詩篇4

指揮者あて。弦楽器とあわせて。ダビデによる詩篇。

私の呼ぶ声に答えてください
私の正義の神
圧迫される時、視野を広げてくれた
私に好意をみせて、私の祈りを聞き入れてください

人の子よ、いったいいつまで私の誇りを侮辱にするのか
無意味なことを好んだり、嘘を掘り出したりして
セラ

ヤハウェは忠実な愛をもつ者を特別に扱っていることを知れ
ヤハウェご自身は、主を呼ぶ私の声を聞き入れてくれる

揺るんでも罪を犯すな
寝床に、心に
黙って嘆け
セラ

正しい捧げものを捧げろ
ヤハウェを信頼しろ

多くの人が言う、「誰が良くしてくれるだろうか」
私たちの上に御顔の光が昇るように、ヤハウェ

あなたが私の心に下さった喜びは
彼らの収穫とぶどう酒が盛んになった時にも勝る

シャロームの内に寝転がって熟睡しよう
なぜならあなた、ヤハウェだけが、安心した暮らしをくださる

注釈

指揮者 ダビデが定めた礼拝にはリーダーがいました。順序のある礼拝。

弦楽器 ヘブライ語だと弦楽器の音楽は楽しくあざける、人の愚かさを明るくばかにするようなイメージ。

私の呼ぶ声 ヘブライ語は動詞の不定詞(「私の呼び」)ので、アクションがあることに注目。

圧迫の時に視野を広げた 直訳「【狭く】なったら【広く】してくれた」と反対語をつかっている。精神的な狭い・広いととらえて圧迫と視野にしました。

「私の正義」の神 ヘブライ語だと、「正義」に「私の」が語尾としてついているので、この節では「正義」が直接属しているのは「神」ではなくて「私」。すなわち「私の神は正義である」意味ではなく「私を正義にしてくれる神」

人の子 メッシアの事を指しているでしょうか?この詩篇は「人の子」に対してグッチっているので、メッシアじゃないと思います。でも、他人ではなく、著者自身のことかもしれない。

私の誇り カヴォード(重さ・重荷・栄光)

セラ キリスト教だと音楽の指示にとらえている。現代のユダヤ教だと「永遠に」。「無意味な事を好んだり、無限に嘘を掘り出したりして」、「永遠に黙って嘆く」

忠実な愛をもつ者の特別扱い 「ヤハウェは忠実な愛をもつ者を特別に扱っていることを知れ」この一行の神学的な深さは果てない。カスィドは忠実な愛をもつもの。無条件で、なにをしても失うことができない。その人は忠実に神を愛している(「神から忠実な愛を受ける人」というよりも)。特別扱い=ヒプラ。世と違う扱いされる!それは何か?主が私の呼ぶ声を聞いてくれるのです!

黙って嘆く 「ダマム」というヘブライ語だと、静まる意味もあるし、ちゃんとした言葉にならないような泣き方も示すことばです。ここでは、怒った時は、罪を犯さないで、寝床や心の中でそれを処理するように言っていると思います。

正しい捧げもの 公平なもの。相応しいもの。命令形で、人間の心に語っています。捧げる事は不安でしょうけど、「ヤハウェ」だから信頼できて、してくれたことを考えて「公平」に捧げなさい。

誰が? 日曜学校の質問ですね。

御顔の光が昇る ヘブライ語に「顔」は臨在を表す。その光が昇るのは太陽のように待てばちゃんとくる。徹夜の祈りの時、日の出の直前は一番つらい時。

収穫とぶどう酒が盛んになった時に勝る喜び この世の成功に勝る喜び。

シャローム 健康で豊かにしてくれる平安。私に属する性質?はい(主よ、そうしてください)。神に属する性質?はい。神の呼び方?はい。

寝転がって熟睡する 年をとっていくにつれ、ダビデが語る熟睡のテーマが希望になりますが、最後の節にこれが来るとそもそも、この詩篇は寝かすための子守唄かもしれないと、再度その様に読む。小さいソロモンを抱っこしながら、これをうたったのかな?アブサロムは赤ちゃんの時にこれを聞いていたのかな?

安心した暮らし ここの安心は安全面の心配がなく、そのほかに不安になることもない。

単語帳

神(エロヒーム)
ヤハウェ
ご自身

御顔
あなた

正義
広げる
好意
聞き入れる
特別に扱う
良くしてくれる

昇らせる
下さる
シャローム
だけ

私(語尾)
忠実な愛をもつ者

呼ぶ
圧迫
祈り
誇り
侮辱

喜び
寝転がる
熟睡する
安心
暮らす

人の子
多くの人

無意味のこと
好む

掘り出す
知る
揺るぎる
罪を犯す
寝床

黙って嘆く
正しい捧げもの
捧げる
信頼する
収穫
ぶどう酒
盛んになる

指揮者

弦楽器
詩篇

セラ