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完全完了論ではない、部分完了論

 これまでに、完了のテーマを旧約聖書、新約聖書をとりあげて来て、完了しているものがあるかどうかについて考えましたが、すべての預言が完了しているとは思いません。聖書がまだ、これから起こらないといけないことについて考えましょう。

御国が世界中に行き渡る

 前回にも記載した「成長する王国」を参考にしてください。THE BEST IS YET TO COME!

中間状態

 聖書の中で、イエスの再臨と伴う復活まで人間の魂は死後その日まで寝ているような状態とされています。

眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。

— 1テサロニケ4:13-14

 寝ている場所について、旧約聖書では義人でも救われない人でも問わず、ヘブライ語で「シェオール」で寝ていると書いてあります。旧約聖書のギリシャ語訳であるLXXではシェオールは「ハデス」と訳されています。そのハデスは、新約聖書で、10回ほど使われています。

 マタイ11:23; 16:18; ルカ10:15; 16:23; 使徒2:27, 31; 黙示録1:18; 6:8; 20:13, 14

 ヘブライ語でシェオール、ギリシャ語でハデスと呼ばれる場所は死者が再臨、復活、裁きを待っている場所です。日本語だと、「墓」に訳すると良いと思います。また聖書のハデスと違いますけどギリシャ神話のハデスは日本の神話における「黄泉」に近いイメージです。裁きのばではなく、死者の国で影に覆われているイメージはどちらの神話的な感じです。しかし、聖書が教えるのは、私達信者がイエス様と一緒になって、とても良い状態になります。

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。…私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています

—ピリピ1:21-23

イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

—ルカ23:43

 シェーオル・ハデスと比較して、「ゲヘナ」は永遠の刑罰の場所です。下記にて取り上げていただきます。

再臨

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

—使徒1:9-11

 マタイ24-25章の中でみました。イエスがかえってくることはいつなるか、私たちにはわかることができません。またイエスの再臨は突然、前兆なく起こります。いつでも帰ってきていいように、心と生活をイエスに聖別されたものとし、聖霊の油がいっぱいでいつも灯台に光がついているようにしましょう。

 再臨の時に一緒に起こることは三つあります。①携挙、②天地が新しくなり、③すべての人は復活し、裁かれます。

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携挙 

私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

—1テサロニケ4:15-18

古い天地、新しい天地

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

—ローマ8:18-21

「第二復活」と裁き

また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

— 黙示録20:11-15

人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」

— マタイ25: 31-46