イラスト:「ダヴィンチの杯」
世界中のどなたでも知る、ダヴィンチの「最後の晩餐」。描き終えた、絵の具が乾く前にでも友達を連れて見せると、称賛の声が上がった。「なんて素晴らしい絵です。特に目立つのは、イエスが手にしておられる杯だ。輝く宝石と匠が作った金の杯、イエス様が口におかけになるに相応しい美しさだ。」
友達が退場すると、ダヴィンチは急いで、その杯を消し、今の空いている手の状態の「最終の晩餐」にしましたそうです。その友達が絵の中心となっていた杯がなくなったことについて後で聞いたら、ダヴィンチはこう答えたそうです。「イエス様から目をそらすものがあるべきではない。」
今日、キングダムビルダーズを再び建て上げていく中、私は聞きたいです。個人個人として、私たちはイエス様を中心としているのでしょうか。それともキラキラ輝く、そのほかのものにとらえているでしょうか?…
また、人生を通して私たちは何を描いているでしょうか?…
聖書:使徒7:48~50
【背景】
使徒の働き7章に、ステパノの説教が書いてあります。目を一緒に通していただくと、旧約聖書の歴史が続きます。アブラハムがメソポタミアから呼び出され、3節~で国が約束されます。イサアク、ヤコブ、ヨセフとその国の約束が継いでいかれます。17節から、約束が近づく、その時にモーセ。44節。モーセは幕屋を建てる使命をうけ、また、46、47節、ダビデとソロモンには神のための住まいを作るために呼ばれました。48節から読みましょう。
7:48 しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。
7:49 『主は言われる。天はわたしの王座、地はわたしの足の足台である。あなたがたは、どのような家をわたしのために建てようとするのか。わたしの休む所とは、どこか。
7:50 わたしの手が、これらのものをみな、造ったのではないか。』
① 「主の家、主の休む所はどこか?」
今日、私たちはキングダムビルダーズとして集まっています。まさに、問われる通りです。「あなたがたは、どのような家をわたしのために建てようとするのか。わたしの休む所とは、どこか。」聖霊の力に満ちるために、神が休む所を用意していますか?…
② 「心配や不安の中に建てた偶像を悔い改めよう」
ステパノが引用している預言者とは、イザヤ(66:1)。イザヤは、イスラエルが二つの王国に別れた時代に、その北の国イスラエルに活躍しました。エルサレムとその神殿は、南の王国ユダにありました。そこで北の王が心配しました。国民は主を礼拝するため、となりの国、南のエルサレムに礼拝しにいくなら、彼らの心はそちらに向いてしまいます。それを防ぐため、大きいな金の偶像を立てました。1列王記12:26~30…
12:26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。
12:27 この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」
12:28 そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」
12:29 それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。
12:30 このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。
その後、代々に渡り、北の国の王は、「ヤロボアムの罪」から離れませんでした。
1列王記14:16, 15:30, 16:31, 2列王記3:3, 10:29, 14:24, 15:24
私たちも、心配や不安の中で建てている偶像はないでしょうか?何か形になったものの方が安心と思ったりしていないでしょうか?…
また、北の王国に、同じ思いが代々に渡り受け継いでいましたが、私たちも、親に言われることや、上の世代の生活をまねて、神の子供として生きていないところないでしょうか。私の家族でも豊ではない意識がありました。いつまでたっても中古のものしか手に入らないと思いこんでいました。恵も家族の中に受け継いだものは、日本の美しい「もったいない」の文化が悪化するぐらいでした。神様が与えて下さったものを楽しむ度に、罪悪感がわいてくることは何度もありました。しかし、心配、不安、罪悪感などは、私たちの自由を奪おうとする呪いです。
1ペテロ1:18~19、2:1
1:18 ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
。。。
2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
悪意、ごまかし、偽善、ねたみ、悪口… 銀や金が救い主になるとこれらが増えます。聖書は私たちのための診断書です。最近、これはいかがでしょうか?キリストの血が自由にする力です。
イエス様の力によって、すべての偶像の力から解放と自由を受けましょう!間違った態度を悔い改めよう!受け継いだ過ちを断ち切ろう!…
③ 「イエス様を中心にしょう」
また、ステパノの説教にあった、国の約束にもう一度目を向けたい。アブラハムに約束されて、アブラハムの信仰を継承した私たちにも、御国が約束されています。イエス様が言いました。御国は手の先に来ています。その御国の文化はどうあるべきかは、マタイ5~7章のオリーブ山の説教の中でイエス様が語ります。特に6章に注目したいです。6章の中で、イエス様が3つ、信者に欠かせない習慣のあり方を語ります。施し(献金)、祈り、断食。
まず33節をみよう。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
良く聞いていると思いますが、最初の「だから」の理由も私たちが知るべきです。巻き戻し、みてみよう。
マタイ6:1~4
6:1 人に見せるために人前で善行(献金)をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
6:2 だから、施し(献金)をするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
6:4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
「彼らはすでに自分の報いを受け取っている」、もしくは「父があなたに報いてくださいます。」。。。祈りや断食においても、人からの報いを受けるか、神からの報い、そのどちらかしか受けられないものと語ります。
そして、19~24
6:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
6:22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、
6:23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。
6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
目はどこに置くか、が大きいな違いをもたらす。健全な生き方になるなら、お金に目を向けないで、救い主イエス様に目をむかないといけません。
それからの25、33~34節
6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
…
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
喜んでささげましょう。主はそのささげものを喜びます。他のものにとらわれずイエス様を中心にしよう。それを邪魔とするようなものがあれば、ダヴィンチの杯のように、取り除きましょう。そして一緒に、主の住む家、主の休む所を建て上げよう。
Message notes by Chris Moore of His Call Church - ヒズコールチャーチ