使徒の働き研究

使徒の働き研究

 

1     ペンテコステまでにどんなことがありましたか。

 

 イエス様が昇天してから、11使徒と120人の信者は集まって祈り、聖霊様がくることを待ち望んでいました。その中で、12人目の使徒の場を任命するためにくじを引いて決めました。

 

2     ペンテコステの意味について述べてください。

 

 ペンテコステはギリシア語で過ぎ越しの祭りから50日後のシャブオットをさしています。出エジプト記34:22から説明されていますが、イスラエルでの麦収穫感謝祭になります。ユダヤ教では伝統的にもう一つの意味を持っていて、モーセが十戒を与えられた日として祝います。モーセは律法が与えられて、山から下ると、3000人が殺されました。(出32:28)その日を祝うペンテコステに聖霊様が下り、聖霊の洗礼を受けて説教した後に、同じ数字の3000人が救われました。(使2:41)まさに、2コリント3:6「(律法の)文字は殺し、御霊は生かすからです。

 

3     初代教会におけるペテロたちのメッセージを一言で言うと、どういうことですか?

 

使徒2:36「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」

 

4     初代教会において最初に起こった問題はどういうものでしたか。どうして彼らはたちどころ

に殺されてしまったのでしょうか。(使5:1~10)

 

ある夫婦が献金した時、嘘をつけて、突然死んでしまいました。ペテロが説明します。「どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」

 

1  聖霊降臨後の新約時代の出来事なのに、「どうして」旧約時代を彷彿とさせるように即物

的な裁きがあったのか

 

尾山先生はこれが経綸の切り換え中に起こった出来事と教えてくださいました。

 

2  「どうして」献金を誤魔化したくらいで殺されてしまったのか

 

  これは献金の問題ではなく、神様を騙すことができると思っていたことが神様の権威に反するものである。ペテロはさらに、「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。」

 

3  「どうして」ペテロに生殺与奪の権があるかのように、彼の一言で二人は死んだのか

 

              ペテロではなく、二人が死んだのは、言えば、内側の霊的な死が外側の体に表らせた神の御業でした。

 

5     次に起こってきた問題の時、人々はどう対処しましたか(使6:1~6)

 

 教会が集まると食事をしていたと書いてあります。その中で食物の配布が不公平に行われているとの声が上がったので、御言葉と祈りの奉仕から、人に仕える奉仕を分けて、担当する人を任命しました。

 

6     初代教会において迫害が起こった時、人々はどうしましたか(使8:1,4)

 

 迫害が来たら、信者は散らばっていきました。しかし、行く所々福音を伝えて、信仰を広めました。

 

7     パウロの回心について述べてください(使9:1~19)

 

 パウロは自分の回心について、こういっています。

ピリピ3:5-11 「私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。」

 

 

8     パウロたちの伝道旅行はどのようにして始まったのですか(使13:1~3)

 

 アンテオケの教会の中から、聖霊の導きによって、バルナバとサウロは送り出されました。

 

9     第一回伝道旅行ではどこへ行き、そこで何をしましたか(使13:4~14:27)

 

 キプロス島と現代のトルコの中南部を訪問して、そこにあるシナゴーグを中心に福音を伝えました。異邦人の人の足を癒したら、ギリシアの神々と思われたので、異邦人にも福音を説教しました。行く場所すべてに、ユダヤ人の迫害がありました。

 

 

10     どうしてエルサレムで教会指導者会議が開かれたのですか。そこでは、どういうことが確認

されましたか(使15:1~21)

 

 信じたユダヤ人の中で、モーセの律法、特に割礼に関しても、異邦人の信者は従うべきではないかと言っていた人が出てきました。この会議ではこの点を議論した末、この三つに従わせるように確認しました。「①偶像に供えて汚れた物と②不品行と③絞め殺した物と血とを避けるように」。現代のユダヤ教にもこれらを含めた7つの「ノアの律法」が取り上げられます。ノアは全人類の父にもなるので、ノアに与えられた律法は全人類に当てはまるとされています。

 

11     第二回伝道旅行では、幻により神の導きを確信してマケドニヤへ行ったのに、最初の町ピリ

ピでは、ルディヤとその家族、占いの霊につかれた女が救われただけで、どうして投獄される

というひどい目に遭わなければならなかったのでしょうか。(使16:8~34)

 

ピリピで初めてヨーロッパの宣教になりました。この町は、小ローマと言われるほど、帝国の力が集まった町です。ルディアはテアテラ市、パウロが元々行きたがっていた地域の人でした。ピリピに行くことによって、ルディアを通して、その地域の福音のカギとなる人と主は出合わせましただけではありません。ある女性が占いができなくなり、女の主人の声が上がり捕まえられた。その多くの苦しみを経験したにもかかわらず福音が進んでいたので、聖霊の導きを感じます。

 

12     アテネのアレオバゴスの丘でパウロがした演説はどういうものでしたか。(使17:22~31)

人々が彼の演説の途中で帰ってしまったのはなぜですか(使17:32)

 

すべてを作っておられた主が私たちをおつくりになって、人間の手によって作られるものではないと教えていました。また、パウロが復活のことを話すと帰る人がいました。ギリシャ神話のダイアナ像など多くの偶像を礼拝していた人達の仕事も、この教えによってなくなるとも考えられるし、復活の話がありえなかったでしょう。

 

13    エペソには、聖霊(*)について知らない信者がいたようですが、どうしてなのですか(使19:1

~6)

 

アポロがキリストについては知っていたが、聖霊の働きについては知らなかった。おそらく、イエスの十字架と復活後けれども、ペンテコステの日より前にエルサレムから出たキリストについての教えを受けていました。聖霊の教えがなかったので、聖霊の実を結んでいなかったとみて、パウロが聞いたと思われます。

 

14    パウロがエペソ教会の長老たちをミレトに招いて語った説教の内容はどういうものでしたか

(使20:18~35)

 

もうエペソに戻ることはないと分かっていたそうですので、真実な信仰を守るように、信じている人達の信仰を守るように教えました。

 

15    パウロはなぜクリスチャンを迫害したでしょうか(使22:3~4、26:9~11)

 

それが神様の前で受け入れて正しいことと教えられて思っていたと思われます。

 

16    パウロはどうしてローマ皇帝に上訴したのでしょうか(使25:11)

 

自分を守るという意味よりも、ほかの信者も迫害から守られるように願っていたと思われます。

 

17    パウロはローマへ船旅において、船長や航海士以上に確信をもって人々に語っています。

どうしてなのでしょうか。(使27:9~10、21~26)

 

神様がパウロに、パウロがローマ皇帝にあって、一緒にいる人達が救われることを教えました。

 

18    パウロはマルタ島で柴から出て来たまむしに噛まれながらも死にませんでした。どうしてだ

と思いますか(参考 マルコ16:18)

 

 イエス様がそう預言しました。マルコ16:18「蛇をつかむことができ、たとえ毒を飲んでも決して害をうけない。

 

19    ローマに着いたパウロは、そこで何をしましたか(使28:30~31)

 

パウロは御国を告げ知らせ、大胆にイエスの福音を教えました。

 

20    使徒の働きを書いたルカは、どこからその資料を得たのだと思いますか。

 

パウロとパウロを教えてバルナバ。また、自分も一緒にみた内容もありました。