福音書
ポイント① 四つの福音書の違いとは?
4つの生き物 エゼキエル1:5-14、エゼキエル10:9-14、黙示録4:6-11
マタイ 取税人、ユダヤ人へ、王でいるメッシア、弟子を育つため(ディダケー)、預言を実現するため
マルコ ペテロの弟子、ユダヤ人へ、苦しんだ僕、「どのように」を仕える
ルカ 医者、ローマ人へ、人の子でいる人間になった、癒しの奇跡と歴史を詳しく(使徒につづく)
ヨハネ 雷の子と愛された弟子、マリヤの面倒、エペソへ、ギリシャ人と女性の話、すべてを作り感情豊かな神
※ マタイの福音書はヘブライ語(アラム語)から訳されたかもしれない?その逆?
They have the Gospel according to Matthew in its entirety in Hebrew. For it is clear that they still preserve this, in the Hebrew alphabet, as it was originally written.
— Epiphanius of Salamis, Panarion 29.9.4
※ マルコの福音書はペテロの説教を聞いたマルコが書き残したからして、ペテロの視点からの福音と言われる。
15. “This also the presbyter said: Mark, having become the interpreter of Peter, wrote down accurately, though not in order, whatsoever he remembered of the things said or done by Christ. For he neither heard the Lord nor followed him, but afterward, as I said, he followed Peter, who adapted his teaching to the needs of his hearers, but with no intention of giving a connected account of the Lord’s discourses, so that Mark committed no error while he thus wrote some things as he remembered them. For he was careful of one thing, not to omit any of the things which he had heard, and not to state any of them falsely.” These things are related by Papias concerning Mark.
※ ルカはルカと使徒の働きを書いて、その2書をセットと考えたらいい。
※ このヨハネが他に1~3の手紙と黙示録の著者とされています。でもヨハネは人気の名前ので、他にヨハネはたくさんあります。(例:バプテスマのヨハネは別人物)
ポイント② 福音書の信頼性について
① 外部の証拠ある
② 直後に書かれている
③ 正確に伝達
④ 嘘を付ける裏付けができない
福音の共通部分のミステリー???
同視点福音書の裏にはなくなっているQ原文があるのでしょうか?
個人的意見:エルサレム教会にいた三人は同じ教えを受けていたので、文書がなかったにしても、エルサレム教会によく取り上げられた説教・教えの内容が共通しているかもしれません。もっと言うと、三人とも、本当にイエス様と一緒に歩みました。現代のQ原文説の裏には、その三つの著者が直接いたわけではなく、当時の時代から離れたコミュニティーが書いたというリベラル前提があります。
ポイント③ 福音調和 ~表現の違いを説明できますか?~
福音調和とは、この四つの証言を横に並べた時、表面的な矛盾が見受けられます。この表面的矛盾を説明することを調和と言います。4つの福音書とも、歴史的記録を述べているのではなく、福音のメッセージを忠実に伝えようとしています。しかしながら、同時に、地理的な表現、時間の表現、でてくる歴史的人物はすべて、本当に存在したもので、忠実にイエスのメッセージがその中にあります。表面的矛盾の調和の例をいくつかあげましょう。
福音調和の例
ヤイロの娘はまだ生きていたか?
イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」
—マタイ9:18
すると、会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、イエスを見て、その足もとにひれ伏し、いっしょうけんめい願ってこう言った。「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。娘が直って、助かるようにしてください。」
—マルコ5:22-23
さて、イエスが帰られると、群衆は喜んで迎えた。みなイエスを待ちわびていたからである。するとそこに、ヤイロという人が来た。この人は会堂管理者であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。彼には十二歳ぐらいのひとり娘がいて、死にかけていたのである。イエスがお出かけになると、群衆がみもとに押し迫って来た。
—ルカ8:40-42
マタイでは会った時はすでに死んでいます。マルコとルカでは死にかけています。
しかし、マルコとルカの続きをみると、家に向かう途中で、人が来て、死んだことを知らせます。だれでも、同じ話を別の人、別の時に伝えると、詳細をどこまで伝えるかを考えます。この現象を「伸縮」と言います。多くの場合、話の伸縮でこのような違いが説明できます。また、もう一つ重要なことは、この違いに神学的な重点がかかっていることはありません。
杖をもつか?
また、彼らにこう命じられた。「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻きに金も持って行ってはいけません。くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。」
—マルコ6:8-9
イエスは、こう言われた。「旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません。
—ルカ9:3
胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。
—マタイ10:9-10
マルコは一本を持って大丈夫です。ルカとマタイは持たずに行きなさいと言われた。
福音書はギリシャ語で書かれました。しかしながら、イエスと弟子たちが実際に使っていた言語はアラム語とされています。ギリシャ語に「愛」の言葉が複数あるけど、杖の言葉の意味の範囲が広いですが、アラム語で一本、歩く助けになるような「杖」はもってよくて、泥棒や野獣を追い払うような多きいな「杖」はもってたらいけないという説があります。当時の文化と言葉によって、その文脈から遠く離れた現代人の私達にとっての矛盾は矛盾じゃないこともあります。もう一つの調和説では、持っているなら許されたが、わざわざ一本を買いに行かなくても良いという意味だったと言われています。
どちらにしても、この点においても神学的な重点がかかっていません。
報告したかな?
そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。
—マタイ28:8
女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
—マルコ16:8
マタイでは報告しました。マルコでは言わなかった。
伸縮の話として、最初に恐れて言わなかったが、落ち着いたら報告しに行ったと調和できます。
何人?
彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。
—マルコ10:46
イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。
—ルカ18:35
すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」
—マタイ20:30
マルコとルカは一人の盲人がいたと言っています。マタイは二人がいたと言っています。
まず、違う出来事ということも言えますが、同じ出来事とすれば、一人と言った人はもっといたとは限りません。すなわち、少なくとも一人はいたと調和できます。例えば、マルコとルカはベルテマイの知り合いだったので、彼の癒しについて書きましたが、マタイは二人目のことも知り合いだったので二人がいたと言っている可能性があります。
天使?人間?一人?二人?
すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。
—マタイ28:5
それで、墓の中にはいったところ、真白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。
—マルコ16:5-6
そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。
—ルカ24:4
しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
—ヨハネ20:11-13
人数のことは前のものと同じ、二人がいるなら、当然一人がいました。また、天使が人間として現れた出来事は聖書のあらゆるところにあります。例えば、創世記18:1-2; 19:1、創世記32:22-32;ホセア12:4、ヨシュア5:13-15、士師記13:9-10など
参考
Harmony : https://www.blueletterbible.org/study/harmony/
Inerrency in scripture : https://bible.org/seriespage/12-are-there-contradictions-gospels
Harmonized Chronology of the Gospels: https://aschmann.net/BibleChronology/ChronologyOfTheFourGospels.pdf
質問
①福音調和表をチームで完成しよう。
②調和している時、出て来た外見上の矛盾ありましたか。その説明について考えて教えてください。