黙示録研究

黙示録研究

 

1、黙示録の解釈において、あなたは過去主義、歴史主義、未来主義などいろいろな解釈の立場がありますが、そのどの立場に立った解釈しますか。どうしてそういう立場に立つのですか。

 

 尾山先生は未来主義が一番自然な読み方でしょうと教えてくださいました。

 

 黙示録は二つの事を示しています。イエスキリストという「マン」と、神の計画という「プラン」ですが、1章1節から、プランよりもマン、イエスキリストについての啓示を読みながらうけるべきだと思います。

 

しかし、神の計画、その「プラン」について、ヨハネが見た黙示については、「ἐγενόμην ἐν Πνεύματι」「私は霊にいた」と言います。霊に見たことを述べている。また、「σημεῖον μέγα ὤφθη ἐν τῷ οὐρανῷ」「天に偉大なしるしが現れた」などと言います。天に見たことを述べている。比喩的な解釈をせず、ヨハネは実際に霊において、天の視点から見たものを書き記そうとしたと思います。

 

私はこの霊の視点、天の視点、神の視点を「永遠の視点」と言います。黙示録は、永遠から永遠まで、すべての人類の歴史と未来についてのプランと思います。なので、ただ過去でもなく、ただ未来でもない、総合的な永遠から永遠までの啓示と思っています。時間の外から見た啓示です。

 

従って、ヨハネが黙示録に書き記す様々のしるしは時間的に一列の順番に出てくると思っていません。ダニエルの2、7、8、9、11-12のように、黙示録は、それぞれの出来事をさまざまの形で見たと思います。

 

この霊的「永遠の視点」を持ち、逐語的に文字の通りに読むなら、千年王国など、黙示録の解釈は変わります。5問目、8問目、10問目の回答も参考にしてください。



 

2、この書物は、ほかの聖書の箇所とは違った書き方がされています。なぜこのような一見奇異に思われる書き方をしているのでしょうか。

 

 尾山先生は迫害されている中、見つかっても理解ができないようにわざとそうしていると教えてくださいました。確かに、未信者にとって、理解ができず、開いていないものになっています。

 

 また、ヨハネは「霊において」見たものを書き記そうとしていますが、「霊」にあるものは、この世の言葉に表しがたいものも沢山あると思います。例えば、獣の見た目は、実際に見たものをできる限りギリシア語で表現しようとしたが、言葉が足りていなくて「獣」としか表せなかったと思います。

 

3、1章20節、2章1,8,12,18節、3章1,7,14節には、「教会の使者」という言葉があります。この「使者」を、新改訳は「御使い」と訳し、新共同訳は「天使」と訳し、現代訳は「責任者」と訳しています。どれが一番よく当てはまっていると思いますか。

 

  尾山先生は「責任者」が良いと教えてくださいました。教会のリーダーを指すという立場も分かります。

 

  ギリシア語で「ἄγγελος」の意味は「知らせを持って遣わされたもの」です。新約聖書の他の箇所ではこのメッセンジャーは人間である場合もあり、霊的な存在である天使(参考:英:angel=ギリシア語: ἄγγελος)である場合もあります。人間か天使かが不明瞭の場合、「知らせるもの」という機能を示すギリシア語において元の意味に立つ言葉が良いと思いますので、「使者」が良いではないかと思います。

 

4、「ヨハネが受けたキリストの啓示」(黙示録)のアウトラインを作ってください。

1.         イエスキリストの啓示 1:1-20

2.         7つの教会への手紙 2:1-3:22

(ア)   第一の教会 エペソ

(イ)   第二の教会 スミルナ

(ウ)   第三の教会 ペルガモ

(エ)   第四の教会 テアテラ

(オ)   第五の教会 サルデス

(カ)   第六の教会 フィラデルフィヤ

(キ)   第七の教会 ラオデキヤ

3.         天の啓示 4:1-5:14

(ア)   創造主への歌 4:1-4:11

(イ)   贖い主への歌 5:1-5:14

4.         7つの封印を解く 6:1-8:1

(ア)   第一の封印 白い馬 勝利

(イ)   第二の封印 赤い馬 戦争

(ウ)   第三の封印 黒い馬 飢饉

(エ)   第四の封印 青ざめた馬 死

(オ)   第五の封印 殉教者 復讐を祈っている

(カ)   第六の封印 小羊 怒り
*幕間:144000人の印、御座の前の大勢の群衆 7:1-7:17

(キ)   第七の封印 天が鎮まる

5.         7つのラッパ 8:2-11:19

(ア)   第一のラッパ 血の混じった雹と火

(イ)   第二のラッパ 火の燃えている大きな山のようなもの 

(ウ)   第三のラッパ 星が天から落ち 

(エ)   第四のラッパ 太陽、月、星の三分の一が暗くなった
*幕間:3つの災いが来る 天使の忠告 8:13

(オ)   第五のラッパ 第一の災い 底知れぬ穴が開く いなごの災い

(カ)   第六のラッパ 第二の災い 四人の天使 騎兵の災い
*幕間:七つの雷 小さな巻物 都の破壊 10:1-11:14

(キ)   第七のラッパ 主は永遠に支配される
*幕間:女、竜、子供のしるし12:1-17
*幕間:海の獣、陸の獣 子羊と144000人 天使の歌と収穫 13:1-14:20

6.         7つの鉢 15:1-16:21

(ア)   第一の鉢 ひどい悪性のはれもの

(イ)   第二の鉢 海は死者の血のような血になった

(ウ)   第三の鉢 川と水の源は血になった

(エ)   第四の鉢 太陽は火で人々を焼く

(オ)   第五の鉢 獣の国は暗くなった

(カ)   第六の鉢 かえるのような汚れた霊 ハルマゲドン

(キ)   第七の鉢 「成就した」 バビロンの裁き

7.         バビロンの裁き 17:1-18:24

8.         天の喜び、小羊の婚宴 19:1-10

9.         キリストが来て、最後の裁判 19:11-22:5

(ア)   「王の王、主の主」

(イ)   神の敵が殺される

(ウ)   サタンが縛られる

(エ)   千年王国

(オ)   サタンが解放されて、神の最終勝利

(カ)   大きな白い御座の裁き

(キ)   新しい天と新しい地、新しいエルサレム

10.     結び

 



 

5、千年王国について、三つの解釈がありますが、あなたはどの解釈を支持しますか。その理由を述べてください。

  尾山先生は前千年王国の方が自然を教えてくださいました。逐語的に読む多くの人はそう教えています。私も、伝統的な三つの解釈の中では、前千年王国が逐語的な読み方に近いと思います。しかし、私が逐語的に聖書を読んでも、代表的な三つの解釈のどれもを100%そうであると確信できません。

 

比喩的な聖書解釈を受け入れませんので、無千年王国論は拒みます。「千年王国」はあると思います。

 

70年の神殿破壊の時に実現されたと解釈できるものが多くあり、後千年王国論の解釈の当てはまる内容の多さに驚きます。しかし、全世界に影響するような出来事などをどうとらえるか、イメージの多くを全く別のものに解釈していかないといけないので、後千年王国論だと文字の通りに読むことができなくなり、部分的に同意できません。といいながら、同様に、黙示録の内容をダニエル2、ダニエル7、ダニエル8、ダニエル9、ダニエル11-12、テサロニケの「不法の人」、マタイ23-25、マルコ13、ルカ21など多くの箇所と比べてみると、70年の神殿破壊の時に、実現されたように見える内容が多くありますので、完全な未来主義も同意しがたいのです。

 

1問目の回答に示したように、ヨハネは霊において永遠から見た天の視点を持って、逐語的に読むと、後千年王国論の指摘も、前千年王国論の指摘も解決できると思います。

 

ここで、千年王国にはどのような特徴があるかを見てみます。4節~6節を読むと、イエスを信じた人は千年間の間、治めたこと、これは「第一の復活」と言います。

 

「第一の復活」について、ヨハネ11:24-25を見ると、将来の復活ではなく、イエスが現在形を利用して「私は復活である」と言います。そして、使徒の働き26:23でイエスは十字架にかけられた後、死からの最初の復活を過去形で遂げていると言います。黙示録1:5-6では、この「死者の中から最初に復活した方」は過去形で「わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった」。いつそうしたでしょう?エペソ2:5-6、「罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし[た]、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―― キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ[た]ともに天の所にすわらせてくださいました。」この「生かした」と「よみがらせた」、二つともギリシャ語で過去形です。

 

 また「千年」という一句はギリシャ語で「χίλια ἔτη」。黙示録20章以外に、聖書全体では後一か所しかありません。2ペテロ3の中に、終末論について教えている前後の文のなかで、2ペテロ3:8「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」。主にとって、永遠の視点からみると「千年」とは人間の時間に関係ありません。尾山先生も「千年」の数字を象徴的にとらえていると教えてくださいました。

 

すなわち、恵みによって救われた時に、クリスチャンになった時、第一の復活を受けて、霊において回復しましたと聖書は教えています。ということであれば、「千年」のタイミングは少し救済論によりますが、創造された時から終末まですべての時に、救われた人達はイエスとともに治めていることも、聖書の中に見受けられます。人間のクロノス全体に「千年王国」があると思います。再度、黙示録20を読んでみます。

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私はこのような「Pan-millennial」解釈を持っています。

6、ハルマゲドンの戦いは、どういう性質の戦いでしょうか。

  尾山先生は霊的な戦いで、地上の国々がエルサレムの周りで戦うというわけではありませんと教えてくださいました。

 

  「ハルマゲドン」とは「メギドの丘」のギリシャ語です。旧約聖書では、「メギド」という地名は12回出てきますが、その内、何回かは、イスラエルの戦場となっていた。例えば、2歴代誌35:20-23と2列王記23:29-30には、ユダの王、ヨシヤがユーフラテス川に行って戦おうとしているエジプトの王ネコと、メギドで戦って死にます。このメギドとは、ユダヤ人の王国の最後の良い王が殺された場所です。

 

新約聖書では「ハルマゲドン」という言葉があるのは、黙示録16:16だけです。まず、16章16節の文脈を見ます。6つ目の鉢のことですので、7つの鉢を持っている天使のところから見ます。

 

黙示録15:1-2

また私(ヨハネ)は、天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。神の激しい怒りはここに窮まるのである。私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。

 

 ここで、二つのポイント。まず、ヨハネは「天にしるしをみた」ことは重要だと思います。また、ほかのしるしとのタイミングで考えるなら、七人の天使が鉢を注ぐ前に、獣とその像などはすでに負けていることが示されていることがヒントになります。

 

その後、順番に7つの鉢が注がれていきます。1~5つ目は、様々な災いを起こしますが、10-11節のように、「人々は苦しみのあまり舌をかんだ。そして、その苦しみと、はれものとのゆえに、天の神に対してけがしごとを言い、自分の行ないを悔い改めようとしなかった。」

 

そして関心の6つ目の鉢は下記のようです。

 

黙示録16:12-16 (新改訳)

第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。――見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。―― こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた

 

 16節をギリシャ語でみると「καὶ συνήγαγεν αὐτοὺς εἰς τὸν τόπον τὸν καλούμενον Ἑβραϊστὶ Ἁρμαγεδών.」新改訳と、違うことがいくつか指摘できます。

 

原文に主語の言葉は存在しないけれども、「彼らは。。。集めた」は「συνήγαγεν」から訳されています。しかし、この動詞の主語は「第三人称の単数形」ので、「彼らは」ではなく、「彼は」が主語です。カエルのような霊は三つ、王も複数いるので、この聖句の単数形の存在は二つ、直前に語る「イエス」と、鉢を注いだ「天使」です。どちらにしても、アルマゲドンで集めた主語にあたるのは神様の側に立つものと思われます。

 

また、新改訳は「王たちを」と訳していますが、ギリシャ語は「αὐτοὺς」=「彼らを」としか書いていなくて、別の訳だと「彼ら」が指しているのが「カエルのような霊」だったりします。「王たち」のことにしてみると、その「王たち」について見てみましょう。二通りの記述があります。「日の出るほうから来る王たち」「τῶν βασιλέων τῶν ἀπὸ ἀνατολῆς ἡλίου」と「全世界の王たち」「τοὺς βασιλεῖς τῆς οἰκουμένης ὅλης」。この二つとも、ほかの聖書箇所に一度も出てきません。特に「全世界の王たち」に似た意味の言葉は黙示録19章を始め、旧約聖書のLLXでもいつも「οἰκουμένης」ではなく「γῆς」、「地の王たち」のギリシャ語で表記されていますので、ほかの箇所に同一の集められたものが登場する訳ではないのです。

 

そして、カエルのような霊は「戦いに備えて、彼らを集めるため...全世界の王たちのところに出て行く」けれども、この6つ目の鉢の話は、「彼は彼らを集め」てから、戦ったとはかいていません。7つ目の鉢、それにつづくバビロンの裁きなどに、集められた「全世界の王」、もしくは、「カエルのような霊」について、明確なことは一切、書いてありません。

 

結論でまとめると、ギリシャ語の元文で分からないことが分かることよりも多くあります。分かることは「ハルマゲドンに集めた」ことですが、目的語のところで「だれが集まった」、そして集まってからのことも、分かりません。他の聖書箇所とリンクするためを考えるのに、「ハルマゲドン」という地名は他に出てこないし、集まったのが「カエルのような霊」でも、「日の出るほうから来る王たち」でも、「全世界の王たち」でも、三つとも明確に登場する箇所は他にありません。

 

黙示録のギリシャ語にあるのは「ハルマゲドンの戦い」というよりも「ハルマゲドンの大集合」としか言えません。「ハルマゲドンの戦い」は旧約聖書での、ヨシヤなどの戦いです。

 

7、この世の終わりに起こることを順序だてて書いてください。

よくある前千年王国論の順序はこのようです。

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私が思っているものを簡単にまとめます。一般的な後千年王国の順序に近いけど、私は教会の時代に旧約時代もいれる。イエスを信じることだけがすべての時代に唯一の救いの道、永遠に適応すると思います。ヨハネ1章など

 

⓪「始めに」三位一体による天地万物の創造(ヨハネ1、創世記1)、
サタンの墜落?(エゼキエル28:13-19など)

↓ 「現在の時代」

①「艱難」の時、「回復」の時が繰り返すが
・永遠の福音の啓示が旧約の時代から十字架まで、そしてその後も(宗教改革など)、
 よりはっきり見えてきます。それは、後に来る啓示は置き換えるではなく、前の啓示に従って、それを 

明確にし、より現実化する(ヘブル1:1-2、ローマ16:25-26)
・イエスの御国が拡張していき、最終的に勝利が満ちます。(1コリント15:20-26)

※     「現在の時代」の中で救われる人は「第一の復活」を受けます。(エペソ2:5-6)
 現在の時代の命が終えることは「第一の死」です。(黙示録20:5)

↓ 「終わり」 ②、③はほぼ同時進行 

②サタンが解放されて、最後の戦い。イエスの完全な勝利。(黙示録20:7~10)

③再臨と携挙:1テサロニケ4:15-18

↓ 「すべてが新しくなる」(黙示録21:5)

④大きな白い御座の裁き:黙示録20:11-15

・永遠の命(第二の)復活:2コリント5:1-4、1コリント15:40~55

・それとも永遠の死(第二の死)

⑤新しい天と地:ローマ8:18-21、黙示録21章 

 

※また、7問目の回答の表を参考にしてください。

8、どうして「今から後、主を信じる者として死ぬ人は幸い」なのでしょうか。(14:13)

  尾山先生は必ず、天国の素晴らしさ、イエスが一緒におられる天国に行けるからと教えてくださいました。

 

単に「主を信じる者として死ぬ人は幸い」といえると思います。さらに、続きで聖霊がコメントします。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」主を信じて死ぬ人は安らぎと永遠の命を得ます。

なぜここで、「今から後」がついているかということは長年議論されて来ました。どの時にも、「主を信じる者として死ぬ人は幸い」と思いますが、「今から後は」の質問のカギは「」がいつでしょうか。この言葉の前後を調べて、どの節からどの節までが「今」に含まれるかというと14:6~13ではないかと思います。3人の天使が「永遠の福音」を伝える時が「今」と思われます。「永遠の福音」が伝わったのは、創造主の創造の働きから語られているのです。

 

黙示録14:6-7 また私は、もうひとりの御使いが中天を飛ぶのを見た。彼は、地上に住む人々、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音を携えていた。彼は大声で言った。「神を恐れ、神をあがめよ。神のさばきの時が来たからである。天と地と海と水の源を創造した方を拝め。

 

ローマ1:19-20 なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

 

9、「子羊の婚宴」(19:9)とは何ですか。どうしてそこにまねかれている人は幸いなのでしょうか。

尾山先生はすでに、十字架でなさった贖いのわざによって教会はキリストの花嫁になって結婚が成立し、この婚宴はその後に来る披露宴のようなものと教えました。また、この婚宴は聖餐式とも連携していると教えてくださいました。

 

この聖句で「招かれた人」は、教会である嫁とは別にして、旧約聖書の聖徒など、教会に含まれない救われた人と解釈する人がいます。ギリシャ語的にはそのように書かれていないので、そこまで読み込む必要はないかと思います。招かれた人も花嫁もクリスチャンの人達だと思います。

  同じ19章でもう一つの晩餐が書いてあります。17,18節の「神の大宴会」に参加する人は、食べる側ではなく、肉として食べられる側です。その二つのどちらかであれば、小羊の婚宴に招かれた方が幸いだと思います。

 


 

10、この黙示録は、どういう性質の本ですか。だれに対して書かれたものでしょうか。

すべてのイエスを信じる人にとっての良い知らせです。読みながらイエス・キリストをより深く知り、そしてすべてを益にしてくださる希望を持つようになるための書物だと思います。また、やがてくる終わりの時に備えるように注意されます。

 私の解釈では黙示録は、過去主義のように、ただ過去の70年の神殿破壊を通った人だけのための書物ではありません。また、歴史主義のように、ただ宗教改革時代のルーターなどだけのための書物ではありません。また、未来主義のように、ただこれからくる苦難や再臨、千年王国の前後の人だけのための書物ではありません。

 永遠の視点から見たものとして、その全ての世代に適応して、現在の我々にとっても取り巻く霊的な戦いについて述べていると思います。