先週、仰先生の信仰についてのメッセージは励まされましたね。今週、政人先生と仰先生は東京でヒズコールとECCJのコラボでサービスを開催しています。昨日はネイバーが多く集まりました。今日も多く実るように祈りましょう。
この11月は「Empowered Life 力づけられる生き方」のテーマを挙げています。力づけられて生きていきたいね。そのカギをこの一か月を通して学んでいきましょう。
使徒9:31を読みましょう。
9:31 こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。
平安はありますか?聖霊に励まされたか?信者の数が増えて、教会が築き上げていくのをみよう。。。そのために、今日3つのカギを分かち合いたいです。ワーシップ、プレイヤー、ジョイ。礼拝、祈り、喜び。
イラスト:「長距離の水泳」
1952年7月4日、カタリナ島とカリフォルニアの海岸の間、35キロを泳いで渡る世界で最初の女性になるために、34才のフローレンス・チャドウィックは泳ぎ始めました。その日、海水は冷たく、伴走するボートすら見えないほどの濃い霧がかかっていましたが、フローレンスは必死で泳ぎ続けました。その様子は全国でテレビ中継され、何百万人もの人々が見守っていましたが、16時間泳いだところでついに力尽き、彼女は挑戦を断念し、ボートに引き上げられました。
後でわかったことは、彼女が断念した地点は、ゴールまであと数百メートルのところであったということです。記者会見で彼女はこう話しました。「苦しい時、私が見ることができたのは、霧の中にある絶望だけでした。もし海岸を見ることができれば、最後まで泳げたでしょう。」その日の敗因は、長距離を泳いだことによる疲労でも、その日の凍てつくような海の冷たさでもなく、濃い霧によって対岸というゴールが見えなかったことでした。何を見ているか、それが大切です。あなたにはゴールが見えていますか?
ちなみに、フローレンス・チャドウィックは2ヶ月後に再挑戦し、見事に泳ぎきったそうです。
(和訳は http://nagoyablog40.jugem.jp/?eid=3498 より)
私たちもゴールを見失う時、絶望を感じます。クリスチャンにとってのゴールは何でしょう?それは、イエスでなければいけません。
ヘブル12:1-2
12:1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
見失っていませんか?イエス様以外なものに目が行っていませんか?
昨日KBがありました。素晴らしい時間でした。新しくなったキングダムビルダーズについて。。。
KBで話した点を一つシェアしたいです。
1ペテロ1:18~19、2:1
1:18 ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
。。。
2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
悪意、ごまかし、偽善、ねたみ、悪口… 銀や金が救い主になるとこれらが増えます。聖書は私たちのための診断書です。最近、これはいかがでしょうか?キリストの血が自由にする力です。だから、イエス様は中心でなければいけません。
今日、イエス様を中心にする、聖霊に満たされ、力づけられる生き方のための3つの鍵を分かち合いたいです。ワーシップ、プレイヤー、ジョイ。礼拝、祈り、喜び。
① 聖霊が導くところ、礼拝 Worship is where the Spirit leads us
イエス様の礼拝者になろう。主に仕える前に、まずイエス様の礼拝者になろう。献金する前に、まずイエス様の礼拝者になろう。
ワーシップは人間の心の奥底にある一つのニーズです。礼拝するために造られた存在です。しないと様々な害がおこります。正しい礼拝の対象を間違えるといつか絶望します。彼氏や彼女、夫や妻。お金と成功。名誉や人気。
ある若者は最近の土日出勤で悩んでいました。キャリアを大事にしたい。それは問題ないのです。同時に、教会に来れないことが続くと自分の内側が空っぽになってきました。聖霊様は何と言っていますかと聞かれたら、本人も自覚ありました。毎週のワーシップが必要だといいました。
私自身も今年の夏に奉仕から休む時を頂きました。休息期間をとるけど、日曜日の礼拝は守った。人と会うことに疲れても、神様と会うことは私のためになります。
神様と時間を過ごしてみよう。かならず効果があります。周りのことをおいて、この時間を自分とイエス様だけにしてみては。何かが変わります。
また教会に来ると、周りに同じ体験をしている人がいて、聖霊様に力強く触れられます。この時、神様の臨在に集中しないともったいないよ。毎日の忙しさ、あの人の態度や言葉に気がとらえがち。もったいない。そんなもののための時間ではない。ダビデは良く言ったそうです。
詩篇132:~2、7
132:1 主よ。ダビデのために、彼のすべての苦しみを思い出してください。
132:2 彼は主に誓い、ヤコブの全能者に誓いを立てました。
132:7 さあ、主の住まいに行き、主の足台のもとにひれ伏そう。
今の不安や怒り、すべての悪い思い、自分の恥と罪悪感、十字架において、ただただのありのまま、礼拝者になれば、人生が大きくかわることは約束できます。これを習慣にすれば、内側から聖霊の力が身について、何でも乗り越えていくことができるようになります。
② 力強い祈り Powerful prayer
拓成の中で始まった、モーニングプレイヤー。短く、10~30分だけでもいいけど、毎日のスタートが神様とのクォリティータイムが正しい優先順位を習慣付ける意味があります。あなたも、してみては?
ヤコブ5:23-18
5:13 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。
5:14 あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
5:15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
5:17 エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。
5:18 そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。
17~18節は旧約聖書の話をしています。1列王記16章29節からアハブ王が犯した大きいな罪の連続が記載されています。17章1節にエリヤが祈ります。
1列王記17:1
17:1 ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」
それから、3年も雨が降れなかった。そして18章41~45節をみると、エリヤは7回祈って、雨が降ってきました。
18:41 エリヤはアハブに言った。「上って行って飲み食いしなさい。激しい雨の音が聞こえる。」
18:42 アハブは飲み食いするために上って行き、エリヤはカルメルの頂上に上って行った。エリヤは地にうずくまり、顔を膝の間にうずめた。
18:43 「上って来て、海の方をよく見なさい」と彼は従者に言った。従者は上って来て、よく見てから、「何もありません」と答えた。エリヤは、「もう一度」と命じ、それを七度繰り返した。
18:44 七度目に、従者は言った。「御覧ください。手のひらほどの小さい雲が海のかなたから上って来ます。」エリヤは言った。「アハブのところに上って行き、激しい雨に閉じ込められないうちに、馬を車につないで下って行くように伝えなさい。」
18:45 そうするうちに、空は厚い雲に覆われて暗くなり、風も出て来て、激しい雨になった。アハブは車に乗ってイズレエルに向かった。
ここで学べることが沢山あります。①ヤコブにあったように、どんな時でも祈るべきです。②義人、すなわち、イエスの十字架の力によって義とされたあなた、の祈りは力強いものです。③エリヤは私たちと同じ人間でしたと書いてあるように、あなたは自分が特別と感じなくても、神様にとって尊い存在です。あなたの祈りは必ず聞かれています。④エリヤでさえ、すべての祈りは1回でかなうことはなかった。
新約聖書が祈りについて教えています。祈りは香ばしい香のようなものです。神様の前にあがり、私たちのまわりに天の香りを放つもおのです。そしてそれが器に蓄えていきます。器が満ちると流されていきます。
黙示録 8:2-4
8:2 それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。
8:3 また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。
8:4 香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。
だから、祈り続ける。イエス様を中心にして。あなたの毎日が変わります。
③ 主の喜びは私の力 The Joy of the Lord is my Strength
そして、最後に喜び、ジョイのことも見たいです。イエス様が中心になっているなら、あなたに本物の喜びがきます。それはただの気持ちや感情ではなく、状況や状態によらない深いところから湧き上がるものです。
ネヘミヤはイスラエルを再建したリーダーです。御言葉を宣言すると、国民が自分の弱さに悲しみました。でもネヘミヤが分かりました。そこが自分の力に頼れなくなれば、主にゆだねて本当のいみで力づけられる生き方に変わります。
ネヘミヤ8:9~10
8:9 総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。
8:10 彼らは更に言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」
今悲しんでいる人がいたら、お願いしたいです。主に感謝できることは必ずあります。それを思い出して。今週の中でも苦しい思いが来ても、今日の幸せを一つでもいいから、うれしいことを思い巡らして、他の人と分かち合おう。主を喜び祝うことこそ、あなたの力の源になります!確信もって言えます。主の喜びが私の力です。
まとめ
1テサロニケ5:16~19
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
5:19 御霊を消してはなりません。
この3つの鍵を握りしめて。喜び、祈り、ワーシップ。そうすれば力づけられる生き方ができます。時々人生を長距離水泳のようにハードに感じます。ゴールを見失わないで、イエス様を中心にする習慣を身に着けよう。
Message notes by Chris Moore of His Call Church - ヒズコールチャーチ