詩篇3

ダビデによる詩篇、息子アブシャロムの前から退却した時に。

ヤハウェよ。私を反対する人がどれだけ多いのか
私に立ち向かうものは多くいる

私の魂に対して物言うものは多くいる
神に彼の救いがない」と
セラ

しかし、あなた、ヤハウェ、私を取り囲む盾
私の栄光、私の頭の高揚

私は、私の声でヤハウェを呼ぶ
そして主は私に答えてくださる、聖なる山から
セラ

その私は寝転がって熟睡してから
起きました、なぜならヤハウェは頼れる、応援してくださる主だ

無数の人々だって、恐れることないよ
私が彼らに囲まれたことがあっても

立ちあがってください、ヤハウェよ
私を救ってください、私の神
私の敵、みんなのあごを打ったから
悪い人の歯は砕かれた

ヤハウェには唯一の救い
あなたの人々にあなたの祝福を
セラ!

注釈

息子アブシャロムの前から退却した時 2サムエル15章

神に彼の救いがない (ユダヤ教の学者ラシ:「ダビデは他人と結婚していた女性と寝たから、神にでも救いがないとも言われていた。」)

セラ キリスト教では音楽の指示と受け取っている。例えば、賛美中の自由にそれぞれがここで個人的な感謝をささげることなど。現代のユダヤ教の訳では単に「永遠に」と訳されます。「ダビデは神にでも永遠の救いがない」、「主は永遠に聖なる山から答えてくださる」、「あなたの人々にあなたの祝福は永遠に続く」など

「私の栄光、私の頭の高揚」 原文的には三つぐらいの読み方にできると思います。
①「主は私にとっての栄光であり、主は私の目線を上げて前向きにしてくれる」
②「主は私の重荷を持ち上げて、また精神的な暗さを明るくする」
③「主は私に王としての栄光と高い権力をくれる方」
言葉の順的には「もちあげる」の動詞は「私のカヴォード(重さ・栄光・重荷)」にかかっていなさそうため、前行の続きの中での主に対する呼び方の連続するリストの項目で、①がもっとも良い解釈と思いますが、詞なので言葉の順を完全に信頼できない。①も②も、直訳した「頭を持ち上げる」の解釈を英語のネーティブとしての感覚に従って「誇りや希望をもたらしてくれる」ことにしたのですが、ヘブライ語のニュアンスは「昇進させてくれる、権威を高くする」というとらえ方もあります。かりにそうすれば、また③はこの詩篇の王と王座を奪おうとしている息子という文脈を考えるなら、可能性はゼロではないと思います。

聖なる山 シオン。エルサレム。

最後の節 ユダヤ人訳では「ヤハウェには救うこと、あなた(主)の人々にはあなたを永遠に祝福(賛美)すること[が定めている]」ととらえている。

最後の節の最後の言葉 このセラにはダゲッシュが入っている。イメージは「ッセラ」で、強調的ととらえて「!」を付けました。

単語帳

神の呼び方

ヤハウェ
神(エロヒーム)
あなた

神について(動詞・属する名詞など)

救う
囲む

答える
頼れる応援をする
立ちあがる
打つ
砕く

著者・歌手の呼び方

私の魂
私の頭
私の声
その私

著者・歌手について(動詞・属する名詞など)

栄光
高揚
呼ぶ
寝転がる
熟睡する
起きる
恐れる

敵役の呼び方

反対する人
無数の人々

悪い人

敵役について(動詞・属する名詞など)

立ち向かう
物言う
囲む
あご

その他の神学的に重要な単語

セラ
聖なる山