預言研究

預言研究

 

小預言書のうちどれか一書を選んで説教演習メッセージを作ってください。その書全体についても、一部についてでもいいです。長さは自由です。

 

(「。。。」のところは実際に人の前で話す時、聖霊の導きによっては証をシェアしたり、説明をさらに加えます。)

 

タイトル:神様は国々、個々の希望 (ミカ書より)

 

今日はミカ書を見ていきたいです。ミカを紹介すると、まず名前は「神のようなものは誰でしょう?」という意味です。その偉大さを称えるために呼ばれた預言者です。。。

 

ミカが生きていたのは約2700年前の中東ですが、ある意味、現在の日本に住む私たちとはそこまで離れていないことも言えます。その時代の人の多くは、お金、名誉と権力の誘惑を追い求めて他人を苦しませていた。。。宗教や正義の形だけ欲しくて、真理を拒む時代でした。。。

 

ミカ書:

6:10 まだ、悪者の家には、不正の財宝と、のろわれた枡目不足の枡があるではないか。

6:11 不正なはかりと、欺きの重り石の袋を使っている者を罪なしとすることがわたしにできようか。

6:12 富む者たちは暴虐に満ち、住民は偽りを言う。彼らの口の中の舌は欺く。

...

7:2 敬虔な者はこの地から消えうせ、人の間に、正しい者はひとりもいない。みな血を流そうと待ち伏せし、互いに網をかけ合って捕えようとする。

7:3 彼らの手は悪事を働くのに巧みで、役人は物を求め、さばきつかさは報酬に応じてさばき、有力者は自分の欲するままを語り、こうして事を曲げている。

7:4 彼らのうちの善人もいばらのようだ。正しい者もいばらの生け垣のようだ。あなたの刑罰の日が、あなたを見張る者の日が来る。今、彼らに混乱が起きる。

 

1列王記:

12:28 そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」

12:29 それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。

12:30 このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。

 

現在の日本はどうですか?この国の文化は「不正の財宝」を得ようとして、「偽りを言う」住民になっていませんか?この世の調子と合わせていく時代。堕落した結果に走り続けています。

 

個人的にはどうでしょうか?私たちの心は神の住まい(「ベテル」。。。)のはずですが、そこに何の「金の子牛」がいるでしょう?真理のところに嘘が存在しているでしょうか?恥?怒り?足りない?届けない?汚い?。。。

 

これだけがミカのメッセージであったら、大変なことになります。私もこの落とし穴に陥ってしまいます。。。ミカに3つの希望の言葉が与えられて、それが、今日の私たちのためになる言葉だと思いますので、一緒に学んでいきたいと思います。

 

1.「倒されても立ち上がる!」

 

ミカ書

7:7 しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いてくださる。

7:8 私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。

7:9 私は主の激しい怒りを身に受けている。私が主に罪を犯したからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。主は私を光に連れ出し、私はその義を見ることができる。

 

7、8節にはすごく励まされます。口に出して言いたくなります。「私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がりますから!」。。。

 

しかし、9節も見つめるべきです。後半は同じように、励まされる。「主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。主は私を光に連れ出し、私はその義を見ることができる。」でも、この前にまず、「私が主に罪を犯したから、激しい怒りを身に受けている。」自分の罪を認めて初めてこの結果になります。

 

ナチスに殺害された宣教師、ディートリヒ・ボンヘッファーはその時にあった妥協するクリスチャンに対して、強く注意しました。クリスチャンと言いながら、本当の弟子にならず、弱い立場の人を助けなくていいと思った人について、「安価な恵み」(Cheap Grace)の教えを指摘した。

 

ディートリヒ・ボンヘッファー(モア訳で失礼します)

「安価な恵みとは、悔い改めの不要な赦しの説教、教会の訓練なしの洗礼、告白のない聖餐式、個人の告白なしの罪障消滅だ。安価な恵みは弟子として訓練されない恵み、十字架のない恵み、生きておられて、ともにおられるイエスキリストなしの恵みだ。。。『クリスチャンが世の富をもって安心すればよいのだ。恵みを得たことで平安と安らぎを持つべきです。なぜなら、恵みだけがすべて成し遂げて下さったからです。キリストについて行かず、恵みの中で得たものを楽しめばいいのです。』これは安価の恵みです。。。すべてをイエスのために捨てたといえる人のみが、恵みだけによって正義とされたことを言えます。これこそ高価なめぐみです。」

 

イエスが偉大な代価を支払ってくださいました。私たちの身代わりで裁きを受けました。でも、告白する時忠実に許してくださいます。

 

1ヨハネ

1:6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。

1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。

1:8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。

1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

1:10 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。

 

イエスが光です。罪を暗い中に隠そうとすれば、いつまでたっても自由になれません。イエスの光の中に歩むなら、イエスは真理で正しい。。。だから許せるのです。私の忍耐が足りない時に許してくださいます。愛が足りないとき、許してくださいます。栄光を返すように生きていない時でも、許してくださいます。でも、その光に生きることによって、恵みによって変えられます。払ってくださった代価に感動して、圧倒されるので、前の生き方に戻れなくなります。

 

2.神様に近づける方法

 

ミカ書

6:6 私は何をもって主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。

6:7 主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか。

6:8 主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。

6:9 聞け。主が町に向かって叫ばれる。――御名を恐れることがすぐれた知性だ。――聞け。部族、町を治める者。

 

日本人はルールが好きです。宗教も好きです。従いやすいし、形が整っているのが気持ちいいと思います。しかし、神様が欲しいのは、形ではないのです。心です。人への本当の思いやりです。便利な時だけではなく、神様は真心をもって人を愛する人が好きです。。。

 

また、へりくだって、主の声を聞く人です。。。

 

ヒズコールでこの6つの習慣をイエスの弟子として、お勧めしています。これはルールではなく、形でもないものです。この6つの習慣を心から行うことによって、神に喜ばれる弟子になります。

 

① 礼拝。。。 ② 祈り。。。 ③ み言葉を読んでジャーナル。。。 

④ 献金。。。 ⑤ 心を聖く保つ。。。 ⑥ 受けた恵みを共有する。。。

 

ヤコブ

1:25 ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。

1:26 自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。

1:27 父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。

 

不思議ですが、人を助ける時、自分の問題が小さく見えてきます。主の恵みが臨みます。社会的な立場の弱い人を手伝いたい人がいたら、教会として取り組んでいることと、自分も参加できるように説明します。。。

 

3.打ち勝つ神の恵み

 

今日、話した内容は知るだけでは不十分です。今は情報化社会と言われている時代になっています。残念なことに、情報だけ多くて、「知恵」が足りていないのです。情報ばっかり多くて、「啓示」が少ない時代です。情報が溢れて溢れて、「集中力」と「忍耐」が妨害されています。情報がどれだけあったって、その「意味」がほとんどありません。ただの情報だけでは、「真理」ではありません。。。

 

真理とは、神の恵みは偉大で、私たちの信じた偽り(足りない、できない、相応しくない。。。)を取り除きます。

 

ミカ書

7:18 あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。

7:19 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。

7:20 昔、私たちの先祖に誓われたように、真実をヤコブに、いつくしみをアブラハムに与えてください。

 

自分の力で、変わることができないことは真理です。救われた時に聖霊を受け入れ、その聖霊様の力で神の道に従います。今日、そのあわれみの中に入りましょう。罪を告白し、イエスに弁護していただきましょう。聖霊を受けて、本当の愛に歩んで、神様に近づいていきましょう。今日、倒されていると思ったら、恥は取り除かれているのですから、立ち上がりましょう。。。