayerSong of Songs

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The Book of Prayer

Song of Songs

質問

①ダニエルを読んで、出てくる夢について歴史的な出来事を指しているかどうかについて述べてください。

祈ってみよう

日 雅歌3:1-5
月 雅歌3:6-11
火 雅歌4:7-12, 15-16
水 雅歌5:2-8
木 雅歌5:9-16
金 雅歌6:4-10, 13
土 雅歌8:5-7, 12-4


二つの質問、二つの答え

歴史文法的解釈

 最初に聞いた人たちはどう思ったでしょうか?

人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせない

— マタイ10:23

まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。

— マタイ16:28

人の子が「来られる」方向

 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。

— ダニエル 7:13-14

天の御座に「来る」、昇って「来る」

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

— 使徒1:9

オリーブ山の講話

OUTLINE OF MATTHEW 23-25 (JA)

二つの質問 ① 神殿破壊はいつ? ② 世の終わりは?

二つの答え ① 印ある苦難! ② 印ない再臨!

イエスが言う苦難の印は十字架~紀元後70年の間でに当てはまる出来事があったでしょうか?はい。すべてそろっています。

参考 

The Last Days According to Jesus: When Did Jesus Say He Would Return? R. C. Sproul

その他、歴史の参考資料:
Halley’s Comet in 66AD

エウセビオス(260年ごろ~339年)が書いた「教会史」にこの文章があります:

οὐ  μὴν  ἀλλὰ  καὶ  τοῦ  λαοῦ τῆς ἐν Ἱεροσολύμοις ἐκκλησίας κατά τινα χρησμὸν τοῖς αὐτόθι δοκίμοις δι᾿ ἀποκαλύψεως  ἐκδοθέντα  πρὸ  τοῦ  πολέμου  μεταναστῆναι  τῆς  πόλεως  καί  τινα  τῆς  Περαίας  πόλιν  οἰκεῖν  κεκελευσμένου, Πέλλαν  αὐτὴν  ὀνομάζουσιν, [ἐν  ἧ]  τῶν  εἰς  Χριστὸν  πεπιστευκότων  ἀπὸ  τῆς  Ἱερουσαλὴμ  μετῳκισμένων,  ὡς  ἂν  παντελῶς  ἐπιλελοιπότων  ἁγίων  ἀνδρῶν  αὐτήν  τε  τὴν  Ἰουδαίων βασιλικὴν μητρόπολιν καὶ σύμπασαν τὴν  Ἰουδαίαν γῆν, ἡ ἐκ θεοῦ δίκη λοιπὸν αὐτοὺς ἅτε τοσαῦτα εἴς τε τὸν Χριστὸν καὶ τοὺς ἀποστόλους αὐτοῦ παρηνομηκότας μετῄει, τῶν ἀσεβῶν  ἄρδην τὴν γενεὰν αὐτὴν ἐκείνην ἐξ ἀνθρώπων ἀφανίζουσα. 

しかし、エルサレムの教会の人は啓示(黙示)によって、戦争が始まるまえにも信頼できる人からもそれを確かめて、都からでてペラというペレアにある町に住むように指示されました。キリストの信者たちがエルサレムから出てそこに来たら、ユダヤ人の王家の町とユダヤ全土に聖人が完全にいなくなったかのように、その時に神の裁きがキリストとその使徒に対して迫害を犯した人たちを追いつき、その不信仰の世代を絶滅させました。

ΕΚΚΛΗΣΙΑΣΤΙΚΗ ΙΣΤΟΡΙΑ p34/180 (English: History of the Church, Eusebius p.229, Flight to Pella (wikipedia))


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Prophets

質問

① マタイ23章の「忌まわしいもの」とは自分のことも指すことはないかどうかについて、述べてください。

② マタイ24:36-25:46に突然、印のない再臨のことが書いてあります。この箇所から、どのように準備するべきだと思いますか。

祈ってみよう

日 ヨブ 1:6-12, 21 19:25-27, 42:2-6
月 2歴代誌20:2-12, 14a-15, 17
火 エゼキエル37:1-14
水 ダニエル9:1-8a, 11-19
木 1歴代誌17:16-27
金 1歴代誌29:10-20, 22
土 民数記6:22-27


 封印、ラッパ、鉢

黙示録の概要

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 黙示録1~3章について、聖書概要で見たので、ここで省略しますが、マタイ23章のように忠告しています。そして、マタイ、マルコ、ルカにあったオリーブ山の講話の二つの質問と二つの答えのパターンも見れます。すぐ来る苦難に印があり、再臨と最終状態に印がありません。このパターンと内容の統一、そしてヨハネの福音書にオリーブ山の講話が入っていないことから、私は伝統的な意見で、黙示録の著者とヨハネの福音書の著者は同一人物であると思います。

 ダニエルの夢が同じことについて繰り返したように、4章~19章は三回、繰り返します。7つの封印、7つのラッパ、7つの鉢。封印が解けると計画されたものが明らかになります。ラッパがなると計画されたものが動き出す指示になります。鉢の中にあるものが流されて、計画が実行されていきます。

 ここで全部を解き明かすつもりはありませんが、完了されたものを挙げたいです。また、4章1節~を読むと分かるもう一点あります。ヨハネは「霊に感じた」と訳されているのですが、「感じた」は「γίνομαι」。この言葉は「(嵐)が現れる」ことや「(なんらかの境線を超えて)移る」の意味になります。そして、天に移ることを言います。ヨハネが見て、書き留めているものは、霊的な領域において見たものです。それを何とか人間の言葉で表そうとしています。私はすべての印が地上に起こることとは限らないで、見たものはすべて霊的な領域で起こり、その内多くのもの地上に響くが、それはすべて自然な世界で別の形となって起こった必要もありません。頭にこのことを言っておきながら、自然に起こったものを指した印を見ていきたいと思います。

黙示録4章~19章のシンボル(一部)

4章

1節 「この後にかならず起こること」 

ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」

— ダニエル12:4 (約紀元前570年 神殿破壊の約650年前)

また、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。

— 黙示録22:10(紀元後66年? 神殿破壊の約3年半前)

 黙示録は将来を指しているなら、2000年が経っている今からしたら、この2つは矛盾になりませんか?完了論なら合理的になります。


5章

24人長老 = イスラエルの12部族と教会の12使徒を表し、統一した神の永遠の御国

6章

6つ目の封印とオリーブ山の講話の印 (マタイ24, ルカ21:8-25, マルコ13:6-25)

私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」

— 黙示録6:12-17

  1. 地震(マタイ24:7)

  2. 太陽が暗くなる(マタイ24:29)(イザヤ5:30, エレミヤ4:23, エゼキエル32:7, 8 アモス8:9, 10)

  3. 月が血のように(マタイ24:29)

  4. 星が落ちる(マタイ24:29)(民数記24:7, イザヤ34:4,5, 24:21, 14:12, ダニエル8:10)

  5. 天が消える(マタイ24:29)

  6. 王が隠れる(ルカ23:30)

 オリーブ山の講話の大苦難の印ですね。

7章

144,000人

 12部族x12使徒x永遠・完全数1000

 神は選ばれた民を救いだす

8章、9章、15章、16章

ラッパと鉢

  1. 出エジプト記のような災い→出エジプト記のような災い

  2. 海が血に→海が血に

  3. 川と水の源→川と水の源

  4. 太陽→太陽

  5. 底知れぬ穴が開かれて、人が苦しむ→ 獣の王国は開かれて、人が苦しむ

  6. ユーフラテス河で軍が集まる→ユーフラテスで軍が集まる

  7. 災害、裁き、恐れ→災害、おしまい、恐怖

10章、11章

42か月=1260日=3年半(9節)=一時+二時+半時(12:14)

 67年~70年 ユダヤ戦争の始まり~神殿破壊

二人の証人 旧約預言者、新約預言者 (ダニエル12:5-13)

12章、17章

女 旧約教会からキリストが生まれて、新約教会は70年の前にエルサレムから引いた

13章、 17章 

海の獣 ローマ

 ダニエルの獣の特徴(ダニエル8:4,6, ダニエル7:7,8)

 海を渡ってくる、7つの頭と10の冠(大帝国)、一つの頭が傷を受ける(ネロは67年に亡くなった)、世の中から誉れを受ける、神に対して冒涜をはく、聖徒に戦う(2テサロニケ2:3)が、その期間は42か月

 2テサロニケ2章の不法の人と黙示録の獣を比較してみる

  • 3節 不法の人 → 13:1 神を冒涜するさまざまの名

  • 3節 滅びの子 → 17:11 滅びに

  • 4節 自分こそ神であると宣言 → 13:5, 6 大言と冒涜の言葉を吐く

  • 4節 神の宮の中に座を設け → 13:4, 8 人々が拝む

  • 8節 主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまう → 17:14 小羊は彼らに打ち勝ちます

  • 9節 不法の人の到来は、サタンの働きによる → 13:12 竜の力をもらう

  • 9節 偽りの力、しるし、不思議 → しるしを行なった

  • 11節 惑わす力 → 13:14 地上に住む人々を惑わし

などのように似ています。

小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります

— 1 ヨハネ 2:18 (紀元後60年代)

愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。

—1 ヨハネ 4:1-4(紀元後60年代)

獣の数字

Jesus (10+300+7+70=387) = יֵשׁוּעַ
Chris Moore (20+200+10+60+40+6+200 = 536) = כריס מור

(50+200+6+50+100+60+200 = 666) = נרון קסר

黙示録13:18の原文異形
 (616 = נרו קסר)
 (665 = נה קסר)

 

地の獣 背教中のユダヤ人の指導者

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14章、17章、18章 バビロン

バビロン==古いエルサレム=偽りの宗教(イエスを拒否)

このハガルは、アラビヤにあるシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、彼女はその子どもたちとともに奴隷だからです。しかし、上にあるエルサレムは自由であり、私たちの母です。

— ガラテヤ4:25,26

19章

 イエスの完全な勝利

参考

A Study of Biblical Eschatology - G.I. Williamson


リーディングプランThe Book of PrayerPrayers of Jesus

リーディングプラン

The Book of Prayer

Prayers of Jesus

祈ってみよう

日 ヨハネ12:27-28
月 ヨハネ17:1-5
火 ヨハネ17:6-19
水 ヨハネ17:20-26
木 ルカ22:31-32
金 マタイ26:39-42, ルカ 22:42,44
土 マタイ27:45-46 ルカ23:33-34, 46

質問

①2章~3章の一部についてジャーナルをして、その適応文と祈りを書いて提出してください。

②黙示録4~19章の概要を作ってみてください。


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タナクにある、永遠の王国(御国)

出15:18, 1歴29:10-12, ダニエル4:3, 詩篇29:10, 詩篇45:6, 詩篇93:2, 詩篇97:1, 詩篇99:1,3, 詩篇103:19, 詩篇145:11-13, 1列22:19, イザヤ6, エゼキエル1, ダニエル7:9, 2歴13:8, ゼカリヤ14:9, イザヤ52:7, オバデヤ21,

成長する王国

‭‭1コリント ‭15:20-26, ダニエル2:35, マタイ28:18-20

どんな区分になる?

  • 前千年王国論 「黙示録の印はすべて、将来のことです」下記の図を参考にしてください。

  • 後千年王国論 「千年王国は今、もしくは将来の教会が地上で黄金時代を迎えます」

  • 無千年王国論 「千年も含めて、黙示録の印は比喩的である」

  • 千年王国無関心 「Pan-millennialism = It’ll all pan out in the end」… 「終末論はあまり関係ないかな?」

  • 総千年王国論 「千年王国はすべての世代にある信者が王です」

「前千年王国論」の将来図。

「前千年王国論」の将来図。


リーディングプランThe Book of PrayerApostolic Prayer

リーディングプラン

The Book of Prayer

Apostolic Prayer

質問

①下記の聖書に出てくる預言的なテーマについて、それぞれが完了、未完了、継続、比喩などに区分して、それを示す聖書箇所を挙げて、説明してください。

•栄光
•墜落
•希望の種
•背教
•御国
•追放
•アリーヤー
•神殿再建設
•メッシア(油注がれた者)
•大苦難
•反キリスト

祈ってみよう

日 使徒4:24-31エペソ1:15-20
月 エペソ 3:14-21 エペソ 6:18-20
火 ピリピ1:3-4, 9-11 コロサイ1:2-4, 9-12
水 コロサイ4:2-4, 12 1テサロニケ3:9-13, 5:23-25
木 2テサロニケ1:3, 11-12 3:1-3, 5, 16
金 テトス 2:11-13 3ヨハネ2
土 ユダ24-25 2コリント13:11-14


 Coming Soon

完全完了論ではない、部分完了論

 これまでに、完了のテーマを旧約聖書、新約聖書をとりあげて来て、完了しているものがあるかどうかについて考えましたが、すべての預言が完了しているとは思いません。聖書がまだ、これから起こらないといけないことについて考えましょう。

御国が世界中に行き渡る

 前回にも記載した「成長する王国」を参考にしてください。THE BEST IS YET TO COME!

中間状態

 聖書の中で、イエスの再臨と伴う復活まで人間の魂は死後その日まで寝ているような状態とされています。

眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。

— 1テサロニケ4:13-14

 寝ている場所について、旧約聖書では義人でも救われない人でも問わず、ヘブライ語で「シェオール」で寝ていると書いてあります。旧約聖書のギリシャ語訳であるLXXではシェオールは「ハデス」と訳されています。そのハデスは、新約聖書で、10回ほど使われています。

 マタイ11:23; 16:18; ルカ10:15; 16:23; 使徒2:27, 31; 黙示録1:18; 6:8; 20:13, 14

 ヘブライ語でシェオール、ギリシャ語でハデスと呼ばれる場所は死者が再臨、復活、裁きを待っている場所です。日本語だと、「墓」に訳すると良いと思います。また聖書のハデスと違いますけどギリシャ神話のハデスは日本の神話における「黄泉」に近いイメージです。裁きのばではなく、死者の国で影に覆われているイメージはどちらの神話的な感じです。しかし、聖書が教えるのは、私達信者がイエス様と一緒になって、とても良い状態になります。

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。…私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています

—ピリピ1:21-23

イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

—ルカ23:43

 シェーオル・ハデスと比較して、「ゲヘナ」は永遠の刑罰の場所です。下記にて取り上げていただきます。

再臨

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

—使徒1:9-11

 マタイ24-25章の中でみました。イエスがかえってくることはいつなるか、私たちにはわかることができません。またイエスの再臨は突然、前兆なく起こります。いつでも帰ってきていいように、心と生活をイエスに聖別されたものとし、聖霊の油がいっぱいでいつも灯台に光がついているようにしましょう。

 再臨の時に一緒に起こることは三つあります。①携挙、②天地が新しくなり、③すべての人は復活し、裁かれます。

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携挙 

私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

—1テサロニケ4:15-18

古い天地、新しい天地

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

—ローマ8:18-21

「第二復活」と裁き

また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

— 黙示録20:11-15

人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」

— マタイ25: 31-46

永遠の刑罰

ゲヘナ

 中間状態で見たシェオール・ハデスと比較して、裁きを受けた不義の人はゲヘナに行くとされています。ヒンノムの谷を意味するヘブライ語のゲーヒンノーム(גי(א)-הינום)を語源とするギリシア語ゲエンナ(γεεννα)に由来する語です。

 歴史において、ヒンノムの谷はエルサレムの近くにあって、ごみが燃え続けて熱い、臭い、煙で曇っている場所でした。そこで、偶像礼拝したユダ王国王は、自分の子供たちを偶像に生贄としてささげて、呪われた場所と言い伝えられて来ていました。

 聖書が教えるゲヘナについて読んでみましょう。

※ マタイ 5:22; 5:29; 5:30; 10:28; 18:9; 23:15; 23:33; マルコ9:43; 9:45; 9:47; ルカ 12:5; ヤコブ3:6.

 ゲヘナは火の池のような苦しむ場所で、そこで神は「たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼす」(マタイ10:28)。その池にはサタンとサタンの味方、キリストを拒む人がすべて投げ入れらるとされています(黙示録20章)。ゲヘナは日本語で「地獄」と訳しても良いと思いますが、聖書が教えるゲヘナと一般のイメージのずれが発生しやすいと考えられます。

 ゲヘナに入るとどうなるでしょうか。聖書を読みながら、神様は何と教えているかについて、啓示を受けましょう。

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問題:人間の魂は

  1. そもそも永遠に生きるものか?

  2. 元々滅びるもので、キリストを信じる人だけに永遠に生きる特権が与えられるものか?

神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。

— 創世記3:22-23

まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません。悪者どもが青草のようにもえいでようと、不法を行なう者どもがみな栄えようと、それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。しかし主よ。あなたはとこしえに、いと高き所におられます。おお、主よ。今、あなたの敵が、今、あなたの敵が滅びます。不法を行なう者どもがみな、散らされるのです。

—詩篇92:6-9

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

— ローマ6:23

耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』

— 黙示録2:7

自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。

— 黙示録22:14

神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現われによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。

— 2テモテ1:9-10

兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。

— 1コリント15:50-53

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

— ヨハネ3:16

参考

Erasing Hell - Francis Chan, Preston Sprinkle

Egregious Error - The Gentle God

http://rethinkinghell.com/explore/index.html

永遠の命

小羊の結婚宴会、裁き後の人生

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また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」すると、御座に着いておられる方が言われた。

「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」

また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが来た。彼は私に話して、こう言った。「ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。

また、私と話していた者は都とその門とその城壁とを測る金の測りざおを持っていた。都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。また、彼がその城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュスあった。これが御使いの尺度でもあった。その城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。

私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。

自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。

御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。

これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。

—黙示録21:1-22:5, 14, 17, 20

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「第二の復活」

 もう一度信者と不信者の復活を比較してみよう。

地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる

—ダニエル12:2-3

善を行なった者は、よみがえっていのちを受け悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。

—ヨハネ5:29

イエスは彼らに言われた。「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子として神の子どもだからです

—ルカ20:34-36

もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。

— ローマ6:5,9

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命であるわたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

— ヨハネ11:25-26

女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました

— ヘブル11:35

ところが、ある人はこう言うでしょう。「死者は、どのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか。」

愚かな人だ。あなたの蒔く物は、死ななければ、生かされません。あなたが蒔く物は、後にできるからだではなく、麦やそのほかの穀物の種粒です。しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。

死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。

兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。

「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」

死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。

—1コリント15:35-57


参考

http://rethinkinghell.com/2017/12/12/the-neglected-doctrines-of-resurrection-and-bodily-transformation/


リーディングプランThe Book of PrayerRevelation

リーディングプラン

The Book of Prayer

Revelation

祈ってみよう

日 黙示録7:9-17
月 黙示録11:15-18
火 黙示録12:10-12
水 黙示録15:2-4
木 黙示録16:1, 5-7
金 黙示録19:1-8
土 黙示録22:12-17,20

質問

①聖書がこれから起こることについて、何と言っていますか。

②聖書は信者と不信者の最終状況、それぞれについて述べてください。そして、自分はどちらになるか、その確信について述べてください。