序章
カウンセリングが聖書的なカウンセリングになるには2つの基礎的思考が必要です。①(背景)聖書的な人間論、②(方法)聖書的な治療法です。
Healthy, wealthy and wise?
イエス様と出会い、罪を告白し悔い改め、そして忠実にイエスを主としついていくこと。福音のメッセージは永遠のいのちの約束がある。しかし、受け入れてから、蘇りの日までの間について、聖書は何と教えていますか。このいのちの目的とは何か、人間の状態は何か、この世とはどのように付き合うべきなのか。こういった質問の答えは聖書が教える人間論の中にある。聖書的な人間論とは、①だれもが神の似姿に造られ、目的をもった、愛された尊い存在であるが、②「罪」という害の性質をもっていて、本来の使命とかけているところを満たせれる唯一の神から超えられない間があり、乖離の中で困難中で、③この根本的な問題の解決は主イエスキリストのほかになく、その恵みのわざをうけるためには信じるだけで、④私たちが待ち望む主の帰って来られる日にはすべてのことが正しく裁判され、正しい報いと裁きがくだるでしょう。この聖書的な人間論がずれているとあらゆる問題になります。
だから、例えば、この世ででも神様が絶対に私を豊にしかしない、絶対に私をすべての病気から守り、何の悪からでも遠ざけてくださると信じた私は、こどもの病気を受け入れず、医療的な治療なんて必要なはずがないのに、祈っても治らない「事実」との私心の中のずれによって失望や落ち込み、どこからくるかわからない怒りでも感じた。イエス様を信じたら、すべてがうまくいって、成功する一方と思った人は失敗に出会います。なぜか、ヨハネが手紙に書いてくれました。
2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。2:2 この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。2:3 もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。2:4 神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。2:5 しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。2:6 神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。2:7 愛する者たち。私はあなたがたに新しい命令を書いているのではありません。むしろ、これはあなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いている、みことばのことです。2:8 しかし、私は新しい命令としてあなたがたに書き送ります。これはキリストにおいて真理であり、あなたがたにとっても真理です。なぜなら、やみが消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。2:9 光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。2:10 兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。2:11 兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。
…
2:15 世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。2:16 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。2:17 世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。
—1ヨハネ2:1~11, 15~17
15~17節の中に、はっきりしています。この世(ホ・コスモス)とその欲望がなくなっていきます。私たちはそれにとらえてはいけないのです。重要なものは永遠のものです。 それを自分のために確認するためは、「命令を守る」、「みことばを守る」、「愛が全うされている」など、自己診断かのように書いてあります。これが人生の最優先する課題です。この優先順位を失って、富や健康、この世でしか役に立たないものを得ようとすることは間違いです。
しかし、神のみこころは、養子の私たちに対してよくしてくださいます。同じヨハネがもう一つの手紙に「愛する者よ。あなたが、①たましいに幸いを得ているように②すべての点でも幸いを得、また③健康であるように祈ります。」(3ヨハネ2)と祈ってくれます。永遠の命が最優先ですが、愛して下さっている主は、私たちに健全で豊かな、知恵をもった生活を送ってほしいです。(※この点についてもう少し考えましょう。。。)
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
—1ペテロ5:7
聖書的な治療法
「Truth without love is brutality, love without truth is hypocrisy」(愛のない真理は残酷、真理のない愛は偽善)
ー ワーレン・W・ウィアーズブ
聖書的なカウンセリングの具体的な治療法は聖書的な人間論に基づきます。①神の似姿に造られた愛された尊い存在として「アガペ」と「ケセッド」を持ちながらながら、②罪という害によって被害者であり、加害者でもある真理と向き合わせて、③十字架によって与えられた約束を自分のものとして受けて、④解決されない問題を、最後にすべてを正しく裁く神のみ手にゆだねて、手放すことです。
また、カウンセリングの適応範囲にも限度をつける必要があります。カウンセリングの目的はあくまでも霊や心の病に対する治療であり、体の医療のかわりにはなりません。カウンセラーとしては医者ではないことを認めて、問題を適切に見分けて、専門分野を専門家にゆだねながら、治療できる部分においてカウンセリングします。(※この点についてもう少し考えましょう。。。)
このコースを通して、これらの点などについて掘り下げていきます。
① 聖書カウンセリング概説の感想文
② ガラテヤ、エペソ、コロサイ、ピリピの内、どれか1つの釈義
③ オプション:言語勉強、芸術プロジェクト
④ 調査:どのトピックスに興味をもっているか?