尊い聖書約束 序章

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ENGLISH: Precious Bible Promises

  1. 一般的な約束

(詩篇 84:11) まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。

(詩篇16:6) 測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。

(伝道者の書8:12) 罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。

(イザヤ書3:10) 義人は幸いだと言え。彼らは、その行ないの実を食べる。

(詩篇 58:11) こうして人々は言おう。「まことに、正しい者には報いがある。まことに、さばく神が、地におられる。」

(詩篇 5:12) 主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。

(詩篇 3:8) 救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。セラ

(箴言21:21) 正義と誠実を追い求める者は、いのちと正義と誉れとを得る。

(箴言10:6,24,28) 正しい者の頭には祝福がある。正しい者の望みはかなえられる。正しい者の望みは喜びである。

(箴言11:18,19,28) 義を蒔く者は確かな賃金を得る。このように、義を追い求める者はいのちに至る。正しい者は若葉のように芽を出す。

(箴言3:32) 主は、よこしまな者を忌みきらい、直ぐな者と親しくされるからだ。

(箴言12:2) 善人は主から恵みをいただく。

(箴言13:9,21) 正しい者の光は輝き、悪者のともしびは消える。わざわいは罪人を追いかけ、幸いは正しい者に報いる。

(詩篇 23:6) まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

(ローマ8:32) 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

(第一コリント3:21,22) ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。

(第一テモテ4:8 ) 肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。

2. この世での一般的祝福

(詩篇 23:1,5) 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

(詩篇 34:9,10) 主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。

(マタイ6:33) だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

(ピリピ 4:19) また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。

(第一テモテ 6:6,17) しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。

3. 食べ物と着るもの

食べ物

(詩篇37:3) 主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。

(詩篇111:5) 主を恐れる者に食べ物を与え、その契約をとこしえに覚えておられる。

(詩篇132:15) わたしは豊かにシオンの食物を祝福し、その貧しい者をパンで満ち足らせよう。

(詩篇147:14) 主は、あなたの地境に平和を置き、最良の小麦であなたを満たされる。

(箴言13:25) 正しい者は食べてその食欲を満たし、悪者は腹をすかせる。

(マタイ6:26) 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

(ヨエル書2:26) あなたがたは飽きるほど食べて満足し、

(イザヤ書65:13) 「見よ。わたしのしもべたちは食べる。しかし、あなたがたは飢える。見よ。わたしのしもべたちは飲む。しかし、あなたがたは渇く。

 

着るもの

(マタイ6:25,30,31,32) だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

 

4. 長寿と健康

長寿

(申命記5:33) あなたがたの神、主が命じられたすべての道を歩まなければならない。あなたがたが生き、しあわせになり、あなたがたが所有する地で、長く生きるためである。

(申命記6:2) それは、あなたの一生の間、あなたも、そしてあなたの子も孫も、あなたの神、主を恐れて、私の命じるすべての主のおきてと命令を守るため、またあなたが長く生きることのできるためである。

(ヨブ記5:26) あなたは長寿を全うして墓にはいろう。あたかも麦束がその時期に収められるように。

(詩篇34:12-14) いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。

(詩篇91:16) わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。

(箴言3:2,16) そうすれば、あなたに長い日と、いのちの年と平安が増し加えられる。その右の手には長寿があり、その左の手には富と誉れがある。

(箴言9:11) わたしによって、あなたの日は多くなり、あなたのいのちの年は増すからだ

 

健康

(詩篇103:3-5) 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

(箴言3:7-8) 自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。

(箴言4:22) 見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。

5. 聖なる庇護の下での安全

(申命記33:12) 「主に愛されている者。彼は安らかに、主のそばに住まい、主はいつまでも彼をかばう。彼が主の肩の間に住むかのように。」

(箴言18:10) 主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。

(詩篇16:8) 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。

(詩篇112:7) その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。

(第一ペテロ3:13) もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。

(ヨブ記4:7) さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。

(ヨブ記11:18) 望みがあるので、あなたは安らぎ、あなたは守られて、安らかに休む。

(ヨブ記5:23) 野の石とあなたは契りを結び、野の獣はあなたと和らぐからだ。

(ホセア書2:18) その日、わたしは彼らのために、野の獣、空の鳥、地をはうものと契約を結び、弓と剣と戦いを地から絶やし、彼らを安らかに休ませる。

(エゼキエル書34:25,28) わたしは彼らと平和の契約を結び、悪い獣をこの国から取り除く。彼らは安心して荒野に住み、森の中で眠る。彼らは二度と諸国の民のえじきとならず、この国の獣も彼らを食い殺さない。彼らは安心して住み、もう彼らを脅かす者もいない。

(創世記9:2) 野の獣、空の鳥、――地の上を動くすべてのもの――それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。

(ヨブ記11:18,19) 望みがあるので、あなたは安らぎ、あなたは守られて、安らかに休む。あなたが横たわっても、だれもあなたを脅かさない。多くの者があなたの好意を求める。

(詩篇4:8) 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。

(詩篇127:2) 主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。

(箴言3:24) あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは、ここちよい。

(第一サムエル2:9) 主は聖徒たちの足を守られます。悪者どもは、やみの中に滅びうせます。まことに人は、おのれの力によっては勝てません。

(詩篇 27:1) 主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。

(詩篇34:20) 主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。

(詩篇91:1,2,4,10) いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。

(詩篇121:1-8) 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。

(詩篇124:8) 私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。

(詩篇 125:2) 主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。

(箴言3:23) こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。

(箴言1:33) しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。」

(イザヤ書4:5,6) 主は、シオンの山のすべての場所とその会合の上に、昼は雲、夜は煙と燃える火の輝きを創造される。それはすべての栄光の上に、おおいとなり、仮庵となり、昼は暑さを避ける陰となり、あらしと雨を防ぐ避け所と隠れ家になるからだ。

(イザヤ書33:16) このような人は、高い所に住み、そのとりでは岩の上の要害である。彼のパンは与えられ、その水は確保される。

(イザヤ書43:2,3) あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。

(イザヤ書27:3) わたし、主は、それを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも、それをそこなわないように、夜も昼もこれを見守っている。

(ゼカリヤ書2:5) しかし、わたしが、それを取り巻く火の城壁となる。――主の御告げ。――わたしがその中の栄光となる。』

6. 平安の約束

(レビ記26:6) わたしはまたその地に平和を与える。あなたがたはだれにも悩まされずに寝る。わたしはまた悪い獣をその国から除く。剣があなたがたの国を通り過ぎることはない。

(詩篇29:11) 主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。

(詩篇125:5) イスラエルの上に平和があるように。

(詩篇119:165) あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。

(詩篇147:14) 主は、あなたの地境に平和を置き、最良の小麦であなたを満たされる。

(イザヤ書26:12) 主よ。あなたは、私たちのために平和を備えておられます。私たちのなすすべてのわざも、あなたが私たちのためにしてくださったのですから。

(イザヤ書32:18) わたしの民は、平和な住まい、安全な家、安らかないこいの場に住む。

 

7. 行く道

(詩篇37:23) 人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。

(詩篇48:14) 神は私たちをとこしえに導かれる。

(詩篇 73:24) あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。

(箴言3:6) あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

(箴言 11:5) 潔白な人の道は、その正しさによって平らにされ、悪者は、その悪事によって倒れる。

(箴言16:9) 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。

(イザヤ書28:26) 農夫を指図する神は、彼に正しく教えておられる。

(イザヤ書 42:16) わたしは盲人に、彼らの知らない道を歩ませ、彼らの知らない通り道を行かせる。彼らの前でやみを光に、でこぼこの地を平らにする。これらのことをわたしがして、彼らを見捨てない。

8. 栄光

(申命記 28:13) 私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、主の命令にあなたが聞き従い、守り行なうなら、主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。

(詩篇 112:6,9) 彼は決してゆるがされない。正しい者はとこしえに覚えられる。その角は栄光のうちに高く上げられる。

(第一サムエル記2:30) わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ

(箴言22:4) 謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。

(箴言3:16) その左の手には富と誉れがある。

(箴言4:8) それを尊べ。そうすれば、それはあなたを高めてくれる。それを抱きしめると、それはあなたに誉れを与える。

(箴言10:7) 正しい者の呼び名はほめたたえられ、

(詩篇91:14-15) 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

(ヨハネ12:26) わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。

(黙示録3:9) 見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。

 

9. 成功と繁栄

(詩篇1:3) その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

(詩篇37:5) あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

(詩篇128:2) あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう。

(詩篇57:2) 私はいと高き方、神に呼ばわります。私のために、すべてを成し遂げてくださる神に。

(イザヤ書65:21-23) 彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは主に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。

(ヨブ記11:15,17) そうすれば、あなたは必ず、汚れのないあなたの顔を上げることができ、堅く立って恐れることがない。そうすれば、あなたは必ず、汚れのないあなたの顔を上げることができ、堅く立って恐れることがない。

(ヨブ記22:28) あなたが事を決めると、それは成り、あなたの道の上には光が輝く。

 

10. 充分に、そして豊かに

(申命記 11:14,15) 「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。また、わたしは、あなたの家畜のため野に草を与えよう。あなたは食べて満ち足りよう。」

(申命記28:12) 主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。

(申命記 30:9; 28:11) あなたの神、主は、あなたのすべての手のわざや、あなたの身から生まれる者や、家畜の産むもの、地の産物を豊かに与えて、あなたを栄えさせよう。まことに、主は、あなたの先祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄えさせて喜ばれる。主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。

(ヨブ記22:24,25) 宝をちりの上に置き、オフィルの金を川の小石の間に置け。そうすれば全能者はあなたの黄金となり、尊い銀があなたのものとなる。

(詩篇107:38) 主が祝福されると、彼らは大いにふえ、主はその家畜を減らされない。

(詩篇112:3) 繁栄と富とはその家にあり、彼の義は永遠に堅く立つ。

(箴言3:16) その左の手には富と誉れがある。

(箴言8:18,19) 富と誉れとはわたしとともにあり、尊い宝物と義もわたしとともにある。わたしの実は黄金よりも、純金よりも良く、わたしの生み出すものはえり抜きの銀にまさる。

(箴言15:6) 正しい者の家には多くの富がある。悪者の収穫は煩いをもたらす。

(イザヤ書30:23) 主は、あなたが畑に蒔く種に雨を降らせ、その土地の産する食物は豊かで滋養がある。その日、あなたの家畜の群れは、広々とした牧場で草をはみ、

 

11. 子への約束

(申命記7:13) あなたを愛し、あなたを祝福し、あなたをふやし、主があなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われた地で、主はあなたの身から生まれる者、地の産物、穀物、新しいぶどう酒、油、またあなたの群れのうちの子牛、群れのうちの雌羊をも祝福される。

(申命記30:9) あなたの神、主は、あなたのすべての手のわざや、あなたの身から生まれる者や、家畜の産むもの、地の産物を豊かに与えて、あなたを栄えさせよう

(ヨブ記5:25) あなたは自分の子孫が多くなり、あなたのすえが地の草のようになるのを知ろう。

(詩篇127:3-5) 見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。

(詩篇115:14) 主があなたがたをふやしてくださるように。あなたがたと、あなたがたの子孫とを。

 

12. 全ての信じる人が受ける祝福

(出エジプト記23:25) あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。

(申命記26:11) あなたの神、主が、あなたとあなたの家とに与えられたすべての恵みを、あなたは、レビ人およびあなたがたのうちの在留異国人とともに喜びなさい。

(申命記28:3-6,8) あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。あなたのかごも、こね鉢も祝福される。あなたは、はいるときも祝福され、出て行くときにも祝福される。主は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。

(詩篇37:16) ひとりの正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる。

(箴言10:22) 主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。

(箴言15:16) わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる。

(伝道者の書3:13) また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

(伝道者の書5:19,20) 実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。

 

13. 全ての信じる人の子が受ける祝福

(申命記4:40;5:29) きょう、私が命じておいた主のおきてと命令とを守りなさい。あなたも、あなたの後の子孫も、しあわせになり、あなたの神、主が永久にあなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生き続けるためである。どうか、彼らの心がこのようであって、いつまでも、わたしを恐れ、わたしのすべての命令を守るように。そうして、彼らも、その子孫も、永久にしあわせになるように。

(箴言13:22) 善良な人は子孫にゆずりの地を残す。罪人の財宝は正しい者のためにたくわえられる。

(箴言14:26) 力強い信頼は主を恐れることにあり、子たちの避け所となる。

(箴言11:21) 正しい者のすえは救いを得る。

(箴言20:7) 正しい人が潔白な生活をするときに、彼の子孫はなんと幸いなことだろう。

(詩篇102:28) あなたのしもべらの子孫は住みつき、彼らのすえは、あなたの前に堅く立てられましょう。」

(詩篇112:2) その人の子孫は地上で力ある者となり、直ぐな人たちの世代は祝福されよう。

(詩篇25:13) その人のたましいは、しあわせの中に住み、その子孫は地を受け継ごう。

(詩篇37:25,26) 私が若かったときも、また年老いた今も、正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請うのを見たことがない。その人はいつも情け深く人に貸す。その子孫は祝福を得る。

(詩篇147:13) 主は、あなたの門のかんぬきを強め、あなたの中にいる子らを祝福しておられるからだ。

(エレミヤ書32:39) わたしは、いつもわたしを恐れさせるため、彼らと彼らの後の子らの幸福のために、彼らに一つの心と一つの道を与え、

14. 善人の家族が受ける祝福

(ヨブ記5:24) あなたは自分の天幕が安全であるのを知り、あなたの牧場を見回っても何も失っていない。

(ヨブ記8:6,7) もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。

(詩篇 128:3-6) あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。見よ。主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。主はシオンからあなたを祝福される。あなたは、いのちの日の限り、エルサレムの繁栄を見よ。あなたの子らの子たちを見よ。イスラエルの上に平和があるように。

(箴言3:33) 正しい人の住まいは、主が祝福される。

(箴言12:7) しかし正しい者の家は立ち続ける。

(箴言14:11) 正しい者の天幕は栄える。

 困難な時の約束

1. 一般的

困難から守られる

(詩篇32:6,7) それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。セラ

 

(ヨブ記5:19) 神は六つの苦しみから、あなたを救い出し、七つ目のわざわいはあなたに触れない。

 

(詩篇31:23) 主は誠実な者を保たれる

 

(詩篇91:10) わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。

 

(箴言12:21) 正しい者は何の災害にも会わない。

 

(箴言 15:19) なまけ者の道はいばらの生け垣のよう。実直な者の小道は平らな大路。

 

困難からの解放

(ヨブ記8:20,21) 見よ。神は潔白な人を退けない。悪を行なう者の手を取らない。ついには、神は笑いをあなたの口に満たし、喜びの叫びをあなたのくちびるに満たす。

 

(ヨブ記11:16) こうしてあなたは労苦を忘れ、流れ去った水のように、これを思い出そう。

 

(ヨブ記36:16) まことに、神はあなたを苦しみの中から誘い出し、束縛のない広い所に導き、あなたの食卓には、あぶらぎった食物が備えられる。

 

(詩篇30:5) ことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

 

(詩篇34:19) 正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。

 

(詩篇42:11) わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。

 

(詩篇68:13) あなたがたは羊のおりの間に横たわるとき、銀でおおわれた、鳩の翼。その羽はきらめく黄金でおおわれている。

 

(詩篇71:20) あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。

 

(詩篇18:27,28) あなたは、悩む民をこそ救われますが、高ぶる目は低くされます。あなたは私のともしびをともされ、主、私の神は、私のやみを照らされます。

 

(詩篇146:8) 主は盲人の目をあけ、主はかがんでいる者を起こされる。主は正しい者を愛し、

 

(詩篇107:19) この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。

 

(詩篇126:5,6) 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。

 

(箴言11:18) 正しい者は苦しみから救い出され、彼に代わって悪者がそれに陥る。

 

(箴言12:13) 悪人はくちびるでそむきの罪を犯して、わなにかかる。しかし正しい者は苦しみを免れる。

 

(箴言24:16) 正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ。悪者はつまずいて滅びる。

 

(エレミヤ書29:11) わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

 

(エレミヤ書31:12,13) 彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。

 

(ホセア書 6:1) 「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。

 

困難の中での支え

(詩篇9:9) 主はしいたげられた者のとりで、苦しみのときのとりで。

 

(詩篇22:24) まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。

 

(詩篇27:10,14) 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。

 

(詩篇37:24,39) その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。正しい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。

 

(詩篇18:2) 主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。

 

(詩篇46:1-3) 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。セラ

 

(詩篇55:22) あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。

 

(詩篇31:7) あなたの恵みを私は楽しみ、喜びます。あなたは、私の悩みをご覧になり、私のたましいの苦しみを知っておられました。

 

(出エジプト記3:7) 主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。

 

(詩篇41:1) 幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。

 

(詩篇71:3) 私の住まいの岩となり、強いとりでとなって、私を救ってください。あなたこそ私の巌、私のとりでです。

 

(詩篇112:4) 主は直ぐな人たちのために、光をやみの中に輝かす。

 

(詩篇136:23) 主は私たちが卑しめられたとき、私たちを御心に留められた。その恵みはとこしえまで。

 

(詩篇138:7) 私が苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かしてくださいます。私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし、あなたの右の手が私を救ってくださいます。

 

(詩篇73:26) この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。

 

(詩篇145:14) 主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。

 

(イザヤ書25:4) あなたは弱っている者のとりで、貧しい者の悩みのときのとりで、あらしのときの避け所、暑さを避ける陰となられたからです。横暴な者たちの息は、壁に吹きつけるあらしのようだからです。

 

(イザヤ書27:8) あなたは彼らを追い立て、追い出し、彼らと争い、東風の日、激しい風で彼らを追放された。

 

(ヨブ記34:23) 人がさばきのときに神のみもとに出るのに、神は人について、そのほか何も定めておられないからだ。

 

(イザヤ書50:10) あなたがたのうち、だれが主を恐れ、そのしもべの声に聞き従うのか。暗やみの中を歩き、光を持たない者は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。

 

(哀歌3:31-33) 主は、いつまでも見放してはおられない。たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。

 

(エレミヤ書16:19) 主よ、私の力、私のとりで、苦難の日の私の逃げ場よ。

 

(ミカ書7:8,9) 私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。私は主の激しい怒りを身に受けている。私が主に罪を犯したからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。主は私を光に連れ出し、私はその義を見ることができる。

 

(ナホム書1:7) 主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。

 

(マタイ11:28) すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

 

(ヨハネ16:33) わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

 

(第二コリント1:5) それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。

 

(第二コリント4:8,9) 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

 

2. 病、老いなどへの約束

病からの救い

(出エジプト記23:25) あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。

 

(出エジプト記15:26) そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」

 

(ヨブ記33:24-26,28) 神は彼をあわれんで仰せられる。「彼を救って、よみの穴に下って行かないようにせよ。わたしは身代金を得た。」彼の肉は幼子のように、まるまる太り、彼は青年のころに返る。彼が神に祈ると、彼は受け入れられる。彼は喜びをもって御顔を見、神はその人に彼の義を報いてくださる。神は私のたましいを贖ってよみの穴に下らせず、私のいのちは光を見る。」と。

 

(詩篇91:3,5,6) 主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。

 

(詩篇103:3) 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、

 

(申命記7:15) 主は、すべての病気をあなたから取り除き、あなたの知っているあのエジプトの悪疫は、これを一つもあなたにもたらさず、あなたを憎むすべての者にこれを下す。

 

(エレミヤ書33:6) 見よ。わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らをいやして彼らに平安と真実を豊かに示す。

 

病の中での支え

(詩篇41:3) 主は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。

 

(詩篇116:6) 主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。

 

(第一テモテ2:15) しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。

 

(申命記7:13) 主はあなたの身から生まれる者をも祝福される。

 

(創世記49:25) あなたを助けようとされるあなたの父の神により、また、あなたを祝福しようとされる全能者によって。その祝福は上よりの天の祝福、下に横たわる大いなる水の祝福、乳房と胎の祝福。

 

老いの中で

(詩篇71:9) 年老いた時も、私を見放さないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。

 

(イザヤ書46:4) あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。

 

(箴言16:31) しらがは光栄の冠、それは正義の道に見いだされる。

 

3. 飢餓、貧困からの救い

(ヨブ記5:20) ききんのときには死からあなたを救い、戦いのときにも剣の力からあなたを救う。

 

(詩篇33:18,19) 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。彼らのたましいを死から救い出し、ききんのときにも彼らを生きながらえさせるために。

 

(詩篇37:19) 彼らはわざわいのときにも恥を見ず、ききんのときにも満ち足りよう。

 

(詩篇146:7) しいたげられる者のためにさばきを行ない、飢えた者にパンを与える方。主は捕われ人を解放される。

 

(イザヤ書41:17) 悩んでいる者や貧しい者が水を求めても水はなく、その舌は渇きで干からびるが、わたし、主は、彼らに答え、イスラエルの神は、彼らを見捨てない。

 

(エゼキエル書36:29,30) わたしはあなたがたをすべての汚れから救い、穀物を呼び寄せてそれをふやし、ききんをあなたがたに送らない。わたしは木の実と畑の産物をふやす。それであなたがたは、諸国の民の間で二度とききんのためにそしりを受けることはない。

 

(ザカリヤ書10:1) 後の雨のときに、主に雨を求めよ。主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる。

 

(詩篇107:9) まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。

 

(ハバクク書3:17,18) そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。

 

(マタイ4:4) イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

 

4. 戦争と敵からの救い

戦争から

(申命記20:4;23:14) 共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。」あなたの神、主が、あなたを救い出し、敵をあなたに渡すために、あなたの陣営の中を歩まれるからである。あなたの陣営はきよい。主が、あなたの中で、醜いものを見て、あなたから離れ去ることのないようにしなければならない。

 

(ヨブ記5:20) 戦いのときにも剣の力からあなたを救う。

 

(詩篇60:12) 神によって、私たちは力ある働きをします。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。

 

(第二歴代誌13:12) 見よ。神は私たちとともにいて、かしらとなっておられる。

 

(箴言3:25,26) にわかに起こる恐怖におびえるな。悪者どもが襲いかかってもおびえるな。主があなたのわきにおられ、あなたの足がわなにかからないように、守ってくださるからだ。

 

(イザヤ書41:11,12) 見よ。あなたに向かっていきりたつ者はみな、恥を見、はずかしめを受け、あなたと争う者たちは、無いもののようになって滅びる。あなたと言い争いをする者を捜しても、あなたは見つけることはできず、あなたと戦う者たちは、全くなくなってしまう。

 

(エレミヤ書39:17,18) しかしその日、わたしはあなたを救い出す。――主の御告げ。――あなたはあなたが恐れている者たちの手に渡されることはない。わたしは必ずあなたを助け出す。あなたは剣に倒れず、あなたのいのちはあなたの分捕り物としてあなたのものになる。それは、あなたがわたしに信頼したからだ。――主の御告げ。――』

敵から

(第二列王記6:16) 「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」

 

(第二歴代誌14:11) 「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。

 

(第二列王記17:39) あなたがたの神、主だけを恐れなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」

 

(詩篇17:7) あなたの奇しい恵みをお示しください。立ち向かう者から身を避けて右の手に来る者を救う方。

 

(詩篇27:5,6) それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。私は、その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、歌うたい、主に、ほめ歌を歌おう。

 

(詩篇37:32,33,40) 悪者は正しい者を待ち伏せ、彼を殺そうとする。主は、彼をその者の手の中に捨ておかず、彼がさばかれるとき、彼を罪に定められない。主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。彼らが主に身を避けるからだ。

 

(詩篇97:10) 主を愛する者たちよ。悪を憎め。主は聖徒たちのいのちを守り、悪者どもの手から、彼らを救い出される。

 

(詩篇112:8) その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。

 

(詩篇118:7) 主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。

 

(詩篇125:3) 悪の杖が正しい者の地所の上にとどまることなく、正しい者が不正なことに、手を伸ばさないためである。

 

(ヨブ記8:22) あなたを憎む者は恥を見、悪者どもの天幕は、なくなってしまう。

 

(箴言16:7) 主は、人の行ないを喜ぶとき、その人の敵をも、その人と和らがせる。

 

(イザヤ書25:5) 砂漠のひでりのように、あなたは他国人の騒ぎを押え、濃い雲の陰になってしずまる暑さのように、横暴な者たちの歌はしずめられます。

 

(イザヤ書54:15,17) 見よ。攻め寄せる者があっても、それはわたしから出たものではない。あなたを攻める者は、あなたによって倒される。あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、さばきの時、あなたを責めたてるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。――主の御告げ。――」

 

(申命記28:7) 主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。

 

(ルカ18:7,8) まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。

 

(使徒の働き18:10) わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。

 

(へブル13:6; 詩篇118:6) そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。

 

(ルカ1:71,74,75) の救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。

 

5. 弾圧と不公平から

(出エジプト記22:26,27) もし、隣人の着る物を質に取るようなことをするのなら、日没までにそれを返さなければならない。なぜなら、それは彼のただ一つのおおい、彼の身に着ける着物であるから。彼はほかに何を着て寝ることができよう。彼がわたしに向かって叫ぶとき、わたしはそれを聞き入れる。わたしは情け深いから。

 

(詩篇12:5) 主は仰せられる。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」

 

(詩篇35:10) 私のすべての骨は言いましょう。「主よ。だれか、あなたのような方があるでしょうか。悩む者を、彼よりも強い者から救い出す方。そうです。悩む者、貧しい者を、奪い取る者から。」

 

(詩篇72:4,14) 彼が民の悩む者たちを弁護し、貧しい者の子らを救い、しいたげる者どもを、打ち砕きますように。

 

(詩篇 109:31) 主は貧しい者の右に立ち、死刑を宣告する者たちから、彼を救われるからです。

 

(詩篇146:7) しいたげられる者のためにさばきを行ない、

 

(伝道者の書 5:8) ある州で、貧しい者がしいたげられ、権利と正義がかすめられるのを見ても、そのことに驚いてはならない。その上役には、それを見張るもうひとりの上役がおり、彼らよりももっと高い者たちもいる。

 

(イザヤ書 54:14) あなたは義によって堅く立ち、しいたげから遠ざかれ。恐れることはない。恐れから遠ざかれ。それが近づくことはない。

 

6. 中傷と非難から

中傷

(ヨブ記 5:21) 舌でむち打たれるときも、あなたは隠され、破壊の来るときにも、あなたはそれを恐れない。

 

(ヨブ記 11:15) あなたは必ず、汚れのないあなたの顔を上げることができ、

 

(詩篇 37:6) 主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。

 

(詩篇 31:20) あなたは彼らを人のそしりから、あなたのおられるひそかな所にかくまい、舌の争いから、隠れ場に隠されます。

 

(詩篇 57:3) 神は、天からの送りで、私を救われます。神は私を踏みつける者どもを、責めておられます。セラ 神は恵みとまことを送られるのです。

 

 

非難

(イザヤ書 51:7,8) 義を知る者、心にわたしのおしえを持つ民よ。わたしに聞け。人のそしりを恐れるな。彼らのののしりにくじけるな。しみが彼らを衣のように食い尽くし、虫が彼らを羊毛のように食い尽くす。しかし、わたしの義はとこしえに続き、わたしの救いは代々にわたるからだ。

 

(マタイ 5:11,12) わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。

 

(へブル 11:26) 彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。

 

(第一ペテロ 4:14) もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。

 

7. 魔術から

(民数記 23:23) まことに、ヤコブのうちにまじないはなく、イスラエルのうちに占いはない。

 

8. 外国に暮らす者、また亡命者への約束

(申命記 10:18) 在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。

 

(詩篇 146:9) 主は在留異国人を守り、みなしごとやもめをささえられる。

 

(エゼキエル書 11:16) それゆえ言え。『神である主はこう仰せられる。わたしは彼らを遠く異邦の民の中へ移し、国々の中に散らした。しかし、わたしは彼らが行ったその国々で、しばらくの間、彼らの聖所となっていた。』

 

9. 貧しく助けがない人へ

(詩篇 9:18) 貧しい者は決して忘れられない。悩む者の望みは、いつまでもなくならない。

 

(詩篇 68:10) あなたの群れはその地に住みました。神よ。あなたは、いつくしみによって悩む者のために備えをされました。

 

(詩篇 69:33) 主は、貧しい者に耳を傾け、

 

(詩篇 132:15) わたしは豊かにシオンの食物を祝福し、その貧しい者をパンで満ち足らせよう。

 

(イザヤ書 14:30) 寄るべのない者たちの初子は養われ、貧しい者は安らかに伏す。

 

(詩篇 72:2,12,13) 彼があなたの民を義をもって、あなたの、悩む者たちを公正をもってさばきますように。これは、彼が、助けを叫び求める貧しい者や、助ける人のない悩む者を救い出すからです。彼は、弱っている者や貧しい者をあわれみ、貧しい者たちのいのちを救います。

 

(詩篇102:17) 窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。

 

(詩篇 107:41) しかし、貧しい者を悩みから高く上げ、その一族を羊の群れのようにされる。

 

(詩篇 113:7) 主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ、

 

(エレミヤ書 20:13) 主に向かって歌い、主をほめたたえよ。主が貧しい者のいのちを、悪を行なう者どもの手から救い出されたからだ。

 

(ヨブ記 5:15,16) 神は貧しい者を剣から、彼らの口から、強い者の手から救われる。こうして寄るべのない者は望みを持ち、不正はその口をつぐむ。

 

(ヨブ記 36:15) 神は悩んでいる者をその悩みの中で助け出し、そのしいたげの中で彼らの耳を開かれる。

 

(ヤコブの手紙 1:9) 貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。

 

(ヤコブの手紙 2:5) よく聞きなさい。愛する兄弟たち。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。

 

(ルカ 16:25) アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。

10. 父親がいない者へ、未亡人へ

(出エジプト記 22:22-24) すべてのやもめ、またはみなしごを悩ませてはならない。もしあなたが彼らをひどく悩ませ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶなら、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。わたしの怒りは燃え上がり、わたしは剣をもってあなたがたを殺す。あなたがたの妻はやもめとなり、あなたがたの子どもはみなしごとなる。

 

(申命記 10:18) みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、

 

(詩篇 10:14,18) 不幸な人は、あなたに身をゆだねます。あなたはみなしごを助ける方でした。みなしごと、しいたげられた者をかばってくださいます。地から生まれた人間がもはや、脅かすことができないように。

 

(詩篇68:5) みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。

 

(詩篇 146:9) みなしごとやもめをささえられる。

 

(箴言 15:25) 主は高ぶる者の家を打ちこわし、やもめの地境を決められる。

 

(箴言 23:10,11) 昔からの地境を移してはならない。みなしごの畑にはいり込んではならない。彼らの贖い主は力強く、あなたに対する彼らの訴えを弁護されるからだ。

 

(エレミヤ書 49:11) あなたのみなしごたちを見捨てよ。わたしが彼らを生きながらえさせる。あなたのやもめたちは、わたしに拠り頼まなければならない。」

 

(ホセア書 14:3) みなしごが愛されるのはあなたによってだけです。」

 

11. 子供がいない者へ

(詩篇 68:6) 神は孤独な者を家に住まわせ

 

(詩篇 113:9) 主は子を産まない女を、子をもって喜ぶ母として家に住まわせる。

 

(イザヤ書 56:4,5) まことに主はこう仰せられる。「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶ事を選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、わたしの家、わたしの城壁のうちで、息子、娘たちにもまさる分け前と名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。

 

 

12. 囚人、捕虜へ

(詩篇 68:6) 捕われ人を導き出して栄えさせられる。

 

(詩篇 146:7) 主は捕われ人を解放される。

 

(申命記 30:4) たとい、あなたが、天の果てに追いやられていても、あなたの神、主は、そこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻す。

 

(詩篇 69:33) 主は、その捕われ人らをさげすみなさらないのだから。

 

(詩篇 107:14) 主は彼らをやみと死の陰から連れ出し、彼らのかせを打ち砕かれた。

 

(イザヤ書 51:14) 捕われ人は、すぐ解き放たれ、死んで穴に下ることがなく、パンにも事欠かない。

 

(イザヤ書 49:25) まことに、主はこう仰せられる。「勇士のとりこは取り戻され、横暴な者に奪われた物も奪い返される。あなたの争う者とわたしは争い、あなたの子らをこのわたしが救う。

 

(エレミヤ書 15:11) 主は仰せられた。「必ずわたしはあなたを解き放って、しあわせにする。必ずわたしは、わざわいの時、苦難の時に、敵があなたにとりなしを頼むようにする。

 

13. 死からの救い

(ヨブ記 33:28) 神は私のたましいを贖ってよみの穴に下らせず、私のいのちは光を見る。」と。

 

(詩篇 68:20) 神は私たちにとって救いの神。死を免れるのは、私の主、神による。

 

(詩篇66:8,9) 国々の民よ。私たちの神をほめたたえよ。神への賛美の声を聞こえさせよ。神は、私たちを、いのちのうちに保ち、私たちの足をよろけさせない。

 

(詩篇 102:19,20) 主はその聖なるいと高き所から見おろし、天から地の上に目を注がれました。捕われ人のうめきを聞き、死に定められた者を解き放つために。

 

(詩篇 107:18,19) 彼らのたましいは、あらゆる食物を忌みきらい、彼らは死の門にまで着いていた。この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。

 

(詩篇 116:15) 主の聖徒たちの死は主の目に尊い。

 

(詩篇 91:7) 千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。

 

(詩篇 9:13) 主は死の門から私を引き上げてくださる。

 

(1サムエル記 2:6) 主は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。

 

(申命記 32:39) 今、見よ。わたしこそ、それなのだ。わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出せる者はいない

 約束された霊的祝福

3章 人生での霊的祝福の約束

1. 一般的

(詩篇 25:10,14) 主の小道はみな恵みと、まことである。その契約とそのさとしを守る者には。主はご自身を恐れる者と親しくされ、ご自身の契約を彼らにお知らせになる。

 

(エペソ 1:3,4,7,8) 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。これは神の豊かな恵みによることです。神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、

 

(2 ペテロ 1:3,4) というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。

 

(ガラテヤ 6:16) どうか、この基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。

 

(ローマ 8:30) 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

 

 

2. 義認、赦し、和解

義認

(民数記 23:21) ヤコブの中に不法を見いださず、イスラエルの中にわざわいを見ない。彼らの神、主は彼らとともにおり、王をたたえる声が彼らの中にある。

 

(イザヤ書 45:25) イスラエルの子孫はみな、主によって義とされ、誇る。」

 

(イザヤ書 53:11) わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

 

(エゼキエル書 36:25) わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ

 

(ローマ 3:24) ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

 

(ローマ 8:1,33,34) こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

 

(テトス 3:7) それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。

 

(2コリント 5:21) 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

 

(使徒の働き 13:39) モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。

 

(ローマ 5:1,9,18,19) ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。

 

罪の赦し

(出エジプト記 34:7) 恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。

 

(詩篇 65:3) しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。

 

(イザヤ書 43:25) わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。

 

(詩篇 130:4,8) しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。主は、すべての不義からイスラエルを贖い出される。

 

(イザヤ書 33:24) そこに住む者は、だれも「私は病気だ。」とは言わず、そこに住む民の罪は赦される。

 

(イザヤ書 44:22) わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」

 

(詩篇 103:9-12) 主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。

 

(ホセア書 11:8,9) わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。わたしは燃える怒りで罰しない。わたしは再びエフライムを滅ぼさない

 

(ミカ書 7:18,19) あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。

 

(へブル 10:17) 「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」

 

(エレミヤ書 31:34) ―わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」

 

(へブル 8:12) なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」

 

(ルカ 7:47,48,50) 『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。そして女に、「あなたの罪は赦されています。」と言われた。しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」

 

(マタイ 12:31,32) だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。

 

(詩篇 32:1,2) 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。

 

とても凶悪な罪

(イザヤ書 1:18) 「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

 

すべての罪

(詩篇 103:3) 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、

 

(エレミヤ書 33:8) わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す。

 

(エゼキエル書 33:16) 彼が犯した罪は何一つ覚えられず、公義と正義とを行なった彼は必ず生きる。

 

堕落

(エレミヤ書 3:12,22) 背信の女イスラエル。帰れ。――主の御告げ。――わたしはあなたがたをしからない。背信の子らよ。帰れ。わたしがあなたがたの背信をいやそう。

 

(ホセア書 14:4) わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。

 

 

キリストを通しての赦し

(ゼカリヤ書 13:1) その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。

 

(マタイ 1:21) この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

 

(使徒の働き 13:38) あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。

 

(エペソ 1:7) 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。

 

(ガラテヤ 1:4) 私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。

 

(1テモテ 1:15) 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。

 

(1コリント 15:3) キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

 

(へブル 1:3) また、罪のきよめを成し遂げて、

 

(へブル9:26,28) ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられました

 

(へブル 10:14) キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。

 

(ヨハネ 1:29) 見よ、世の罪を取り除く神の小羊

 

(マタイ 26:28) これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。

 

(イザヤ書 53:5,6) しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

 

(1 ヨハネ2:1,12) もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。

 

(1ヨハネ1:7,9) 御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

 

(1ヨハネ 3:5) キリストが現われたのは罪を取り除くためであったことを、あなたがたは知っています。

 

(1ペテロ 2:24) 人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。

 

(黙示録 1:5) イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、

 

和解

(イザヤ書 27:5) しかし、もし、わたしのとりでにたよりたければ、わたしと和を結ぶがよい。和をわたしと結ぶがよい。

 

(ローマ 5:9,10) ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。

 

(2コリント 5:18,19) これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。

 

(エペソ 2:13-17) しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。

 

(コロサイ 1:21-23) あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。

 

(へブル 2:17) そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。

 

3. 子とされる

(エレミヤ書 31:9) わたしはイスラエルの父となろう。エフライムはわたしの長子だから。

 

(イザヤ書 63:16) たとい、アブラハムが私たちを知らず、イスラエルが私たちを認めなくても、主よ、あなたは、私たちの父です。あなたの御名は、とこしえから私たちの贖い主です。

 

(イザヤ書64:8) しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。

 

(ローマ 8:14,15) 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。

 

(ローマ 9:26) 『あなたがたは、わたしの民ではない。』と、わたしが言ったその場所で、彼らは、生ける神の子どもと呼ばれる。」

 

(2コリント 6:18) わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」

 

(ガラテヤ 3:26) あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。

 

(ガラテヤ 4:4,5,7) 神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。

 

(エペソ 1:5,6) 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

 

(ヨハネ 1:12) しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

 

(1ヨハネ 3:1,2) 私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。

 

4. 教会との結びつき、聖餐式

(へブル 12:22-24) しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。

 

(ピリピ 3:3) 神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。

 

(ガラテヤ 3:28,29) ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。

 

(ガラテヤ 4:26,28) しかし、上にあるエルサレムは自由であり、私たちの母です。兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。

 

(1ヨハネ 1:3) 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。

 

(エペソ 2:12,13,19,22) そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

 

(ローマ 11:17) もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら

 

5. 自由に神に近づく、受け入れられる

(エペソ 2:18) 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。

 

(エゼキエル書 20:40,41) わたしの聖なる山、イスラエルの高い山の上で、わたしは彼らを喜んで受け入れ、その所で、あなたがたのすべての聖なる物とともに、あなたがたの奉納物と最上のささげ物を求める。わたしは、あなたがたをなだめのかおりとして喜んで受け入れる。

 

(エペソ 3:12) 私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。

 

(へブル 10:19,20) こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。

 

(エペソ 1:6) それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

 

(1ペテロ 2:4,5) 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。

 

6. 聞かれている祈り

(ヨブ記 22:27) あなたが神に祈れば、神はあなたに聞き、あなたは自分の誓願を果たせよう。

 

(詩篇 4:3) 知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。

 

(詩篇 34:6,15,17) この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。

 

(詩篇 50:15) 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」

 

(詩篇 65:2) 祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。

 

(詩篇 91:15) 彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

 

(詩篇145:19) また主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて、救われる。

 

(箴言 15:29) 主は悪者から遠ざかり、正しい者の祈りを聞かれる。

 

(イザヤ書 58:9) そのとき、あなたが呼ぶと、主は答え、あなたが叫ぶと、「わたしはここにいる。」と仰せられる。

 

(イザヤ書 65:24) 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。

 

(エレミヤ書 29:12) あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。

 

(ゼカリヤ書 13:9) 彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは「これはわたしの民。」と言い、彼らは「主は私の神。」と言う。

 

(マタイ 7:7,8,11) 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

 

(マタイ 21:22) あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」

 

(ヨハネ 15:7) あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

 

(ヨハネ 16:23,24) その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。

 

(ヨハネ 14:13,14) またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。

 

(ヤコブ 5:15, 16) 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

 

(1ヨハネ 3:22) また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。

 

(1ヨハネ 5:14-16) 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。

 

7. 一般的な聖め別つ恵み

(詩篇 84:11) まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。

 

(ヨハネ 17:17,19) 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。

 

(エペソ 2:10) 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

 

(ピリピ 2:13) 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。

 

(ピリピ 4:13) 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

 

(2コリント 3:5) 何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。

 

(1テサロニケ 5:23) 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

 

(コロサイ 1:12,21,22) また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。

 

(2 テモテ2:13) 私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」

 

(テトス 2:14) キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。

 

(エレミヤ書 31:33) 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ。――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

 

(ルカ 1:74,75) われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。

 

(エレミヤ書 30:9) 彼らは彼らの神、主と、わたしが彼らのために立てる彼らの王ダビデに仕えよう。

 

(1コリント 6:11) あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。

 

(2コリント 3:18) 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

 

8. 変えてくれる恵み

(申命記 30:6) あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。

 

(エレミヤ書 24:7) また、わたしは彼らに、わたしが主であることを知る心を与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心を尽くしてわたしに立ち返るからである。

 

(エレミヤ書 31:18) 私を帰らせてください。そうすれば、帰ります。主よ。あなたは私の神だからです。

 

(詩篇 110:3) あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。

 

(テトス 3:5) 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。

 

(エゼキエル書 36:26) あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。

 

(2テモテ 1:9) 神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、

 

(エゼキエル書 11:19,20) わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。それは、彼らがわたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行なうためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。

 

(エレミヤ書 50:4,5) その日、その時、――主の御告げ。――イスラエルの民もユダの民も共に来て、泣きながら歩み、その神、主を、尋ね求める。彼らはシオンを求め、その道に顔を向けて、『来たれ。忘れられることのないとこしえの契約によって、主に連なろう。』と言う。

 

悔い改めの恵み

(ゼカリヤ書 12:10) 彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見

 

(使徒の働き 3:26) 神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」

 

(エゼキエル書 36:31) あなたがたは、自分たちの悪い行ないと、良くなかったわざとを思い出し、自分たちの不義と忌みきらうべきわざをいとうようになる。

 

(ホセア書 2:6,7) それゆえ、わたしは、いばらで彼女の道に垣を立て、彼女が通い路を見いださないように、石垣を立てよう。彼女は恋人たちのあとを追って行こう。しかし、彼らに追いつくことはない。彼らを捜し求めよう。しかし、見つけ出すことはない。彼女は言う。『私は行って、初めの夫に戻ろう。あの時は、今よりも私はしあわせだったから。』

 

(マタイ 9:13) わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

 

(ヨハネ 6:45) 預言者の書に、『そして、彼らはみな神によって教えられる。』と書かれていますが、父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところに来ます。

 

神を畏れる恵み

(エレミヤ書 32:39) わたしは、いつもわたしを恐れさせるため、彼らと彼らの後の子らの幸福のために、彼らに一つの心と一つの道を与え、

 

9. 知識、知恵など

知識

(箴言 28:5) 悪人は公義を悟らない。主を尋ね求める者はすべての事を悟る。

 

(イザヤ書 2:3) 主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。

 

(2コリント 4:6) 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。

 

(箴言 2:5,9) そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。そのとき、あなたは正義と公義と公正と、すべての良い道筋を悟る。

 

(イザヤ書 35:8) そこに大路があり、その道は聖なる道と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、贖われた者たちのもの。旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない。

 

(イザヤ書 29:18,24) その日、耳しいた者が書物のことばを聞き、盲人の目が暗黒とやみの中から物を見る。心の迷っている者は悟りを得、つぶやく者もおしえを学ぶ。」

 

(ホセア書 6:3) 私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。

 

(イザヤ書 52:6) それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るようになる。その日、『ここにわたしがいる。』と告げる者がわたしであることを知るようになる。」

 

(マタイ 11:25) 「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。

 

(1ヨハネ 5:20) しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。

 

(エレミヤ書 31:34) そのようにして、人々はもはや、『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。

 

(ルカ 1:77-79) 神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」

 

(ルカ 4:18) 捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。

 

(イザヤ書 32:3) 見る者は目を堅く閉ざさず、聞く者は耳を傾ける。

 

(イザヤ書 42:7) こうして、盲人の目を開き、囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。

 

(ヨハネ 8:12) イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

 

(1コリント 2:14,15) 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。

 

知恵

(詩篇 16:7) 私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。

 

(箴言 2:6,7) 主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。彼は正しい者のために、すぐれた知性をたくわえ、

 

(伝道者の書 2:26) なぜなら、神は、みこころにかなう人には、知恵と知識と喜びを与え

 

(詩篇 51:6) ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。

 

(ヤコブ 1:5) あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。

 

聖なる教え

(詩篇 32:8) わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。

 

(ヨハネ 7:17) だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。

 

(詩篇 25:8,12) 主は、いつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。

 

聖なる導き

(イザヤ書 30:21) あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。

 

(イザヤ書 61:8) わたしは誠実を尽くして彼らに報い、

 

(詩篇 73:24) あなたは、私をさとして導き、

 

(イザヤ書 58:11) 主は絶えず、あなたを導いて、

 

(詩篇 23:3) 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

 

(イザヤ書  49:10) 彼らをあわれむ者が彼らを導き、水のわく所に連れて行くからだ。

 

(申命記 32:10-12) 主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。ただ主だけでこれを導き、主とともに外国の神は、いなかった。

良い話をする力

(箴言 10:31,32) 正しい者の口は知恵を実らせる。しかしねじれた舌は抜かれる。正しい者のくちびるは好意を、悪者の口はねじれごとを知っている。

 

(イザヤ書 32:4) 気短な者の心も知識を悟り、どもりの舌も、はっきりと早口で語ることができる。

 

(箴言 16:1) 人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。

 

(1コリント 12:8) ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、

 

(ルカ 21:15) どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。

 

10. 恵みの財産

(詩篇 23:2) 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

 

(イザヤ書 49:9,10) 彼らは道すがら羊を飼い、裸の丘の至る所が、彼らの牧場となる。彼らは飢えず、渇かず、熱も太陽も彼らを打たない。

 

(イザヤ書 52:7,8) 良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる。」とシオンに言う者の足は。聞け。あなたの見張り人たちが、声を張り上げ、共に喜び歌っている。彼らは、主がシオンに帰られるのを、まのあたりに見るからだ。

 

(イザヤ書 62:6) エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。主に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない。

 

(エレミヤ書 3:15) また、あなたがたに、わたしの心にかなった牧者たちを与える。彼らは知識と分別をもってあなたがたを育てよう。

 

(イザヤ書 41:18) わたしは、裸の丘に川を開き、平地に泉をわかせる。荒野を水のある沢とし、砂漠の地を水の源とする。

 

(エレミヤ書 31:12,14) 彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、羊の子、牛の子とに対する主の恵みに喜び輝く。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。また祭司のたましいを髄で飽かせ、わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。――主の御告げ。――」

 

(イザヤ書 30:20) たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜わっても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。

 

(イザヤ書 56:7) わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。

 

(エゼキエル書 34:15) わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる。――神である主の御告げ。――

 

(エペソ 4:11-13) こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

 

命令の上にある祝福

(詩篇 36:8,9) 彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。

 

(詩篇 63:2-5) いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します。れゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。

 

(雅歌 2:3) 私はその陰にすわりたいと切に望みました。その実は私の口に甘いのです。

 

(詩篇 92:13) 彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。

 

(詩篇 68:24) 神よ。人々は、あなたの行列を見ました。聖所でわが王わが神の行列を。

 

(詩篇 65:4) 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。

 

(詩篇 89:15,16) 幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。主よ。彼らは、あなたの御顔の光の中を歩みます。彼らは、あなたの御名をいつも喜び、あなたの義によって、高く上げられます。

 

(詩篇 84:4,11) なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。

 

(イザヤ書 48:17) わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、

 

(イザヤ書 12:3) あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。

 

(イザヤ書 60:7) ケダルの羊の群れもみな、あなたのところに集まり、ネバヨテの雄羊は、あなたに仕え、これらは受け入れられるいけにえとして、わたしの祭壇にささげられる。わたしは、わたしの美しい家を輝かす。

 

(マタイ 18:20) ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

 

11. 罪と誘惑に相対する恵み

罪を克服するために

(ホセア書 14:8)  エフライムよ。もう、わたしは偶像と何のかかわりもない。

 

(ローマ 7:24,25) 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

 

(ローマ 6:6,14) 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。

 

(ガラテヤ 5:16) 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

 

(ヨハネ 8:32) そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

 

(ヨハネ 15:2) わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

 

(ローマ 8:2-4) なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

 

誘惑に対して

(ローマ 8:37) しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

 

(1コリント 10:13) 神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

 

(伝道者の書 7:18) 神を恐れる者は、この両方を会得している。

 

(2ペテロ 2:9) 主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し

 

(2コリント 12:9) わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」

 

(へブル 2:18) 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。

 

(1 ヨハネ 4:4) 子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。

罪人の誘惑から

(箴言 2:12,16) 悪の道からあなたを救い出し、ねじれごとを言う者からあなたを救い出す。悪の道からあなたを救い出し、ねじれごとを言う者からあなたを救い出す。

 

(伝道者の書 7:26) 私は女が死よりも苦々しいことに気がついた。女はわなであり、その心は網、その手はかせである。神に喜ばれる者は女からのがれるが、罪を犯す者は女に捕えられる。

 

この世への勝利

(ヨハネ 16:33) しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

 

(ガラテヤ 6:14) 。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

 

(ガラテヤ 1:4) キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。

 

(ヨハネ 17:15) 彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。

 

(1ヨハネ 5:4,5) ぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。

 

悪魔への勝利

(ヤコブ 4:7) ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

 

(創世記 3:15) わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

 

(ルカ 22:31,32,) シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。

 

 

(ローマ 16:20) 平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。

 

(1ヨハネ 2:14) 若い者たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが強い者であり、神のみことばが、あなたがたのうちにとどまり、そして、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。

 

(1ヨハネ 5:18) 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。

 

12. 力、勇気、そして解決

(イザヤ書 42:3) 彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。

 

(イザヤ書 12:2) 見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。

 

(イザヤ書 40:29-31) 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

 

(ヨブ記 11:15) あなたは必ず、堅く立って恐れることがない。

 

(2コリント 12:9) わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。

 

(詩篇 31:24) 雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。

 

(ゼカリヤ書 10:12) 彼らの力は主にあり、彼らは主の名によって歩き回る。――主の御告げ。――

 

(詩篇 68:35) 神よ。あなたはご自身の聖なる所におられ、恐れられる方です。イスラエルの神こそ力と勢いとを御民にお与えになる方です。ほむべきかな。神。

 

(ゼカリヤ書 12:8) その日、主は、エルサレムの住民をかばわれる。その日、彼らのうちのよろめき倒れた者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになり、彼らの先頭に立つ主の使いのようになる。

 

(イザヤ書 35:3,4) 弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」

 

(ヨエル書 3:16) 主は、その民の避け所、イスラエルの子らのとりでである。

 

(2 テモテ 1:7) 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

 

13. 恵みの実りと増し加わり

実り

(2 ペテロ 1:8) これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。

 

(ホセア書 14:5,8) わたしはイスラエルには露のようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。わたしは緑のもみの木のようだ。あなたはわたしから実を得るのだ。

 

(詩篇 1:3) その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

 

(エレミヤ書 31:12) 彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、羊の子、牛の子とに対する主の恵みに喜び輝く。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。

 

(ヨハネ 15:2,5) わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

 

老いの中で

(詩篇 92:14) 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。

恵みの増し加わり

(ヨブ記 17:9) 正しい者はこのことに驚き、罪のない者は神を敬わない者に向かって憤る。

 

(詩篇 84:7) 彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます。

 

(詩篇 92:12) 正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。

 

(箴言 4:18) 義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。

 

(マラキ書 4:2) しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。

 

(マタイ 13:12) というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、

 

(ヤコブ 4:6) しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」

 

素直さの恵み

(イザヤ書 11:6-9) 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。

 

14. 守ってくれる恵み

(ヨハネ 10:28,29) わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。

 

(2テサロニケ 3:3) しかし、主は真実な方ですから、あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます。

 

(2コリント 1:21) 私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。

 

(1コリント 1:8) 主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。

 

(ヨハネ 17:11) 。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。

 

(ピリピ 1:6) あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。

 

(1テサロニケ 5:23,24) 。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。

 

(ローマ 8:38,39) 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

 

(箴言 10:25) 正しい者は永遠の礎である。

 

(詩篇 94:18) もしも私が、「私の足はよろけています。」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。

 

(1ペテロ 1:5) あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、

 

(ユダ 1:24) あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、

 

(2ペテロ 1:10) ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。

 

(詩篇 138:8) 主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。主よ。あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざを捨てないでください。

 

(1ヨハネ 5:18) 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。

 

15. 是認された苦悩

(ヨブ記 5:17,18) ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。神は傷つけるが、それを包み、打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。

 

(申命記 8:5) あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。

 

(箴言 3:12) 父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。

 

(イザヤ書 1:25) しかし、おまえの上に再びわが手を伸ばし、おまえのかなかすを灰汁のように溶かし、その浮きかすをみな除こう。

 

(詩篇 94:12,13) 主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。わざわいの日に、あなたがその人に平安を賜わるからです。その間に、悪者のためには穴が掘られます。

 

(詩篇 119:67.71,75) 苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。主よ。私は、あなたのさばきの正しいことと、あなたが真実をもって私を悩まされたこととを知っています。

 

(ヨブ記 36:8-10) もし、彼らが鎖で縛られ、悩みのなわに捕えられると、そのとき、神は、彼らのしたことを彼らに告げ、彼らがおごり高ぶったそむきの罪を告げる。神は彼らの耳を開いて戒め、悪から立ち返るように命じる。

 

(イザヤ書 48:10) 見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。

 

(イザヤ書 27:9) それゆえ、次のことによってヤコブの不義は赦される。祭壇のすべての石を粉々にされた石灰のようにし、アシェラ像と香の台をもう立てなくすること、これが、自分の罪を除いて得られる報酬のすべてだ。

 

(1コリント 11:32) しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。

 

(ローマ 5:3,4) そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

 

(2コリント 4:16,17) ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

 

(ホセア書 2:6,7) それゆえ、わたしは、いばらで彼女の道に垣を立て、彼女が通い路を見いださないように、石垣を立てよう。彼女は恋人たちのあとを追って行こう。しかし、彼らに追いつくことはない。彼らを捜し求めよう。しかし、見つけ出すことはない。彼女は言う。『私は行って、初めの夫に戻ろう。あの時は、今よりも私はしあわせだったから。』

 

(黙示録 3:19) わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。

 

(ピリピ 1:19) というわけは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の助けによって、このことが私の救いとなることを私は知っているからです。

 

(ダニエル書 11:35) 思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。

 

(ヤコブ 1:3,12) 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。

 

(へブル 12:6,7,10,11) 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

 

(ダニエル書 12:10) 多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。

 

(1 ペテロ1:7) 信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。

 

(ゼカリヤ書 13:9) わたしは、その三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をためすように彼らをためす。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは「これはわたしの民。」と言い、彼らは「主は私の神。」と言う。

 

16. イスラエルの子への恵み

(申命記 30:6) あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。

 

(創世記 17:7,9) わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。

 

(1コリント 7:14) そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。

 

(使徒の働き 2:39) なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたちに与えられているからです。

 

(使徒の働き 16:31) ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。

 

(イザヤ書 54:13) あなたの子どもたちはみな、主の教えを受け、あなたの子どもたちには、豊かな平安がある。

 

(マルコ 10:14,16) イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。

 

(イザヤ書 44:3-5) わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。彼らは、流れのほとりの柳の木のように、青草の間に芽生える。ある者は『私は主のもの。』と言い、ある者はヤコブの名を名のり、ある者は手に『主のもの』としるして、イスラエルの名を名のる。」

 

17. 神への関心

私たちの神として

(創世記 17:7) わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。

 

(黙示録 21:3) 。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。

 

(エレミヤ書 30:22) あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」

 

(2コリント 6:16) わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

 

(へブル 8:10) わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

 

(レビ記 26:12) わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。

 

(詩篇 48:14) この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神であられる。神は私たちをとこしえに導かれる。

 

(イザヤ書 41:10) 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。

 

(イザヤ書 54:5) あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方で、全地の神と呼ばれている。

 

(エゼキエル書 34:24,31) 主であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデはあなたがたの間で君主となる。あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の羊である。あなたがたは人で、わたしはあなたがたの神である。――神である主の御告げ。――」

 

 

(へブル 11:16) それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。

 

私たちの運命

(創世記 15:1) わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。

 

(詩篇 16:5) 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。

 

(哀歌 3:24) 主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。

 

(詩篇 73:26) この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。

 

私たちの栄光

(イザヤ書 28:5) その日、万軍の主は、民の残りの者にとって、美しい冠、栄えの飾り輪となり、

 

私たちと共にいる神の存在

(詩篇 140:13) まことに、正しい者はあなたの御名に感謝し、直ぐな人はあなたの御前に住むでしょう。

 

(出エジプト記 33:14) 「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」

 

(民数記 23:21) 彼らの神、主は彼らとともにおり、王をたたえる声が彼らの中にある。

 

(イザヤ書 41:10) 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。

 

(エゼキエル書 34:30) このとき、彼らは、わたしが主で、彼らとともにいる彼らの神であり、彼らイスラエルの家がわたしの民であることを知ろう。

 

(2歴代誌 15:2) あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自身を示してくださいます。

 

(申命記 31:8) 主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

 

(ヨハネ 14:23) だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。

 

(ヨエル書 2:27) あなたがたは、イスラエルの真中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主であり、ほかにはないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。

 

神の愛

(詩篇 4:3) 主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。

 

(申命記 7:13) あなたを愛し、あなたを祝福し、あなたをふやし、

 

(詩篇 42:8) 昼には、主が恵みを施し

 

(詩篇 146:8) 主は正しい者を愛し、

 

(ホセア書 14:4) わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。

 

(箴言 15:9) 義を追い求める者を愛する。

 

(イザヤ書 62:4) かえって、あなたは「わたしの喜びは、彼女にある。」と呼ばれ、あなたの国は夫のある国と呼ばれよう。主の喜びがあなたにあり、あなたの国が夫を得るからである。

 

(イザヤ書 62:5) 若い男が若い女をめとるように、あなたの子らはあなたをめとり、花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ

 

(イザヤ書 43:4) わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

 

(エレミヤ書 31:3) 永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。

 

(エレミヤ書 32:41) わたしは彼らを幸福にして、彼らをわたしの喜びとし、真実をもって、心を尽くし思いを尽くして、彼らをこの国に植えよう。」

 

 

(ゼパニヤ書 3:17) あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。

 

(エペソ 2:4) しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、

 

(ローマ 9:25) わたしは、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。

 

(詩篇 103:4) あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

 

(ヨハネ 16:27) それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。

 

(2テサロニケ 2:16) どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、

 

(ヨハネ 17:23,26) 。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。

 

(1ヨハネ4:10,16,19) 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。

 

神のあわれみ

(イザヤ書 60:10) 実に、わたしは怒って、あなたを打ったが、恵みをもって、あなたをあわれんだ。

 

(申命記 4:31) あなたの神、主は、あわれみ深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、あなたの先祖たちに誓った契約を忘れない。

 

(エレミヤ書 31:20) それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。

 

(ホセア書 2:23) それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。

 

(イザヤ書 48:9) わたしは、わたしの名のために、怒りを遅らせ、わたしの栄誉のために、これを押えて、あなたを断ち滅ぼさなかった。

 

(イザヤ書 30:18) それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。

 

(詩篇 103:13,17) 父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。

 

(ホセア書 11:8,9) エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができようか。どうしてわたしはあなたをアデマのように引き渡すことができようか。どうしてあなたをツェボイムのようにすることができようか。わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。わたしは燃える怒りで罰しない。わたしは再びエフライムを滅ぼさない。

 

(ヨブ記 11:6) 神はあなたのために、あなたの罪を忘れてくださることを。

 

(出エジプト記 33:19) 主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」

 

神の助け

(詩篇 46:11) ヤコブの神はわれらのとりでである。

 

(ローマ 8:31) 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

 

(ホセア書 13:9) イスラエルよ。わたしがあなたを滅ぼしたら、だれがあなたを助けよう。

 

(詩篇 40:17) 主よ。私を顧みてください。あなたは私の助け、私を助け出す方。わが神よ。遅れないでください。

 

(申命記 33:27,29) 昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。あなたの前から敵を追い払い、『根絶やしにせよ。』と命じた。しあわせなイスラエルよ。だれがあなたのようであろう。主に救われた民。主はあなたを助ける盾、あなたの勝利の剣。あなたの敵はあなたにへつらい、あなたは彼らの背を踏みつける。」

 

(へブル 13:6) そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」

 

(イザヤ書 41:10,13,14) わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と言っているのだから。恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。――主の御告げ。――あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。

 

神が心をかけてくれる

(ゼカリヤ書 2:8) 『あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。

 

(1ペテロ 5:7) 神があなたがたのことを心配してくださるからです。

 

(詩篇 33:18) 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。

 

(イザヤ書 46:3,4) わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。

 

(ルカ 21:18) しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。

 

(マタイ 10:30) また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。

 

(イザヤ書 63:9) 彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。

 

(申命記 32:11,12) わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。ただ主だけでこれを導き、主とともに外国の神は、いなかった。

人々と神の聖約

(イザヤ書 55:3) わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。

(第二サムエル記 23:5) とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。

 (ホセア書 2:19, 20) わたしはあなたと永遠に契りを結ぶ。正義と公義と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。わたしは真実をもってあなたと契りを結ぶ。このとき、あなたは主を知ろう。

神は彼らを見捨てない

(イザヤ書 44:21) イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。

 

(レビ記 26:11) わたしはあなたがたの間にわたしの住まいを建てよう。わたしはあなたがたを忌みきらわない。

 

(詩篇 94:14) 主は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、知っておられる。

 

(イザヤ書 49:14-16) しかし、シオンは言った。「主は私を見捨てた。主は私を忘れた。」と。「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。

 

(イザヤ書 54:9,10) 「このことは、わたしにとっては、ノアの日のようだ。わたしは、ノアの洪水をもう地上に送らないと誓ったが、そのように、あなたを怒らず、あなたを責めないとわたしは誓う。たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」とあなたをあわれむ主は仰せられる。

 

(へブル 13:5) 「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」

 

(詩篇 9:10) 主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。

 

(イザヤ書 42:16) これらのことをわたしがして、彼らを見捨てない。

 

(詩篇 37:28) まことに、主は公義を愛し、ご自身の聖徒を見捨てられない。彼らは永遠に保たれるが、悪者どもの子孫は断ち切られる。

 

(哀歌 3:31,32) 主は、いつまでも見放してはおられない。たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。

 

(エレミヤ書 32:40) わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないようにわたしに対する恐れを彼らの心に与える。

 

18. キリストへの関心

(イザヤ書 55:4) 見よ。わたしは彼を諸国の民への証人とし、諸国の民の君主とし、司令官とした。

 

(イザヤ書 9:6) ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

 

(雅歌 2:16) 私の愛する方は私のもの。私はあの方のもの。

 

(ヨハネ 6:37) 父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。

 

(ヨハネ 3:16) 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

(エゼキエル書 34:23) わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。

 

(マラキ書 4:2) しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。

 

(イザヤ書 42:6) 「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。

 

キリストからの全ての恵み

(ヨハネ 1:16,17) 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。

 

(エペソ 1:23) 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。

 

(イザヤ書 45:24) わたしについて、『ただ、主にだけ、正義と力がある。』と言う。

 

 

(1コリント 1:30) しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。

 

(使徒の働き 5:31) そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。

 

キリストによる贖い

(イザヤ書 49:9) わたしは捕われ人には『出よ。』と言い、やみの中にいる者には『姿を現わせ。』と言う。

 

(イザヤ書 42:7) こうして、盲人の目を開き、囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。

 

(1ペテロ 1:18,19) ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。

 

(マルコ 10:45) 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。

 

(ガラテヤ 3:13) キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。

 

(エペソ 1:7) 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。

 

(エペソ 5:2) また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

 

(ガラテヤ 4:4,5) しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。

 

(へブル 9:14,15) まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。

 

(1コリント 5:7) 私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。

 

(黙示録 5:9) あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、

 

キリストからの命

(ヨハネ 14:19) わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。

 

(ヨハネ 6:57) わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。

 

(コロサイ 3:3,4) あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。

 

(ガラテヤ 2:20) 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

 

(エペソ 2:1,5,6) あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、しかし、あわれみ豊かな神は、過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。

 

(1ヨハネ 5:12 ) 御子を持つ者はいのちを持っており、

 

(ヨハネ 10:10) わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

 

(ヨハネ 5:21) 父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。

 

(2コリント 13:4) 確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。

 

(ローマ 6:8,11) もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。

 

キリストのとりなし

(イザヤ書 53:12) 彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。

 

(へブル 7:25) したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

 

(ローマ 8:34) よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

 

(へブル 9:24) キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所にはいられたのではなく、天そのものにはいられたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです。

 

(へブル 4:14-16) さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

 

キリストの愛

(ヨハネ 15:9) 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。

 

(ヨハネ 13:1,34) 世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

 

(黙示録 3:9) わたしがあなたを愛していることを知らせる。

 

(詩篇 45:11) そうすれば王は、あなたの美を慕おう。

 

(エペソ 5:2) キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

 

(雅歌 7:10) 私は、私の愛する方のもの。あの方は私を恋い慕う。

 

(雅歌 4:9) 私の妹、花嫁よ。あなたは私の心を奪った。

 

(黙示録 1:5) イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、

 

(ローマ8:37) しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

 

(雅歌 2:4,6) 私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。ああ、あの方の左の腕が私の頭の下にあり、右の手が私を抱いてくださるとよいのに。

 

キリストの教会への心遣い

(黙示録 2:1) 『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。

 

(イザヤ書 40:11) 見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。

 

(イザヤ書 42:3) 彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。

 

(エペソ 5:25-27,29) 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。

 

キリストに属する人々と共にいる彼の存在

(1ヨハネ 1:3) 私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。

 

(ヨハネ 14:18,21) わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」

 

(黙示録 3:20) 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

 

19. 聖霊の約束

(箴言 1:23) わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう。

 

(イザヤ書 32:15) しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる。

 

(エゼキエル書 36:27) わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。

 

(ルカ 11:13) してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

 

(イザヤ書 59:21) 「これは、彼らと結ぶわたしの契約である。」と主は仰せられる。「あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない。」と主は仰せられる。

 

(ヨハネ 4:10,14) イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

 

(2テモテ 1:14) そして、あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。

 

(ガラテヤ 3:14) このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。

 

(1コリント 2:12) ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。

 

(ヨハネ 7:38,39) わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

 

(ヨハネ 14:16,17) わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

 

聖霊の教え

(ルカ 12:12) 言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。」

 

(1コリント 2:10) 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。

 

(ヨハネ 16:13) しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。

 

(1ヨハネ 2:27) あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。

 

祈りの中での助け

(ガラテヤ 4:6) そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。

 

(ゼカリヤ書 12:10) わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。

 

(ローマ 8:15,26,27) あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

 

(詩篇 10:17) 主よ。あなたは貧しい者の願いを聞いてくださいました。あなたは彼らの心を強くしてくださいます。耳を傾けて、

 

神の子であることを証する約束

(ローマ 8:16) 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。

 

贖いに証印を押す約束

(2コリント 1:22) 神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。

 

(エペソ 4:30) 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

 

(2コリント 5:5) 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

 

(ローマ 5:5) この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

 

(エペソ 1:13,14) またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。

 

慰め主になってくれる約束

(ヨハネ 14:16,18) わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。

 

(使徒の働き 9:31) こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。

 

聖霊の喜び

(ローマ 14:17) なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。

 

20. 主の使いの働き

(詩篇 34:7) 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。

 

(へブル 1:14) 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。

 

(詩篇 91:11,12) まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。

 

(マタイ 18:10) あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。

 

21. 私たちは神のために、王そして祭司となる

(黙示録 1:6) また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。

 

(出エジプト記 19:6) あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。

 

(黙示録 5:10) 私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」

 

(1ペテロ 2:9) しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

 

22. 義、慰め、希望の平安

義の平安

(イザヤ書 32:17) 義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。

 

(詩篇 25:13) その人のたましいは、しあわせの中に住み、その子孫は地を受け継ごう。

 

(ルカ 7:50) しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」

 

(詩篇 85:8) 私は、主であられる神の仰せを聞きたい。

 

(詩篇 147:3) 主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。

 

(2テサロニケ 3:16) どうか、平和の主ご自身が、どんなばあいにも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。

 

(コロサイ 3:15) キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。

 

(ヨハネ 14:27) わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。

 

(イザヤ書 57:19) わたしはくちびるの実を創造した者。平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼をいやそう。」と主は仰せられる。

 

(ピリピ 4:7) そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

 

慰め

(イザヤ書 12:1) その日、あなたは言おう。「主よ。感謝します。あなたは、私を怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださいました。」

 

(ヨハネ 14:18) わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。

 

(イザヤ書 49:13) 天よ。喜び歌え。地よ。楽しめ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ。

 

(イザヤ書 57:18) わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、慰めを報いよう。

 

(エレミヤ書 6:16) 主はこう仰せられる。「四つ辻に立って見渡し、昔からの通り道、幸いの道はどこにあるかを尋ね、それを歩んで、あなたがたのいこいを見いだせ。

 

(イザヤ書 54:7,8) 「わたしはほんのしばらくの間、あなたを見捨てたが、大きなあわれみをもって、あなたを集める。怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ。」とあなたを贖う主は仰せられる。

 

(イザヤ書 61:1-3) 神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。

 

(イザヤ書 51:12) わたし、このわたしが、あなたがたを慰める。

 

(箴言 14:14) 善良な人は彼から離れる。

 

(2コリント 7:6) しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。

 

(2テサロニケ 2:16,17) どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。

 

(イザヤ書 66:11,13) あなたは、彼女の慰めの乳房から乳を飲んで飽き足り、その豊かな乳房から吸って喜んだからだ。母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、エルサレムであなたがたは慰められる。

 

(2コリント 1:3,4) 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

 

希望

(1ヨハネ 3:3) キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。

 

(詩篇 31:24) 雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。

 

(詩篇 42:11) わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。

 

(へブル 6:18,19) それは、変えることのできない二つの事がらによって、――神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません。――前に置かれている望みを捕えるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。

 

(1ペテロ 1:3,13,21) 神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさこのようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。

 

(詩篇 71:5) あなたは、私の若いころからの私の望み、私の信頼の的です。

 

(詩篇 94:19) 私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。

 

(コロサイ 1:5,23,27)天にたくわえられてある望み。福音の望み。栄光の望み。

 

23. 楽しみと喜び

(ネヘミヤ記 8:10) あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。

 

(イザヤ書 55:12) まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。

 

(詩篇 68:3) しかし、正しい者たちは喜び、神の御前で、こおどりせよ。喜びをもって楽しめ。

 

(詩篇 4:7) あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。

 

(詩篇 64:10) 正しい者は主にあって喜び、主に身を避けます。心の直ぐな人はみな、誇ることができましょう。

 

(詩篇 63:5) 私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。

 

(イザヤ書 65:14) 見よ。わたしのしもべたちは心の楽しみによって喜び歌う。

 

(詩篇 118:15) 喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある。

 

(詩篇 97:11) 光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。

 

(ヨブ記 22:26) そのとき、あなたは全能者をあなたの喜びとし、神に向かってあなたの顔を上げる。

 

(詩篇 126:5,6) 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。

 

(詩篇 89:15,16) 幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。主よ。彼らは、あなたの御顔の光の中を歩みます。彼らは、あなたの御名をいつも喜び、あなたの義によって、高く上げられます。

 

(イザヤ書 61:7,10) 人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。それゆえ、その国で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが彼らのものとなる。わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。

 

(ローマ 5:2) 私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。

 

(イザヤ書 41:16) あなたは主によって喜び、イスラエルの聖なる者によって誇る。

 

(詩篇 33:21) まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。

 

(雅歌 1:4) 私たちはあなたによって楽しみ喜び、あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、真心からあなたを愛しています。

 

(ヨハネ 16:22) わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。

 

(イザヤ書 9:3) 彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。

 

(1ペテロ 1:8) あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

 

(イザヤ書 51:11) 主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、悲しみと嘆きとは逃げ去る。

 

(ハバクク書 3:18) しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。

 

(ヨハネ 15:11) わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。

 

24. 死の中での助け

 

(箴言 14:32) 正しい者は、自分の死の中にものがれ場がある。

 

(詩篇 37:37) 全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる。

 

(詩篇 49:15) しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。

 

(詩篇 48:14) この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神であられる。神は私たちをとこしえに導かれる。

 

(詩篇 73:26) この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。

 

(ローマ 8:38,39) 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

 

(イザヤ書 25:8) 永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。

 

(2コリント 4:16) ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

 

(2テモテ 1:12) そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。

 

(詩篇 23:4) たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

 

(ホセア書 13:14) わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。

 

(1コリント 15:55,57) 死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。

 

(へブル 2:14,15) これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。

 将来への約束

1. 地獄からの救出

(イザヤ書 45:17) イスラエルは主によって救われ、永遠の救いにはいる。あなたがたは恥を見ることがなく、いつまでも、はずかしめを受けることがない。

 

(箴言 10:2 ; 11:4) しかし正義は人を死から救い出す。

 

(箴言 15:24) 悟りのある者はいのちの道を上って行く。これは下にあるよみを離れるためだ。

 

(詩篇 86:13) それは、あなたの恵みが私に対して大きく、あなたが私のたましいを、よみの深みから救い出してくださったからです。

 

(ローマ 5:9) ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

 

(ヨハネ 8:51) だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません。」

 

(1テサロニケ 1:10) やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエス

 

(ヨハネ 3:16) それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

(1テサロニケ 5:9) 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。

 

(黙示録 20:6) この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。

 

2. 死の後の慰め

(イザヤ書 57:2) 平安にはいり、まっすぐに歩む人は、自分の寝床で休むことができる。

 

(2コリント 5:8) 私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。

 

(ルカ 16:25) アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。

 

(詩篇 73:24) あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。

 

(詩篇 49:15) しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。

 

(ルカ 23:43) イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

 

(ピリピ 1:21, 23) 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。

 

(ヨブ記 3:17,18) かしこでは、悪者どもはいきりたつのをやめ、かしこでは、力のなえた者はいこい、捕われ人も共に休み、追い使う者の声も聞かない。

 

(黙示録 14:13) また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」

 

3. 栄光ある復活

(ダニエル書 12:2) 地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。

 

(詩篇 16:9,10) それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。

 

(イザヤ書 26:19) あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます。

 

(ヨハネ 5:28,29) このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。

 

(ルカ 20:35,36) 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子として神の子どもだからです。

 

(ヨブ記 19:26,27) 私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。この方を私は自分自身で見る。私の目がこれを見る。ほかの者の目ではない。私の内なる思いは私のうちで絶え入るばかりだ。

 

(ヨハネ 6:39,40,54) わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

 

(2コリント 5:1-4) 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。

 

(ローマ 8:11) もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

 

(1コリント 15:21, 42-44, 49, 51-54) というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。

 

(ヨハネ 11:25) イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

 

(2コリント 4:14) それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。

 

(1コリント 6:2,3) あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。…私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。

 

(ピリピ 3:21) キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

 

(1テサロニケ 4:14-17) 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

 

(2テモテ 1:10) それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現われによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。

 

 

4. 天での永遠の幸せ

(ローマ 2:7) 忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

 

(ローマ 5:10,17)彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。

 

(2テサロニケ 1:5,7,10,12) このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。その日に、主イエスは来られて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の――そうです。あなたがたに対する私たちの証言は、信じられたのです。――感嘆の的となられます。それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。

 

(へブル 4:9) したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。

 

(詩篇 49:14) 朝は、直ぐな者が彼らを支配する。

 

(2ペテロ 3:13) しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。

 

(黙示録 3:4) しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。

 

(ヨハネ 14:2,3) わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

 

(へブル 11:9,10,16) 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。

 

(黙示録 22:5 イザヤ60:20) もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。

 

(1ペテロ 1:9,13) これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

 

(へブル 9:15) こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。

 

(黙示録 7:15-17) だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

 

(1コリント 2:9) まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」

 

(1ヨハネ 3:2) 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。

 

(黙示録 11:18) 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が来ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」

 

(ヨハネ 17:22,24) またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。

 

(黙示録 21:22,23) 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。

 

(黙示録 2:10) 死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。

 

天でのあらゆる悲しみからの解放

(黙示録 22:3) もはや、のろわれるものは何もない。

 

(イザヤ書 60:20) あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。

 

(マタイ 6:20) 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。

 

(黙示録 21:4) 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

 

天での喜び

(マタイ 25:21) あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

 

(ユダ 24) (主イエス・キリストは)あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方。

 

(詩篇 16:11) あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。

 

 

天での栄光

(マタイ 13:43) そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。

 

(1ペテロ 4:13) むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。

 

(コロサイ 3:4) 私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。

 

(2テモテ 2:10) ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。

 

(ローマ 8:17,18) もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

 

(2コリント 4:17,18) 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

 

(ダニエル書 12:3) 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。

 

天の御国

(ルカ 12:32) あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。

 

(2テモテ 4:18) 主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、御栄えがとこしえにありますように。アーメン。

 

(マタイ 25:34) そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。

 

(2ペテロ 1:11) このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです。

 

(ルカ 22:29,30) わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。

 

天から受け継ぐ

(エペソ 1:18) また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

 

(1ペテロ 1:3,4)神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。

 

神の喜び

(1テサロニケ 4:17) このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

 

(詩篇 36:9) いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。

 

(詩篇 17:15) しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。

 

(黙示録 22:3,4) 神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。

 

永遠の命

(マタイ 25:46) 正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」

 

(1ヨハネ 2:25) それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。

 

(ヨハネ 6:47) まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。(51,54節を参照)

 

(ローマ 6:23) 神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

 

(ガラテヤ 6:8) 御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

 

(ルカ 20:36) 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子として神の子どもだからです。

 

(テトス 1:2) それは、偽ることのない神が、永遠の昔から約束してくださった永遠のいのちの望みに基づくことです。

 

(ヨハネ 10:27,28) わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

 

(ヨハネ 11:25,26) イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

 

(ローマ 2:7) 忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

 

(1ヨハネ 5:11,13) そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

 

(ヨハネ 3:16) 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

 神の御前での生活の約束

神へ義務を遂行

 

1. キリストの内での信仰への約束

(イザヤ書 28:16) だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。

 

(1ぺテロ 2:6) 彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」

 

(ヨハネ 12:46) わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。

 

(ヨハネ 3:16,18,36; 6:47) 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。御子を信じる者はさばかれない。御子を信じる者は永遠のいのちを持つ。

 

(エペソ 2:8) あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

 

(ルカ 7:50) 「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」

 

(イザヤ書 45:22) 地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。

 

(マルコ 9:23) 「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」

 

(ローマ 10:4) キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。

 

(使徒の働き 16:31) ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。

 

(ローマ 9:33) 「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

 

(ローマ 4:5) 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。

 

(使徒の働き 10:43) イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」

 

(マタイ 11:28) すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

 

(へブル 10:38,39) わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

 

(ヨハネ 6:35,37) イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。

 

(ガラテヤ 3:9,7,22) そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。

 

(1ペテロ 2:4,5 See Justification, part 1, chap. 3, sect. 2.) 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。

 

(ヨハネ 20:29) イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

 

(1テモテ 4:10) それは、すべての人々、ことに信じる人々の救い主である、生ける神に望みを置いているからです。

 

(へブル 6:12) それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。

 

(ヨハネ 1:12) しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

 

キリストを告白する

(1ヨハネ 4:15) だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。

 

(マタイ 10:32) ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。

 

(ローマ 10:9,10) なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

 

2. 悔い改めへの約束

(エレミヤ書 36:3) ユダの家は、わたしが彼らに下そうと思っているすべてのわざわいを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしも、彼らの咎と罪とを赦すことができる。」

 

(ゼカリヤ書 1:3;マラキ書 3:7) わたしに帰れ。――万軍の主の御告げ。――そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる。

 

(2歴代誌 30:9) あなたがたの神、主は、情け深く、あわれみ深い方であり、もし、あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたから御顔をそむけるようなことは決してなさいません。」

 

(エレミヤ書 4:14) エルサレムよ。救われるために、心を洗って悪を除け。いつまで、あなたの中には邪念が宿っているのか。

 

(2歴代誌 7:14) わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

 

(エレミヤ書 26:3,13) 彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行ないのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。さあ、今、あなたがたの行ないとわざを改め、あなたがたの神、主の御声に聞き従いなさい。そうすれば、主も、あなたがたに語ったわざわいを思い直されるでしょう。

 

(エレミヤ書 18:8) もし、わたしがわざわいを予告したその民が、悔い改めるなら、わたしは、下そうと思っていたわざわいを思い直す。

 

(イザヤ書 55:7) 悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。

 

(エゼキエル書 18:21-23; 30-32) しかし、悪者でも、自分の犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべてのおきてを守り、公義と正義を行なうなら、彼は必ず生きて、死ぬことはない。彼が犯したすべてのそむきの罪は覚えられることはなく、彼が行なった正しいことのために、彼は生きる。わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。――神である主の御告げ。――彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたをそれぞれその態度にしたがってさばく。――神である主の御告げ。――悔い改めて、あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。不義に引き込まれることがないようにせよ。あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。――神である主の御告げ。――だから、悔い改めて、生きよ。

 

(詩篇 37:27) 悪を離れて善を行ない、いつまでも住みつくようにせよ。

 

(箴言 1:23) わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう。

 

(ヨエル書 2:12-14) 「しかし、今、――主の御告げ。――心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。

 

(エゼキエル書 33:14-16,19) わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ。』と言っても、もし彼が自分の罪を悔い改め、公義と正義とを行ない、その悪者が質物を返し、かすめた物を償い、不正をせず、いのちのおきてに従って歩むなら、彼は必ず生き、死ぬことはない。彼が犯した罪は何一つ覚えられず、公義と正義とを行なった彼は必ず生きる。悪者でも、自分の悪から遠ざかり、公義と正義とを行なうなら、そのために彼は生きる。

 

(ヨブ記 22:23) あなたがもし全能者に立ち返るなら、あなたは再び立ち直る。あなたは自分の天幕から不正を遠ざけ、

 

(エペソ 5:14) 「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」

 

(使徒の働き 2:38) 「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

 

(使徒の働き 3:19) そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。

 

世の不正のために嘆く人へ

(エゼキエル書 9:4,6) 主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」年寄りも、若い男も、若い女も、子どもも、女たちも殺して滅ぼせ。しかし、あのしるしのついた者にはだれにも近づいてはならない。まずわたしの聖所から始めよ。」そこで、彼らは神殿の前にいた老人たちから始めた。

 

苦しみの中での悔い改め

(ホセア書 6:1) 「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。

(ヨブ記 33:27,28) 彼は人々を見つめて言う。「私は罪を犯し、正しい事を曲げた。しかし、神は私のようではなかった。神は私のたましいを贖ってよみの穴に下らせず、私のいのちは光を見る。」と。

 

(申命記 4:30,31) あなたの苦しみのうちにあって、これらすべてのことが後の日に、あなたに臨むなら、あなたは、あなたの神、主に立ち返り、御声に聞き従うのである。あなたの神、主は、あわれみ深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、あなたの先祖たちに誓った契約を忘れない。

 

罪の告白

(箴言 28:13) 自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。

 

(詩篇 32:5,7) 。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。

 

(1ヨハネ 1:9) もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

 

(ルカ 15:21,22) 息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

 

(レビ記 26:40-42) 彼らは、わたしに不実なことを行ない、わたしに反抗して歩んだ自分たちの咎と先祖たちの咎を告白するが、しかし、わたしが彼らに反抗して歩み、彼らを敵の国へ送り込んだのである。そのとき、彼らの無割礼の心はへりくだり、彼らの咎の償いをしよう。わたしはヤコブとのわたしの契約を思い起こそう。またイサクとのわたしの契約を、またアブラハムとのわたしの契約をも思い起こそう。そしてわたしはその地をも思い起こそう。

 

(エレミヤ書 3:12,13) 行って、次のことばを北のほうに呼ばわって言え。背信の女イスラエル。帰れ。――主の御告げ。――わたしはあなたがたをしからない。わたしは恵み深いから。――主の御告げ。――わたしは、いつまでも怒ってはいない。ただ、あなたは自分の咎を知れ。あなたは自分の神、主にそむいて、すべての茂った木の下で、他国の男とかってなまねをし、わたしの声を聞き入れなかった。――主の御告げ。――

 

3. 従順さ

(詩篇 106:3) 幸いなことよ。さばきを守り、正義を常に行なう人々は。

 

(マタイ 5:19) しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。

 

(申命記 4:1,6) 今、イスラエルよ。あなたがたが行なうように私の教えるおきてと定めとを聞きなさい。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたの父祖の神、主が、あなたがたに与えようとしておられる地を所有することができる。これを守り行ないなさい。そうすれば、それは国々の民に、あなたがたの知恵と悟りを示すことになり、これらすべてのおきてを聞く彼らは、「この偉大な国民は、確かに知恵のある、悟りのある民だ。」と言うであろう。

 

(申命記 29:9) あなたがたは、この契約のことばを守り、行ないなさい。あなたがたのすることがみな、栄えるためである。

 

(申命記 11:27) もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、

 

(申命記 5:29) どうか、彼らの心がこのようであって、いつまでも、わたしを恐れ、わたしのすべての命令を守るように。そうして、彼らも、その子孫も、永久にしあわせになるように。

 

(申命記 7:12) それゆえ、もしあなたがたが、これらの定めを聞いて、これを守り行なうならば、あなたの神、主は、あなたの先祖たちに誓われた恵みの契約をあなたのために守り、

 

(申命記 6:3,18,19) イスラエルよ。聞いて、守り行ないなさい。そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたの父祖の神、主があなたに告げられたように、あなたは乳と蜜の流れる国で大いにふえよう。主が正しい、また良いと見られることをしなさい。そうすれば、あなたはしあわせになり、主があなたの先祖たちに誓われたあの良い地を所有することができる。そうして、主が告げられたように、あなたの敵は、ことごとくあなたの前から追い払われる。

 

(レビ記 25:18,19) あなたがたは、わたしのおきてを行ない、わたしの定めを守らなければならない。それを行ないなさい。安らかにその地に住みなさい。その地が実を結ぶなら、あなたがたは満ち足りるまで食べ、安らかにそこに住むことができる。

 

(1サムエル記 12:14)

 

(申命記 32:46,47) 彼らに言った。「あなたがたは、私が、きょう、あなたがたを戒めるこのすべてのことばを心に納めなさい。それをあなたがたの子どもたちに命じて、このみおしえのすべてのことばを守り行なわせなさい。これは、あなたがたにとって、むなしいことばではなく、あなたがたのいのちであるからだ。このことばにより、あなたがたは、ヨルダンを渡って、所有しようとしている地で、長く生きることができる。」

 

(2歴代誌 15:7) しかし、あなたがたこそ強くあってほしいのです。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いが伴っているからです。」

 

(詩篇 25:10) 主の小道はみな恵みと、まことである。その契約とそのさとしを守る者には。

 

(ヨブ記 36:11) もし彼らが聞き入れて仕えるなら、彼らはその日々をしあわせのうちに全うし、その年々を楽しく過ごす。

 

(出エジプト記 19:5) 今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。

 

(1歴代誌 22:12,13) ただ、主があなたに思慮と分別を与えて、あなたをイスラエルの上に任命し、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。主がイスラエルについてモーセに命じられたおきてと定めをあなたが守り行なうなら、あなたは栄える。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。

 

(箴言 19:16) 命令を守る者は自分のいのちを保ち、自分の道をさげすむ者は死ぬ。

 

(イザヤ書 48:18) あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。

 

(黙示録 22:14) 自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。

 

(エレミヤ書 7:23) ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしは、あなたがたの神となり、あなたがたは、わたしの民となる。あなたがたをしあわせにするために、わたしが命じるすべての道を歩め。』

 

(1列王記 2:3) あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。

 

(申命記 30:15,16) 見よ。私は、確かにきょう、あなたの前にいのちと幸い、死とわざわいを置く。私が、きょう、あなたに、あなたの神、主を愛し、主の道に歩み、主の命令とおきてと定めとを守るように命じるからである。確かに、あなたは生きて、その数はふえる。あなたの神、主は、あなたが、はいって行って、所有しようとしている地で、あなたを祝福される。

 

(1ヨハネ 2:17) 世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。

 

(ヨハネ 13:17) あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行なうときに、あなたがたは祝福されるのです。

 

(詩篇 50:23) 感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」

 

(ヨハネ 7:17) だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。

 

(マタイ 12:50) 天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

 

(1ヨハネ 3:22) また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。

 

(マタイ 7:21) わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

 

(ヤコブ 1:25) ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。

 

(箴言 29:18) しかし律法を守る者は幸いである。

 

(ローマ 2:13) 律法を行なう者が正しいと認められるからです。

 

(イザヤ書 1:19) もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。

 

(ピリピ 4:9) あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。

キリストに従う

(ヨハネ 15:10) もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。

 

(へブル 5:9) 完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、

 

(出エジプト記 23:22) しかし、もし御声に確かに聞き従い、わたしが告げることをことごとく行なうなら、わたしはあなたの敵には敵となり、あなたの仇には仇となろう。

 

(イザヤ書 50:10) あなたがたのうち、だれが主を恐れ、そのしもべの声に聞き従うのか。暗やみの中を歩き、光を持たない者は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。

 

(ヨハネ 8:51) だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません。」

 

(ヨハネ 5:24) わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。

 

(マタイ 7:24,25) だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。

 

4. 純潔さと正直さへの約束

(詩篇 18:25) あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、

 

(1歴代誌 29:17) 私の神。あなたは心をためされる方で、直ぐなことを愛されるのを私は知っています。

 

(詩篇11:7) 主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。

 

(2歴代誌 16:9) 主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。

 

(箴言 10:29) 主の道は、潔白な人にはとりでであり、不法を行なう者には滅びである。

 

(箴言 13:6) 正義は潔白な生き方を保ち、悪は罪人を滅ぼす。

 

(詩篇 119:80) どうか、私の心が、あなたのおきてのうちに全きものとなりますように。それは、私が恥を見ることのないためです。

 

(詩篇 125:4) 主よ。善良な人々や心の直ぐな人々に、いつくしみを施してください。

 

(詩篇 37:18) 主は全き人の日々を知っておられ、彼らのゆずりは永遠に残る。

 

(詩篇 15:1,2) 主よ、あなたの幕屋にやどるべき者はだれですか、あなたの聖なる山に住むべき者はだれですか。直く歩み、義を行い、心から真実を語る者、

 

(箴言 11:3,6,20) 直ぐな人の誠実は、その人を導き、裏切り者のよこしまは、その人を破滅させる。直ぐな人は、その正しさによって救い出され、裏切り者は、自分の欲によって捕えられる。心の曲がった者は主に忌みきらわれる。しかしまっすぐに道を歩む者は主に喜ばれる。

 

(箴言 2:7,21) 彼は正しい者のために、すぐれた知性をたくわえ、正しく歩む者の盾となり、正直な人は地に住みつき、潔白な人は地に生き残る。

 

(箴言 15:8) 悪者のいけにえは主に忌みきらわれる。正しい者の祈りは主に喜ばれる。

 

(箴言 12:22) 偽りのくちびるは主に忌みきらわれる。真実を行なう者は主に喜ばれる。

 

(ミカ書 2:7) 私のことばは、正しく歩む者に益とならないだろうか。

 

(1ヨハネ 3:21) 愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、

 

(ローマ 14:22) 自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。

 

(箴言 21:18) 悪者が正しい人のための身代金となり、裏切り者が直ぐな人の身代わりとなる。

 

(ヨブ記 8:6) もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。

 

(箴言 28:10,18,20) 正直な人を悪い道に迷わす者は、自分の掘った穴に陥る。しかし潔白な人たちはしあわせを継ぐ。潔白な生活をする者は救われ、曲がった生活をする者は墓穴に陥る。忠実な人は多くの祝福を得る。しかし富を得ようとあせる者は罰を免れない。

 

5. 神の愛への約束

(ネヘミヤ記 1:5) 言った。「ああ、天の神、主。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜わる方。

 

(ローマ 8:28) 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

 

(詩篇 91:14) 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。

 

(詩篇 37:4) 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

 

(出エジプト記 20:6) わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

 

(申命記 7:9) あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られるが、

 

(申命記11:13,14) もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。

 

(詩篇 145:20) すべて主を愛する者は主が守られる。

 

(1コリント 8:3) しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。

 

(士師記 5:31) よ。あなたの敵はみな滅び、主を愛する者は、力強く日がさし出るようにしてください。」

 

(ヤコブ 2:5) 神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。

 

(1コリント 2:9) 「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」

 

(ダニエル書 9:4) 「ああ、私の主、大いなる恐るべき神。あなたを愛し、あなたの命令を守る者には、契約を守り、恵みを下さる方。

 

キリストの愛への約束

(ヨハネ 14:21) わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」

 

(2テモテ 4:8) 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

 

(エペソ 6:24) 私たちの主イエス・キリストを朽ちぬ愛をもって愛するすべての人の上に、恵みがありますように。

 

(ヤコブ 1:12) 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。

 

(箴言 8:17,21) わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。わたしを愛する者には財産を受け継がせ、彼らの財宝を満たす。

 

6. 神を信頼し、忍耐をもって待ち望むことへの約束

(詩篇 18:30) 主はすべて彼に身を避ける者の盾。

 

(詩篇 2:12) 幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。

 

(詩篇 125:1) 主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。

 

(詩篇 27:14) 待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。

 

(詩篇 31:19,24) あなたのいつくしみは、なんと大きいことでしょう。あなたはそれを、あなたを恐れる者のためにたくわえ、あなたに身を避ける者のために人の子の前で、それを備えられました。雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。

 

(詩篇 26:1) 主よ。私が誠実に歩み、よろめくことなく、主に信頼したことを。

 

(詩篇 34:8;84:12) 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。

 

(詩篇 40:4) 幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。

 

(詩篇 56:4) 神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう。

 

(イザヤ書 25:9) その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」

 

(詩篇 112:7,8) その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。

 

(詩篇 37:3,9,40) 主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。彼らが主に身を避けるからだ。

 

(イザヤ書 30:18) 幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。

 

(イザヤ書 49:23) わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。」

 

(箴言 28:25) 欲の深い人は争いを引き起こす。しかし主に拠り頼む人は豊かになる。

 

(詩篇 146:5) 幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。

 

(箴言 16:3,20) あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。

 

(イザヤ書26:3,4) 志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。

 

(エレミヤ書 17:7,8) 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。

 

(ローマ 8:24) 私たちは、この望みによって救われているのです。

 

(ナホム書 1:7) 主に身を避ける者たちを主は知っておられる。

 

(箴言 29:25) しかし主に信頼する者は守られる。

 

(1ペテロ 5:7) あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

 

(ミカ書 7:7) しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いてくださる。

 

(イザヤ書 57:13) 。しかし、わたしに身を寄せる者は、地を受け継ぎ、わたしの聖なる山を所有することができる。

 

(詩篇 34:22) 主はそのしもべのたましいを贖い出される。主に身を避ける者は、だれも罪に定められない。

 

(哀歌 3:25,26) 主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。

 

7. 神への恐れへの約束

(詩篇 85:9) まことに御救いは主を恐れる者たちに近い。

 

(詩篇 115:13) 主を恐れる者を祝福してくださる。小さな者も、大いなる者も。

 

(箴言 16:6) 恵みとまことによって、咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。

 

(伝道者の書 8:12) 罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。

 

(詩篇 128:1) 幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。

 

(詩篇 31:19) あなたのいつくしみは、なんと大きいことでしょう。あなたはそれを、あなたを恐れる者のためにたくわえ、あなたに身を避ける者のために人の子の前で、それを備えられました。

 

(詩篇 25:14) 主はご自身を恐れる者と親しくされ、ご自身の契約を彼らにお知らせになる。

 

(詩篇 103:11) 天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。

 

(箴言 3:7,8) 自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。

 

(箴言 14:26,27) 力強い信頼は主を恐れることにあり、子たちの避け所となる。主を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる。

 

(詩篇 147:11) 主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。

 

(ルカ 1:50) 主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。

 

(使徒の働き 13:26) 兄弟の方々、アブラハムの子孫の方々、ならびに皆さんの中で神を恐れかしこむ方々。この救いのことばは、私たちに送られているのです。

 

(使徒の働き 10:35) どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。

 

(マラキ書 4:2) しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。 

 

(箴言 19:23) 主を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいに会わない。

 

神を尊ぶ

(1サムエル記 2:30) わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。

 

(箴言 3:9,10) あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。

 

8. 祈りへの約束

(詩篇 145:18) 主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。

 

(詩篇 18:3) ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。

 

(ヨブ記 33:26) 彼が神に祈ると、彼は受け入れられる。彼は喜びをもって御顔を見、神はその人に彼の義を報いてくださる。

 

(詩篇 10:17) 主よ。あなたは貧しい者の願いを聞いてくださいました。あなたは彼らの心を強くしてくださいます。耳を傾けて、

 

(出エジプト記 34:24) わたしがあなたの前から、異邦の民を追い出し、あなたの国境を広げるので、あなたが年に三度、あなたの神、主の前に出るために上る間にあなたの地を欲しがる者はだれもいないであろう。

 

(申命記 4:7) まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。

 

(詩篇 86:5,7) 主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。私は苦難の日にあなたを呼び求めます。あなたが答えてくださるからです。

 

(詩篇 73:28) しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです

 

(ヤコブ 4:8) 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます

 

(ヨエル書 2:32 ) しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。

 

(詩篇 6:9) 主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。

 

(エレミヤ書 33:3) わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。

 

(エゼキエル書 36:37) 神である主はこう仰せられる。わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れて、次のことをしよう。わたしは、羊の群れのように人をふやそう。

 

(へブル 4:14-16) さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 (See Promises of Hearing Prayer, part 1, chap. 3, sect. 6.)

 

(詩篇 55:17) 夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。

 

(ヨブ記 22:21) さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。

 

(ローマ 10:12,13) 同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。

 

神を求める

(1歴代誌 28:9) もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現わされる。

 

(エレミヤ書 29:13) もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

 

(申命記 4:29) そこから、あなたがたは、あなたの神、主を慕い求め、主に会う。あなたが、心を尽くし、精神を尽くして切に求めるようになるからである。

 

(ヨブ記 8:5,6) もし、あなたが、熱心に神に求め、全能者にあわれみを請うなら、もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。

 

(アモス書 5:4) まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。

 

(詩篇 69:32) 心の貧しい人たちは、見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。

 

(詩篇 9:10) 御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。

 

(イザヤ書 45:19) ヤコブの子らに『むなしくわたしを尋ね求めよ。』とも言わなかった

 

(エズラ記 8:22) 、「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し、

 

(ホセア書 10:12) あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。

 

(哀歌 3:25) 主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。

 

(使徒の働き 17:27) これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです

 

(2歴代誌 15:2) 、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自身を示してくださいます。

 

(へブル 11:6) 神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

 

隠れた祈り

(マタイ 6:6) あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

 

神を讃える

(詩篇 135:3) ハレルヤ。主はまことにいつくしみ深い。主の御名にほめ歌を歌え。その御名はいかにも麗しい。

 

(詩篇 69:30,31) 私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。それは雄牛、角と割れたひずめのある若い雄牛にまさって主に喜ばれるでしょう。

 

(詩篇 92:1,2) 主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。

 

恵みを求める

(詩篇 81:10) あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。

 

(黙示録 21:6) また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。

 

(マタイ 5:6) 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。

 

(黙示録 22:17) 「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。

 

(イザヤ書 55:1) ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。

 

(ヨハネ 7:37,38) さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

 

9. 知恵、知識への約束

知恵への約束

(箴言 8:35) なぜなら、わたしを見いだす者は、いのちを見いだし、主から恵みをいただくからだ。

 

(箴言 1:5,6) 知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る。これは箴言と、比喩と、知恵のある者のことばと、そのなぞとを理解するためである。

 

(箴言 13:15) 良い思慮は好意を生む。

 

(箴言 9:12) もし、あなたが知恵を得れば、その知恵はあなたのものだ。

 

(箴言 10:17) 訓戒を大事にする者はいのちへの道にあり、叱責を捨てる者は迷い出る。

 

(箴言 4:6,8,9) 知恵を捨てるな。それがあなたを守る。これを愛せ。これがあなたを保つ。それを尊べ。そうすれば、それはあなたを高めてくれる。それを抱きしめると、それはあなたに誉れを与える。それはあなたの頭に麗しい花輪を与え、光栄の冠をあなたに授けよう。」

 

(箴言 3:13-18,35) 幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。それの儲けは銀の儲けにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない。その右の手には長寿があり、その左の手には富と誉れがある。その道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である。知恵は、これを堅く握る者にはいのちの木である。これをつかんでいる者は幸いである。知恵のある者は誉れを受け継ぎ、愚かな者は恥を得る。

 

(箴言 11:29) 自分の家族を煩わせる者は風を相続し、愚か者は心に知恵のある者のしもべとなる。

 

(箴言 21:20) 知恵のある者の住まいには、好ましい財宝と油がある

 

(箴言 16:20,22) みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。思慮を持つ者にはいのちが泉となり、愚か者には愚かさが懲らしめとなる。

 

(伝道者の書 7:12) 知恵の陰にいるのは、金銭の陰にいるようだ。知識の益は、知恵がその持ち主を生かすことにある。

 

(箴言 24:3-5,13,14) 家は知恵によって建てられ、英知によって堅くされる。部屋は知識によってすべて尊い、好ましい宝物で満たされる。知恵のある人は力強い。知識のある人は力を増す。わが子よ。蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。知恵もあなたのたましいにとっては、そうだと知れ。それを見つけると、良い終わりがあり、あなたの望みは断たれることがない。

 

(伝道者の書 10:10) しかし知恵は人を成功させるのに益になる。

 

(箴言 28:26) 知恵をもって歩む者は救われる。

 

(箴言 12:8) 人はその思慮深さによってほめられ、

 

(箴言 15:24) 悟りのある者はいのちの道を上って行く。これは下にあるよみを離れるためだ。

 

(伝道者の書 8:1) 人の知恵は、その人の顔を輝かし、その顔の固さを和らげる。

 

(ダニエル書 2:21) 神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者には知恵を、理性のある者には知識を授けられる。

 

(ホセア書 14:9) 知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟るがよい。悟りある者はだれか。その人はそれらを知るがよい。

 

(ダニエル書 12:3,10) 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。思慮深い人々は悟る。

 

(詩篇 107:43) 知恵のある者はだれか。その者はこれらのことに心を留め、主の恵みを悟れ。

 

愛と知恵の学び

(ホセア書 6:3) 私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。

 

(箴言 8:17) わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。

 

(箴言 4:13) 訓戒を堅く握って、手放すな。それを見守れ。それはあなたのいのちだから。

 

(箴言 19:20) 忠告を聞き、訓戒を受け入れよ。そうすれば、あなたはあとで知恵を得よう。

 

(箴言 2:3-5) もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。

 

(2歴代誌 1:11,12) 神はソロモンに仰せられた。「そのようなことがあなたの心にあり、あなたが富をも、財宝をも、誉れをも、あなたを憎む者たちのいのちをも求めず、さらに長寿をも求めず、むしろ、私があなたを立てて私の民の王としたその民をさばくことができるようにと、自分のために知恵と知識を求めたので、その知恵と知識とはあなたのものとなった。そのうえ、私はあなたの前の、また後の王たちにもないほどの富と財宝と誉れとをあなたに与えよう。」

 

神とキリストの知恵

(詩篇 91:14) 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。

 

(ヨハネ 17:3) その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。

 

(2ペテロ 1:2,3) 神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。

 

キリストを知る

(マタイ 11:29) わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

 

10. 神の言葉への払うべき敬意への約束

神の言葉を聞き、読むこと

(箴言 8:34) 幸いなことよ。日々わたしの戸口のかたわらで見張り、わたしの戸口の柱のわきで見守って、わたしの言うことを聞く人は。

 

(イザヤ書 2:3) 「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」

 

(1コリント 1:21) それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。

 

(ヨハネ 5:39) あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。

 

(マルコ 4:24,25) また彼らに言われた。「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます。」

 

(イザヤ書 55:2,3,10-12) なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。

 

(ローマ 10:17) そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。

 

(黙示録 1:3) この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。

 

(ローマ 1:16) 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

 

(ヤコブ 1:21) ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。

 

(2ペテロ 1:19) また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。

 

(詩篇 19:7,8,11) 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。

 

(箴言 6:23) 命令はともしびであり、おしえは光であり、訓戒のための叱責はいのちの道であるからだ。

 

(2テモテ 3:15) また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

 

(詩篇 119:105) あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。

 

(へブル 4:12) 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

 

神の言葉を愛する

(詩篇 119:165) あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。

 

(1ペテロ 2:2) 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

 

(詩篇 112:1) ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。

 

神の言葉に震える

(箴言 13:13) みことばをさげすむ者は身を滅ぼし、命令を敬う者は報いを受ける。

 

(イザヤ書 66:2) これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。――主の御告げ。――わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。

 

11. 瞑想

(箴言 14:22) 善を計る者には恵みとまことがある。

 

(詩篇 37:31) 心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない。

 

(ヨシュア記 1:8) この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。

 

(申命記 11:18,21) あなたがたは、私のこのことばを心とたましいに刻みつけ、それをしるしとして手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。それは、主があなたがたの先祖たちに、与えると誓われた地で、あなたがたの日数と、あなたがたの子孫の日数が、天が地をおおう日数のように長くなるためである。

 

(詩篇 119:9) どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。

 

(イザヤ書 64:5) あなたは迎えてくださいます。喜んで正義を行なう者、あなたの道を歩み、あなたを忘れない者を。

 

(箴言 4:26) あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。

 

(詩篇 63:5,6) 私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。

 

(詩篇 103:17,18) しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行なう者に及ぶ。

 

(詩篇 1:2,3) まことにその人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

 

12. 断食の約束

(ヨエル書 2:15-18) シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。民を集め、集会を召集せよ。老人たちを集め、幼子、乳飲み子も寄せ集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。主に仕える祭司たちは、神殿の玄関の間と祭壇との間で、泣いて言え。「主よ。あなたの民をあわれんでください。あなたのゆずりの地を、諸国の民のそしりとしたり、物笑いの種としたりしないでください。国々の民の間に、『彼らの神はどこにいるのか。』と言わせておいてよいのでしょうか。」主はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民をあわれまれた。

 

知られずに断食する

(マタイ 6:17,18) しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。

 

13. 洗礼の約束

(マルコ 16:16) 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。

 

(使徒の働き 2:38) そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

 

(ガラテヤ 3:27) バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。

 

(使徒の働き 22:16) さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』

 

(1コリント 12:13) なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。

 

(コロサイ 2:12) あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。

 

(1ペテロ 3:20,21) 昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。

 

(ローマ 6:3,4) それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

 

14. 主の晩餐への約束

(1コリント 10:16) 私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。

 

(マタイ 26:26-28) また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。

 

(ヨハネ 6:54-57,63) わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。

 

(雅歌 5:1) 友よ、食べよ。飲め。愛する人たちよ。大いに飲め。

 

(雅歌 2:3,4) 私の愛する方が若者たちの間におられるのは、林の木の中のりんごの木のようです。私はその陰にすわりたいと切に望みました。その実は私の口に甘いのです。あの方は私を酒宴の席に伴われました。私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。

 

(イザヤ書 25:6) 万軍の主はこの山の上で万民のために、あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。

 

15. 良い会話への約束

(箴言 15:4,23) 穏やかな舌はいのちの木。偽りの舌はたましいの破滅。良い返事をする人には喜びがあり、時宜にかなったことばは、いかにも麗しい。

 

(マラキ書 3:16,17) そのとき、主を恐れる者たちが、互いに語り合った。主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で、記憶の書がしるされた。「彼らは、わたしのものとなる。――万軍の主は仰せられる。――わたしが事を行なう日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。

 

(箴言 13:2) 人はその口の実によって良いものを食べ、裏切り者は暴虐を食べる。

 

(箴言 16:24) 親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。

 

(箴言 18:20,21) 人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。

 

(箴言 12:6,14,18) 悪者のことばは血に飢えている。しかし正しい者の口は彼らを救い出す。人はその口の実によって良いものに満ち足りる。人の手の働きはその人に報いを与える。軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。

 

口を守る者

(箴言 14:3) 愚か者の口には誇りの若枝がある。知恵のある者のくちびるは身を守る。

 

(箴言 21:23) 自分の口と舌とを守る者は、自分自身を守って苦しみに会わない。

 

(1ペテロ 3:10) 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、

 

(箴言 13:3) 自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、

 

(マタイ 12:37) あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」

 

16. 注意深さへの約束

(1コリント 10:12) ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。

 

(箴言 28:14) 幸いなことよ。いつも主を恐れている人は。しかし心をかたくなにする人はわざわいに陥る。

 

(マルコ 13:35,36,37) だから、目をさましていなさい。主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。」

 

(黙示録 16:15) ――見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。――

 

(ルカ 12:37,38) 帰って来た主人に、目をさましているところを見られるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに告げます。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばにいて給仕をしてくれます。主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、いつでもそのようであることを見られるなら、そのしもべたちは幸いです。

 

17. 良い友を持つことへの約束

(箴言 27:17) 鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。

 

(箴言 13:20) 知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける。

 

悪者を避ける

(詩篇 1:1) 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。

 

(2コリント 6:17) それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、

 

19. 安息日を守る

(出エジプト記 20:11) それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。

 

(イザヤ書 58:13,14) もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。」と主の御口が語られたからである。

 

(イザヤ書 56:2,6,7) 幸いなことよ。安息日を守ってこれを汚さず、どんな悪事にもその手を出さない、このように行なう人、これを堅く保つ人の子は。また、主に連なって主に仕え、主の名を愛して、そのしもべとなった外国人がみな、安息日を守ってこれを汚さず、わたしの契約を堅く保つなら、わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。

 

(マルコ 2:27) また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。

 

(詩篇 118:24) これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。

 

(使徒の働き 20:7) 週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。

 

(エゼキエル書 20:20) また、わたしの安息日をきよく保て。これをわたしとあなたがたとの間のしるしとし、わたしがあなたがたの神、主であることを知れ。』と。

 

(ヨハネ 20:19) その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」

 

(黙示録 1:10,11) 私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。。「わたしはアルファであり、オメガである。」

 

(エレミヤ書 17:24,25) もし、あなたがたが、ほんとうにわたしに聞き従い、――主の御告げ。――安息日にこの町の門のうちに荷物を持ち込まず、安息日をきよく保ち、この日に何の仕事もしないなら、ダビデの王座に着く王たちや、車や馬に乗る首長たち、すなわち王たちとその首長たち、ユダの人、エルサレムの住民は、この町の門のうちにはいり、この町はとこしえに人の住む所となる。

 人々との生活の約束

1. 両親への従順さ

(エペソ 6:1-3) 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。

 

(箴言 1:8,9) わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。それらは、あなたの頭の麗しい花輪、あなたの首飾りである。

 

(1テモテ 5:4) しかし、もし、やもめに子どもか孫かがいるなら、まずこれらの者に、自分の家の者に敬愛を示し、親の恩に報いる習慣をつけさせなさい。それが神に喜ばれることです。

 

(コロサイ 3:20) 子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。

 

(箴言 6:20-22) わが子よ。あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨てるな。それをいつも、あなたの心に結び、あなたの首の回りに結びつけよ。これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける。

 

(エレミヤ書 35:18,19) ところでエレミヤはレカブびとの家の人々に言った、「万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、あなたがたは先祖ヨナダブの命に従い、そのすべての戒めを守り、彼があなたがたに命じた事を行った。 それゆえ、万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、レカブの子ヨナダブには、わたしの前に立つ人がいつまでも欠けることはない」。

 

2. 良い教育

(創世記 18:19) わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行なわせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」

 

(箴言 22:6) 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。

 

(申命記 11:19-21) それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、それを唱えるように。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。それは、主があなたがたの先祖たちに、与えると誓われた地で、あなたがたの日数と、あなたがたの子孫の日数が、天が地をおおう日数のように長くなるためである。

 

子供への懲らしめ

(箴言 22:15) 愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。

 

(箴言 23:13,14) 子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。

 

(箴言 29:15,17) むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。あなたの子を懲らせ。そうすれば、彼はあなたを安らかにし、あなたの心に喜びを与える。

 

3. 良い妻

(箴言 14:1) 知恵のある女は自分の家を建て、

(箴言 11:16) 優しい女は誉れをつかみ、

 

(箴言 12:4) しっかりした妻は夫の冠。恥をもたらす妻は、夫の骨の中の腐れのようだ。

 

(箴言 31:10,25,28,30,31) しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。彼女は力と気品を身につけ、ほほえみながら後の日を待つ。その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。彼女の手でかせいだ実を彼女に与え、彼女のしたことを町囲みのうちでほめたたえよ。

 

4. 忠実なしもべ

(箴言 27:18) いちじくの木の番人はその実を食う。主人の身を守る者は誉れを得る。

 

(箴言 17:2) 慮のあるしもべは、恥知らずの子を治め、その兄弟たちの間にあって、資産の分け前を受け継ぐ。

 

(箴言 14:35) 思慮深いしもべは王の好意を受け、

 

(コロサイ 3:22,24) 奴隷たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。

 

(エペソ 6:5-8) 奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行ない、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。良いことを行なえば、奴隷であっても自由人であっても、それぞれその報いを主から受けることをあなたがたは知っています。

 

5. 良い王、良い判事

(箴言 16:12) 王座は義によって堅く立つからだ。

 

(箴言 20:28) 恵みとまこととは王を守る。彼は恵みによって王位をささえる。

 

(箴言 29:14) 誠実をもって寄るべのない者をさばく王、その王座はとこしえまでも堅く立つ。

 

(イザヤ書 28:5,6) その日、万軍の主は、民の残りの者にとって、美しい冠、栄えの飾り輪となり、さばきの座に着く者にとって、さばきの霊となり、攻撃して来る者を城門で追い返す者にとって、力となられる。

 

(申命記 17:18-20) 彼がその王国の王座に着くようになったなら、レビ人の祭司たちの前のものから、自分のために、このみおしえを書き写して、自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行なうことを学ぶためである。それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることがないため、また命令から、右にも左にもそれることがなく、彼とその子孫とがイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるためである。

 

6. 従順な従い

(1ペテロ 2:13-15) 人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。

 

(伝道者の書 8:5) 命令を守る者はわざわいを知らない。知恵ある者の心は時とさばきを知っている。

 

7. 忠実な祭司

(イザヤ書 49:4) しかし、私は言った。「私はむだな骨折りをして、いたずらに、むなしく、私の力を使い果たした。それでも、私の正しい訴えは、主とともにあり、私の報酬は、私の神とともにある。」

 

(イザヤ書 32:20) ああ、幸いなことよ。すべての水のほとりに種を蒔き、牛とろばとを放し飼いするあなたがたは。

 

(エレミヤ書 31:14) また祭司のたましいを髄で飽かせ、わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。――主の御告げ。――」

 

(1ペテロ 5:1-4) そこで、私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じく長老のひとり、キリストの苦難の証人、また、やがて現われる栄光にあずかる者として、お勧めします。あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。

 

(黙示録 2:1) 『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。

 

(1テモテ 4:16) 自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。

 

(ダニエル書 12:3) 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。

 

(マタイ 28:20) また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

 

(ヨハネ 4:36) すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。

 

(ルカ 12:42-44) 主は言われた。「では、主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食べ物を与える忠実な思慮深い管理人とは、いったいだれでしょう。主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。わたしは真実をあなたがたに告げます。主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。

 

(詩篇 132:16) その祭司らに救いを着せよう。その聖徒らは大いに喜び歌おう。

 

(エレミヤ書 20:11) しかし、主は私とともにあって、横暴な勇士のようです。ですから、私を追う者たちは、つまずいて、勝つことはできません。彼らは成功しないので、大いに恥をかき、それが忘れられない永久の恥となりましょう。

 

(エゼキエル書 3:8,9) 見よ。わたしはあなたの顔を、彼らの顔と同じように堅くし、あなたの額を、彼らの額と同じように堅くする。わたしはあなたの額を、火打石よりも堅い金剛石のようにする。彼らは反逆の家だから、彼らを恐れるな。彼らの顔にひるむな。」

 

(エレミヤ書 15:19-21) それゆえ、主はこう仰せられた。「もし、あなたが帰って来るなら、わたしはあなたを帰らせ、わたしの前に立たせよう。もし、あなたが、卑しいことではなく、尊いことを言うなら、あなたはわたしの口のようになる。彼らがあなたのところに帰ることがあっても、あなたは彼らのところに帰ってはならない。わたしはあなたを、この民に対し、堅固な青銅の城壁とする。彼らは、あなたと戦っても、勝てない。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い、あなたを助け出すからだ。――主の御告げ。――また、わたしは、あなたを悪人どもの手から救い出し、横暴な者たちの手から助け出す。」

 

(ルカ 21:15) どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。

 

(申命記 10:9) それゆえ、レビには兄弟たちといっしょの相続地の割り当てはなかった。あなたの神、主が彼について言われたように、主が彼の相続地である。――

 

(申命記 33:11) 主よ。彼の資産を祝福し、その手のわざに恵みを施してください。彼の敵の腰を打ち、彼を憎む者たちが、二度と立てないようにしてください。」

 

(マタイ 10:19,20) 人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。

 

(エレミヤ書 1:7,8,19) すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。――主の御告げ。――」だから、彼らがあなたと戦っても、あなたには勝てない。わたしがあなたとともにいて、――主の御告げ。――あなたを救い出すからだ。」

 

8. 祭司の言葉に耳を傾け、受け取る人

(ルカ 10:16) あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、

 

(2歴代誌 20:20) あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」

 

(マタイ 10:40,41) あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。

 

9. 愛と結束

(ヨハネ 13:35) もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」

 

(1ヨハネ 2:10) 兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。

 

(2コリント 13:11) 喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。

 

(詩篇 133:1-3) 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。

 

平和をつくる者

(箴言 12:20) 悪をたくらむ者の心には欺きがあり、平和を図る人には喜びがある。

 

(マタイ 5:9) 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。

 

(1ペテロ 3:10,11) 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、平和を求めてこれを追い求めよ。

 

神の人への愛

(詩篇 122:6) エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。

 

(詩篇 15:1,4) 主よ、あなたの幕屋にやどるべき者はだれですか、あなたの聖なる山に住むべき者はだれですか。その目は神に捨てられた者を卑しめ、主を恐れる者を尊び、誓った事は自分の損害になっても変えることなく、

 

(1ヨハネ 4:12) いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

 

(民数記 24:9) あなたを祝福する者は祝福され、あなたをのろう者はのろわれる。」

 

(へブル 6:10) 神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。

 

(1ヨハネ 3:14,18,19) 私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。

 

10. 神の祭司へ寛大で、慈悲深く、情け深い者

(箴言 14:21) 貧しい者をあわれむ人は幸いだ。

 

(箴言 19:17) 寄るべのない者に施しをするのは、主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる。

 

(詩篇 37:25,26) 私が若かったときも、また年老いた今も、正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請うのを見たことがない。その人はいつも情け深く人に貸す。その子孫は祝福を得る。

 

(箴言 11:24,25,27) ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。熱心に善を捜し求める者は恵みを見つけるが、悪を求める者には悪が来る。

 

(詩篇 112:5,6,9) しあわせなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行なう人は。彼は決してゆるがされない。正しい者はとこしえに覚えられる。彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。

 

(詩篇 41:1-3) 幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。主は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、地上でしあわせな者とされる。どうか彼を敵の意のままにさせないでください。主は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。

 

(マタイ 10:42) わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」

 

(伝道者の書 11:1,2) あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。

 

(イザヤ書 58:7,8,10,11) 飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。

 

(イザヤ書 32:8) しかし、高貴な人は高貴なことを計画し、高貴なことを、いつもする。

 

(箴言 22:9) 善意の人は祝福を受ける。自分のパンを寄るべのない者に与えるから。

 

(箴言 28:8,27) 利息や高利によって財産をふやす者は、寄るべのない者たちに恵む者のためにそれをたくわえる。貧しい者に施す者は不足することがない。しかし目をそむける者は多くののろいを受ける。

 

(ルカ 16:9) そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。

 

(マタイ 25:34-36,40) そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

 

(ルカ 11:41) とにかく、うちのものを施しに用いなさい。そうすれば、いっさいが、あなたがたにとってきよいものとなります。

 

(ルカ 12:33) 持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。

 

(ルカ 14:13,14) 祝宴を催すばあいには、むしろ、貧しい人、不具の人、足なえ、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」

 

(ルカ 6:38) 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

 

(2コリント 9:8,10) 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。

 

(へブル 13:16) 善を行なうことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。

 

(マルコ 10:21) 帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。

 

(2コリント 8:12) もし熱意があるならば、持たない物によってではなく、持っている程度に応じて、それは受納されるのです。

 

(2コリント 9:6,7) 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

 

(申命記 15:10) 必ず彼に与えなさい。また与えるとき、心に未練を持ってはならない。このことのために、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださる。

 

(1テモテ 6:17-19) この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。

 

秘密の施し

(マタイ 6:3,4) あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

 

神の働きと賛美を助ける

(箴言 3:9,10) あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。

 

(申命記 14:29) あなたのうちにあって相続地の割り当てのないレビ人や、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人や、みなしごや、やもめは来て、食べ、満ち足りるであろう。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。

 

(マラキ書 3:10-12) 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。――万軍の主は仰せられる。――すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ。」と万軍の主は仰せられる。

 

(ガラテヤ 6:6-8) みことばを教えられる人は、教える人とすべての良いものを分け合いなさい。思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

 

(ピリピ 4:17-19) 私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。

 

憐れみ深い者

(箴言 11:17) 真実な者は自分のたましいに報いを得るが、残忍な者は自分の身に煩いをもたらす。

 

(マタイ5:7) あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。

 

(詩篇 18:25) あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、

 

(箴言 3:3,4) 恵みとまことを捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書きしるせ。神と人との前に好意と聡明を得よ。

 

(申命記 24:12,13) もしその人が貧しい人である場合は、その担保を取ったままで寝てはならない。日没のころには、その担保を必ず返さなければならない。彼は、自分の着物を着て寝るなら、あなたを祝福するであろう。また、それはあなたの神、主の前に、あなたの義となる。

 

11. 叱責する、叱責を聞きいれる者

(箴言 24:25) しかし、悪者を責める者は喜ばれ、彼らにはしあわせな祝福が与えられる。

 

(箴言 28:23) 人を責める者は、へつらいを言う者より後に、恵みを得る。

 

(箴言 13:18) 乏と恥とは訓戒を無視する者に来る。しかし叱責を大事にする者はほめられる。

 

(箴言 25:12) 知恵のある叱責は、それを聞く者の耳にとって、金の耳輪、黄金の飾りのようだ。

 

(箴言 15:31,32) いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る。訓戒を無視する者は自分のいのちをないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る。

 

(箴言 20:22) 「悪に報いてやろう。」と言ってはならない。主を待ち望め。主があなたを救われる。

 

(マタイ 5:44,45) しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。

 

(マタイ 6:14) もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

 

(マルコ 11:25) また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」

 

(1ペテロ 3:9) 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

 

(箴言 25:21,22) もしあなたを憎む者が飢えているなら、パンを食べさせ、渇いているなら、水を飲ませよ。あなたはこうして彼の頭に燃える炭火を積むことになり、主があなたに報いてくださる。(ローマ 12:20参照)

 

13. 清さと純潔

(マタイ 5:8) 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。

 

(エゼキエル書 18:5,6,9) もし、正しい者なら、その人は公義と正義とを行ない、丘の上で食事をせず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を汚さず、さわりのある女に近寄らず、わたしのおきてに従って歩み、まことをもってわたしの定めを守り行なおう。こういう人が正しい人で、必ず生きる。――神である主の御告げ。――

 

(テトス 1:15) きよい人々には、すべてのものがきよいのです。

 

(詩篇 18:26) きよい者には、きよい方。

 

(詩篇 73:1) まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。

 

(詩篇 24:3,4) だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。

 

(2テモテ 2:21) ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。

 

14. 勤勉さ

(箴言 10:4) 無精者の手は人を貧乏にし、勤勉な者の手は人を富ます。

 

(箴言 14:23) すべての勤労には利益がある。おしゃべりは欠損を招くだけだ。

 

(箴言 13:4,11) なまけ者は欲を起こしても心に何もない。しかし勤勉な者の心は満たされる。急に得た財産は減るが、働いて集める者は、それを増す。

 

(箴言 21:5) 勤勉な人の計画は利益をもたらし、すべてあわてる者は欠損を招くだけだ。

 

(箴言 22:29) じょうずな仕事をする人を見たことがあるか。その人は王の前には立つが、身分の卑しい人の前には立たない。

 

(箴言 28:19) 自分の畑を耕す者は食料に飽き足り、むなしいものを追い求める者は貧しさに飽きる。

 

(箴言 12:11,24,27) 自分の畑を耕す者は食糧に飽き足り、むなしいものを追い求める者は思慮に欠ける。勤勉な者の手は支配する。無精者は苦役に服する。勤勉な人は多くの尊い人を捕える。

 

賜物を育てる

(マタイ 25:23,29) その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。 (マタイ 13:12参照)

 

節度ある眠り

(箴言 20:13) 眠りを愛してはいけない。さもないと貧しくなる。目を開け。そうすればパンに飽き足りる。

 

15. 公平さと正直さ

(箴言 15:27) 利得をむさぼる者は自分の家族を煩わし、まいないを憎む者は生きながらえる。

 

(箴言 11:1) 欺きのはかりは主に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる。

 

(箴言 12:21) 正しい者は何の災害にも会わない。悪者はわざわいで満たされる。

 

(箴言 28:20) 忠実な人は多くの祝福を得る。しかし富を得ようとあせる者は罰を免れない。

 

(申命記 16:20) 正義を、ただ正義を追い求めなければならない。そうすれば、あなたは生き、あなたの神、主が与えようとしておられる地を、自分の所有とすることができる。

 

(イザヤ書 33:15,16) 正義を行なう者、まっすぐに語る者、強奪による利得を退ける者、手を振ってわいろを取らない者、耳を閉じて血なまぐさいことを聞かない者、目を閉じて悪いことを見ない者、このような人は、高い所に住み、そのとりでは岩の上の要害である。彼のパンは与えられ、その水は確保される。

 

(箴言 16:8) 正義によって得たわずかなものは、不正によって得た多くの収穫にまさる。

 

(箴言 21:3) 正義と公義を行なうことは、いけにえにまさって主に喜ばれる。

 

(詩篇 15:5) 利息をとって金銭を貸すことなく、まいないを取って罪のない者の不利をはかることをしない人である。これらの事を行う者はとこしえに動かされることはない。

 

(申命記 25:15) あなたは完全に正しい重り石を持ち、完全に正しい枡を持っていなければならない。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生きるためである。

 

(エゼキエル書 18:5,7-9) もし、正しい者なら、その人は公義と正義とを行ない、だれをもしいたげず、質物を返し、物をかすめず、飢えている者に自分の食物を与え、裸の者に着物を着せ、利息をつけて貸さず、高利を取らず、不正から手を引き、人と人との間を正しくさばき、わたしのおきてに従って歩み、まことをもってわたしの定めを守り行なおう。こういう人が正しい人で、必ず生きる。――神である主の御告げ。――

 

(イザヤ書 56:1,2) 主はこう仰せられる。「公正を守り、正義を行なえ。わたしの救いが来るのは近く、わたしの義が現われるのも近いからだ。」幸いなことよ。安息日を守ってこれを汚さず、どんな悪事にもその手を出さない、このように行なう人、これを堅く保つ人の子は。

 

16. 真実

(1ペテロ 3:10) 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、(詩篇 34:12,13参照)

 

(箴言 12:19,22) 真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌はまばたきの間だけ。偽りのくちびるは主に忌みきらわれる。真実を行なう者は主に喜ばれる。

 

(詩篇 15:1,3) 主よ、あなたの幕屋にやどるべき者はだれですか、あなたの聖なる山に住むべき者はだれですか。正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人。その舌をもってそしらず、その友に悪をなさず、隣り人に対するそしりを取りあげず、

17. 正直さ

 (マタイ 7:1,2) さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

(詩篇 15:1,3) 主よ、あなたの幕屋にやどるべき者はだれですか、あなたの聖なる山に住むべき者はだれですか。正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人。その舌をもってそしらず、その友に悪をなさず、隣り人に対するそしりを取りあげず、

18. 満ちたりることと苦しむこと

満ちたりる

(1テモテ 6:6) しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。

 

(箴言 14:30) 穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。

 

(箴言 17:22) 陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。

 

(箴言 15:15) 悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。

 

(へブル 13:5) 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」

 

(箴言 23:17,18) あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも恐れていよ。確かに終わりがある。あなたの望みは断ち切られることはない。

 

罪による苦しみ

(ローマ 8:13) もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

 

(マタイ 5:29,30) もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。

 

御霊による思い

(ローマ 8:6) 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。hi

MODERATION IN SLEEP

(箴言 20:13) 眠りを愛してはいけない。さもないと貧しくなる。目を開け。そうすればパンに飽き足りる。

 

 性格についての約束

キリスト者の性格の修練

1. 忍耐深く、謙遜で、悔い改める人

忍耐深い人

(ゼパニヤ書 2:3) 主の定めを行なうこの国のすべてのへりくだる者よ。主を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。そうすれば、主の怒りの日にかくまわれるかもしれない。

 

(箴言 15:1,18) 柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。激しやすい者は争いを引き起こし、怒りをおそくする者はいさかいを静める。

 

(1ペテロ 3:3,4) あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。

 

(箴言 14:29) 怒りをおそくする者は英知を増し、

 

(マタイ 5:5) 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。

 

(詩篇 25:9) 主は貧しい者を公義に導き、貧しい者にご自身の道を教えられる。

 

(詩篇 147:6) 主は心の貧しい者をささえ、悪者を地面に引き降ろす。

 

(詩篇 149:4) 主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。

 

(詩篇 37:11) しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。

 

(イザヤ書 11:4) 正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。

 

(詩篇 22:26) 悩む者は、食べて、満ち足り、主を尋ね求める人々は、主を賛美しましょう。あなたがたの心が、いつまでも生きるように。

 

(イザヤ書 29:19) へりくだる者は主によっていよいよ喜び、貧しい人はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。

 

(箴言 20:3) 争いを避けることは人の誉れ

 

(箴言 19:11) 人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。

 

(箴言 16:32) 怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。

 

謙遜な人

(ヨブ記 22:29) 神はへりくだる者を救われるからだ。

 

(詩篇 9:12) 血に報いる方は、彼らを心に留め、貧しい者の叫びをお忘れにならない。

 

(詩篇 10:17) 主よ。あなたは貧しい者の願いを聞いてくださいました。

 

(箴言 3:34) あざける者を主はあざけり、へりくだる者には恵みを授ける。

 

(箴言 11:2) 高ぶりが来れば、恥もまた来る。知恵はへりくだる者とともにある。

 

(ヤコブ 4:6) 「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」(1ペテロ 5:5参照)

 

(詩篇 138:6) まことに、主は高くあられるが、低い者を顧みてくださいます。しかし、高ぶる者を遠くから見抜かれます。

 

(箴言 22:4) 謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。

 

(箴言 29:23) 人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉れをつかむ。

 

(箴言 15:33) 主を恐れることは知恵の訓戒である。謙遜は栄誉に先立つ。

 

(箴言 18:12) 人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。

 

(箴言 16:19) へりくだって貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともにいて、分捕り物を分けるのにまさる。

 

(マタイ 18:4) だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。

 

(マタイ 23:12) だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。(ルカ 18:14参照)

 

罪を悔いて、嘆く人

(詩篇 34:18) 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。

 

(詩篇 147:3) 主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。

 

(伝道者の書 7:3) 悲しみは笑いにまさる。顔の曇りによって心は良くなる。

 

(イザヤ書 66:2) これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。――主の御告げ。――わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。

 

(詩篇 51:17) 神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。

 

(マタイ 5:3,4) 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。

 

(イザヤ書 57:15) いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。

 

2. 義ために苦しむ人

(マタイ 10:39) 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。

 

(2テモテ 2:12) もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。

 

(マタイ 19:29) また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。

 

(マタイ 5:10-12) 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。

 

(ローマ 8:17,35-37) もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

 

(2コリント 4:9) 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

 

(1ペテロ 3:14,17) いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。もし、神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいのです。

 

(へブル 10:34,35) あなたがたは、捕えられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。

 

(1ペテロ 4:12-14) 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。

 

不当に破門された人

(イザヤ書 66:5) 主のことばにおののく者たちよ。主のことばを聞け。「あなたがたを憎み、わたしの名のためにあなたがたを押しのける、あなたがたの同胞は言った。『主に栄光を現わさせよ。そうすれば、あなたがたの楽しみを見てやろう。』しかし、彼らは恥を見る。」

 

(ルカ 6:22,23) 人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。

 

3. 忍耐と服従

(へブル 6:12) それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。

 

(哀歌 3:26-29,31) 主の救いを黙って待つのは良い。人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。主は、いつまでも見放してはおられない。

 

(箴言 10:28) 正しい者の望みは喜びであり、悪者の期待は消えうせる。

 

(ローマ 5:3,4) そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

 

(ヤコブ 1:2-4,12) 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。

 

(ヤコブ 5:7,8,11) 主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。

 

(ヤコブ 4:10) 主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。

 

(1ペテロ 2:20) けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。

 

(1ペテロ 5:6) ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

 

(へブル 10:35-37) ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。

 

4. 忍耐

(ガラテヤ 6:9) 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。

 

(2ヨハネ 8,9) よく気をつけて、私たちの労苦の実をだいなしにすることなく、豊かな報いを受けるようになりなさい。だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。

 

(マタイ 10:22) しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。(マタイ 24:13参照)

 

(黙示録 2:10) 死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。

 

(ヨハネ 8:31,32) 「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

 

(1コリント 15:58) ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

 

(へブル 10:23,35) 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。

 

(1ヨハネ 2:24,28) あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。

 

(ヨハネ 15:7) あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

 

勝利を得る者

(ローマ 12:21) 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

 

(黙示録 21:7) 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

 

(黙示録 2:7) 勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』

 

(黙示録 3:5,12,21) 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。

 

(黙示録 2:11,17,26-28) 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。」』耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。また、彼に明けの明星を与えよう。

教会のための約束

教会の成長と栄光についての約束

1. 教会の拡大とキリストの福音と御国の広がり

(詩篇 2:8,9) わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」

 

(イザヤ書 19:21,24,25) そのようにして主はエジプト人にご自身を示し、その日、エジプト人は主を知り、いけにえとささげ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤと並んで、第三のものとなり、大地の真中で祝福を受ける。万軍の主は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。」

 

(詩篇 68:31) 使節らはエジプトから来、クシュはその手を神に向かって急いで差し伸ばす。

 

(詩篇 67:2,7) それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。神が私たちを祝福してくださって、地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。

 

(詩篇 72:8,11,17,19) 彼は海から海に至るまで、また、川から地の果て果てに至るまで統べ治めますように。こうして、すべての王が彼にひれ伏し、すべての国々が彼に仕えましょう。

 

(イザヤ書 2:2,3) 終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。(ミカ書 4:2参照)

 

(詩篇 86:9) 主よ。あなたが造られたすべての国々はあなたの御前に来て、伏し拝み、あなたの御名をあがめましょう。

 

(詩篇 110:3) あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。

 

(イザヤ書 11:10) その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く。

 

(詩篇 102:15,16) こうして、国々は主の御名を恐れ、地のすべての王はあなたの栄光を恐れましょう。なぜなら、主はシオンを建て、その栄光のうちに現われ、

 

(詩篇 22:27,28) 地の果て果てもみな、思い起こし、主に帰って来るでしょう。また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。まことに、王権は主のもの。主は、国々を統べ治めておられる。

 

(イザヤ書 23:18) その儲け、遊女の報酬は、主にささげられ、それはたくわえられず、積み立てられない。その儲けは、主の前に住む者たちが、飽きるほど食べ、上等の着物を着るためのものとなるからだ。

 

(イザヤ書 27:6) 時が来れば、ヤコブは根を張り、イスラエルは芽を出し、花を咲かせ、世界の面に実を満たす。

 

(イザヤ書 40:3-5) 荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。このようにして、主の栄光が現わされると、すべての者が共にこれを見る。主の口が語られたからだ。」

 

(イザヤ書 42:1,4,6,7) 見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々も、そのおしえを待ち望む。「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。こうして、盲人の目を開き、囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。

 

(イザヤ書 45:23,24) わたしは自分にかけて誓った。わたしの口から出ることばは正しく、取り消すことはできない。すべてのひざはわたしに向かってかがみ、すべての舌は誓い、わたしについて、『ただ、主にだけ、正義と力がある。』と言う。主に向かっていきりたつ者はみな、主のもとに来て恥じ入る。(14節参照)

 

(イザヤ書 49:6,12,18,20) 主は仰せられる。「ただ、あなたがわたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのとどめられている者たちを帰らせるだけではない。わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」見よ。ある者は遠くから来る。また、ある者は北から西から、また、ある者はシニムの地から来る。」目を上げて、あたりを見回せ。彼らはみな集まって、あなたのところに来る。わたしは生きている。――主の御告げ。――あなたは必ず、彼らをみな飾り物として身につけ、花嫁のように彼らを帯に結ぶ。あなたが子を失って後に生まれた子らが、再びあなたの耳に言おう。『この場所は、私には狭すぎる。私が住めるように、場所をあけてもらいたい。』と。(8,9,11,19,21,22節と60:4参照)

 

(イザヤ書 52:10) 主はすべての国々の目の前に、聖なる御腕を現わした。地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る。

 

(イザヤ書 60:3,8-10) 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。雲のように飛び、巣に帰る鳩のように飛んでくる者は、だれか。まことに、島々はわたしを待ち望み、タルシシュの船は真先に、あなたの子らを遠くから来させ、彼らの金銀もいっしょに、あなたの神、主の名のために、イスラエルの聖なる者のために運んでくる。主があなたを輝かされたからである。外国人もあなたの城壁を建て直し、その王たちもあなたに仕える。実に、わたしは怒って、あなたを打ったが、恵みをもって、あなたをあわれんだ。(4-7,11,16節参照)

 

(イザヤ書 51:4,5,16) わたしの民よ。わたしに心を留めよ。わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。おしえはわたしから出、わたしはわたしの公義を定め、国々の民の光とする。わたしの義は近い。わたしの救いはすでに出ている。わたしの腕は国々の民をさばく。島々はわたしを待ち望み、わたしの腕に拠り頼む。わたしは、わたしのことばをあなたの口に置き、わたしの手の陰にあなたをかばい、天を引き延べ、地の基を定め、「あなたはわたしの民だ。」とシオンに言う。

 

(イザヤ書 55:4,5) 見よ。わたしは彼を諸国の民への証人とし、諸国の民の君主とし、司令官とした。見よ。あなたの知らない国民をあなたが呼び寄せると、あなたを知らなかった国民が、あなたのところに走って来る。これは、あなたの神、主のため、また、あなたを輝かせたイスラエルの聖なる方のためである。

 

(イザヤ書 59:19,20) そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中のそむきの罪を悔い改める者のところに来る。」――主の御告げ。――

 

(イザヤ書 54:1-3) 子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ。」と主は仰せられる。「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。

 

(マタイ 24:14) この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

 

(イザヤ書 66:8,9,18-20,23) だれが、このような事を聞き、だれが、これらの事を見たか。地は一日の陣痛で産み出されようか。国は一瞬にして生まれようか。ところがシオンは、陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ。「わたしが産み出させるようにしながら、産ませないだろうか。」と主は仰せられる。「わたしは産ませる者なのに、胎を閉ざすだろうか。」とあなたの神は仰せられる。「わたしは、彼らのわざと、思い計りとを知っている。わたしは、すべての国々と種族とを集めに来る。彼らは来て、わたしの栄光を見る。わたしは彼らの中にしるしを置き、彼らのうちののがれた者たちを諸国に遣わす。すなわち、タルシシュ、プル、ルデ、メシェク、ロシュ、トバル、ヤワン、遠い島々に。これらはわたしのうわさを聞いたこともなく、わたしの栄光を見たこともない。彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよう。彼らは、すべての国々から、あなたがたの同胞をみな、主への贈り物として、馬、車、かご、騾馬、らくだに乗せて、わたしの聖なる山、エルサレムに連れて来る。」と主は仰せられる。「それはちょうど、イスラエル人がささげ物をきよい器に入れて主の宮に携えて来るのと同じである。毎月の新月の祭りに、毎週の安息日に、すべての人が、わたしの前に礼拝に来る。」と主は仰せられる。

 

(ゼカリヤ書 2:10,11) シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。――主の御告げ。――その日、多くの国々が主につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。あなたは、万軍の主が私をあなたに遣わされたことを知ろう。

 

(ダニエル書 2:44) この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。

 

(ダニエル書 7:13,14,27) 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』

 

(ゼカリヤ書 14:9) 主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。

 

(マタイ 8:11) あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。

 

(アモス書 9:11,12) その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。これは彼らが、エドムの残りの者[使徒の働き 15:17 それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。]と、わたしの名がつけられたすべての国々を手に入れるためだ。――これをなされる主の御告げ。――

 

(イザヤ書 53:10-12) しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。

 

(ヨハネ 12:32) それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。

 

(ゼカリヤ書 6:15) また、遠く離れていた者たちも来て、主の神殿を建て直そう。

 

(イザヤ書 65:17) 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。

 

(マラキ書 1:11) 日の出る所から、その沈む所まで、わたしの名は諸国の民の間であがめられ、すべての場所で、わたしの名のために、きよいささげ物がささげられ、香がたかれる。わたしの名が諸国の民の間であがめられているからだ。――万軍の主は仰せられる。――

 

(ゼカリヤ書 8:21-23) 一つの町の住民は他の町の住民のところへ行き、『さあ、行って、主の恵みを請い、万軍の主を尋ね求めよう。私も行こう。』と言う。多くの国々の民、強い国々がエルサレムで万軍の主を尋ね求め、主の恵みを請うために来よう。」万軍の主はこう仰せられる。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ。』と言う。」

 

(黙示録 11:15) 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」(黙示録 7:9,10;12:10参照)

 

2. 教会の栄光

(黙示録 21:10,11,22-26) そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。

 

(詩篇 45:13) 王の娘は奥にいて栄華を窮め、その衣には黄金が織り合わされている。

 

(イザヤ書 54:11,12) 「苦しめられ、もてあそばれて、慰められなかった女よ。見よ。わたしはあなたの石をアンチモニーでおおい、サファイヤであなたの基を定め、あなたの塔をルビーにし、あなたの門を紅玉にし、あなたの境をすべて宝石にする。

 

(イザヤ書 60:1,2,13,15,19) 起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。レバノンの栄光は、もみの木、すずかけ、桧も、共に、あなたのもとに来て、わたしの聖所を美しくする。わたしは、わたしの足台を尊くする。あなたは捨てられ、憎まれ、通り過ぎる人もなかったが、わたしはあなたを永遠の誇り、代々の喜びの町に変える。太陽がもうあなたの昼の光とはならず、月の輝きもあなたを照らさず、主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。

 

(詩篇 87:3) 神の都よ。あなたについては、すばらしいことが語られている。セラ

 

(イザヤ書 62:2,3) そのとき、国々はあなたの義を見、すべての王があなたの栄光を見る。あなたは、主の口が名づける新しい名で呼ばれよう。あなたは主の手にある輝かしい冠となり、あなたの神の手のひらにある王のかぶり物となる。

 

(詩篇 48:2,12,13) 高嶺の麗しさは、全地の喜び。北の端なるシオンの山は大王の都。シオンを巡り、その回りを歩け。そのやぐらを数えよ。その城壁に心を留めよ。その宮殿を巡り歩け。後の時代に語り伝えるために。

 

3. 光と知識の繁栄と恵みの意味の増し加わり

(イザヤ書 54:13) あなたの子どもたちはみな、主の教えを受け、

 

(ダニエル書 12:4) 多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」

 

(イザヤ書 11:9) わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。

 

(イザヤ書 25:6,7) 万軍の主はこの山の上で万民のために、あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、

 

(イザヤ書 41:18,19) わたしは、裸の丘に川を開き、平地に泉をわかせる。荒野を水のある沢とし、砂漠の地を水の源とする。わたしは荒野の中に杉や、アカシヤ、ミルトス、オリーブの木を植え、荒地にもみの木、すずかけ、桧も共に植える。(イザヤ 35:6-8参照)

 

(イザヤ書 52:7,8) 良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる。」とシオンに言う者の足は。聞け。あなたの見張り人たちが、声を張り上げ、共に喜び歌っている。彼らは、主がシオンに帰られるのを、まのあたりに見るからだ。

 

(イザヤ書 29:18,24) その日、耳しいた者が書物のことばを聞き、盲人の目が暗黒とやみの中から物を見る。心の迷っている者は悟りを得、つぶやく者もおしえを学ぶ。」

 

4. 純潔、神聖さ、義の増し加わり

(イザヤ書 33:5,6) 主はいと高き方で、高い所に住み、シオンを公正と正義で満たされる。あなたの時代は堅く立つ。知恵と知識とが、救いの富である。主を恐れることが、その財宝である。

 

(イザヤ書 60:21) あなたの民はみな正しくなり、とこしえにその地を所有しよう。彼らはわたしの栄光を現わす、わたしの植えた枝。わたしの手で造ったもの。

 

(イザヤ書 4:3,4) シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖と呼ばれるようになる。みなエルサレムでいのちの書にしるされた者である。主が、さばきの霊と焼き尽くす霊によって、シオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めるとき、

 

(黙示録 19:8) 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」

 

(イザヤ書 32:15,16) しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる。公正は荒野に宿り、義は果樹園に住む。

 

(マラキ書 3:3,4) この方は、銀を精練し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、主に、義のささげ物をささげる者となり、ユダとエルサレムのささげ物は、昔の日のように、ずっと前の年のように、主を喜ばせる。

 

(ゼカリヤ書 14:20,21) その日、馬の鈴の上には、「主への聖なるもの」と刻まれ、主の宮の中のなべは、祭壇の前の鉢のようになる。エルサレムとユダのすべてのなべは、万軍の主への聖なるものとなる。いけにえをささげる者はみな来て、その中から取り、それで煮るようになる。その日、万軍の主の宮にはもう商人がいなくなる。

 

(詩篇 72:5) 彼らが、日と月の続くかぎり、代々にわたって、あなたを恐れますように。

 

(イザヤ書 45:8) 「天よ。上から、したたらせよ。雲よ。正義を降らせよ。地よ。開いて救いを実らせよ。正義も共に芽生えさせよ。わたしは主、わたしがこれを創造した。」

 

(イザヤ書 61:11) 地が芽を出し、園が蒔かれた種を芽生えさせるように、神である主が義と賛美とを、すべての国の前に芽生えさせるからだ。

 

(詩篇 85:10,11,13) 恵みとまこととは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。まことは地から生えいで、義は天から見おろしています。義は、主の御前に先立って行き、主の足跡を道とします。

 

5. 平安、愛、そして一致

(イザヤ書 2:4) 主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。

 

(ヨハネ 17:20-23) わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。

 

(イザヤ書 11:6-9,13) 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。エフライムのねたみは去り、ユダに敵する者は断ち切られる。エフライムはユダをねたまず、ユダもエフライムを敵としない。

 

(詩篇 72:3,7) 山々、丘々は義によって、民に平和をもたらしますように。彼の代に正しい者が栄え、月のなくなるときまで、豊かな平和がありますように。

 

(エペソ 4:16) キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

 

6. 教会の敵の服従と破滅

(イザヤ書 27:1) その日、主は、鋭い大きな強い剣で、逃げ惑う蛇レビヤタン、曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、海にいる竜を殺される。

 

(詩篇 110:2,5,6) 主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真中で治めよ。」あなたの右にいます主は御怒りの日に、王たちを打ち砕かれる。主は国々の間をさばき、それらをしかばねで満たし、広い国を治めるかしらを打ち砕かれる。

 

(イザヤ書 59:19) そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。

 

(イザヤ書 11:4) 正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。

 

(イザヤ書 41:11,12) 見よ。あなたに向かっていきりたつ者はみな、恥を見、はずかしめを受け、あなたと争う者たちは、無いもののようになって滅びる。あなたと言い争いをする者を捜しても、あなたは見つけることはできず、あなたと戦う者たちは、全くなくなってしまう。(15,16節参照)

 

(イザヤ書 49:24-26) 奪われた物を勇士から取り戻せようか。罪のないとりこたちを助け出せようか。まことに、主はこう仰せられる。「勇士のとりこは取り戻され、横暴な者に奪われた物も奪い返される。あなたの争う者とわたしは争い、あなたの子らをこのわたしが救う。わたしは、あなたをしいたげる者に、彼ら自身の肉を食らわせる。彼らは甘いぶどう酒に酔うように、自分自身の血に酔う。すべての者が、わたしが主、あなたの救い主、あなたの贖い主、ヤコブの力強き者であることを知る。」

 

(イザヤ書 60:14) あなたを苦しめた者たちの子らは、身をかがめてあなたのところに来、あなたを侮った者どもはみな、あなたの足もとにひれ伏し、あなたを、主の町、イスラエルの聖なる方のシオン、と呼ぶ。

 

反キリスト(バビロンなど)の破滅

(2テサロニケ 2:8) その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。(ダニエル書7:24-26参照)

 

(黙示録 14:9,10) また、第三の、別の御使いも、彼らに続いてやって来て、大声で言った。「もし、だれでも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。

 

(エゼキエル書 26:19,21) まことに、神である主はこう仰せられる。わたしがおまえを廃墟の町とし、住む者のない町々のようにするとき、深淵をおまえの上にわき上がらせ、大水がおまえをおおうとき、わたしはおまえを恐怖とする。おまえはもう存在しなくなり、人がおまえを尋ねても、永久におまえを見つけることはない。――神である主の御告げ。――」

 

(黙示録 18:2) 彼は力強い声で叫んで言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。(18章最後まで参照)

 

(黙示録 19:19,20) また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。

 

(黙示録 20:7-9) しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。(エゼキエル書 38,39参照)

 

  

7. キリストの御国へ王の寵愛と服従

(イザヤ書 52:15) そのように、彼は多くの国々を驚かす。王たちは彼の前で口をつぐむ。彼らは、まだ告げられなかったことを見、まだ聞いたこともないことを悟るからだ。

 

(イザヤ書 49:7,23) イスラエルを贖う、その聖なる方、主は、人にさげすまれている者、民に忌みきらわれている者、支配者たちの奴隷に向かってこう仰せられる。「王たちは見て立ち上がり、首長たちもひれ伏す。主が真実であり、イスラエルの聖なる方があなたを選んだからである。」王たちはあなたの世話をする者となり、王妃たちはあなたのうばとなる。彼らは顔を地につけて、あなたを伏し拝み、あなたの足のちりをなめる。あなたは、わたしが主であることを知る。わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。」

 

(イザヤ書 60:3,10,11,16) 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。外国人もあなたの城壁を建て直し、その王たちもあなたに仕える。実に、わたしは怒って、あなたを打ったが、恵みをもって、あなたをあわれんだ。あなたの門はいつも開かれ、昼も夜も閉じられない。国々の財宝があなたのところに運ばれ、その王たちが導かれて来るためである。あなたは国々の乳を吸い、王たちの乳房を吸う。あなたは、わたしが、あなたを救う主、あなたを贖うヤコブの全能者であることを知る。

 

8. 教会の安定、静穏、繁栄

(イザヤ書 51:3) まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。

 

(イザヤ書 33:20-22) 私たちの祝祭の都、シオンを見よ。あなたの目は、安らかな住まい、取り払われることのない天幕、エルサレムを見る。その鉄のくいはとこしえに抜かれず、その綱は一つも切られない。しかも、そこには威厳のある主が私たちとともにおられる。そこには多くの川があり、広々とした川がある。櫓をこぐ船もそこを通わず、大船もそこを通らない。まことに、主は私たちをさばく方、主は私たちの立法者、主は私たちの王、この方が私たちを救われる。

 

(マタイ 16:18) ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。

 

(イザヤ書 54:14,15,17) あなたは義によって堅く立ち、しいたげから遠ざかれ。恐れることはない。恐れから遠ざかれ。それが近づくことはない。見よ。攻め寄せる者があっても、それはわたしから出たものではない。あなたを攻める者は、あなたによって倒される。あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、さばきの時、あなたを責めたてるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。――主の御告げ。――」

 

(イザヤ書 66:10-12) エルサレムとともに喜べ。すべてこれを愛する者よ。これとともに楽しめ。すべてこれのために悲しむ者よ。これとともに喜び喜べ。主はこう仰せられる。「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、あふれる流れのように国々の富を与える。あなたがたは乳を飲み、わきに抱かれ、ひざの上でかわいがられる。(13,14節参照)

 

(エレミヤ書 33:16) その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの町は、『主は私たちの正義』と名づけられる。」

 

(イザヤ書 27:2,3) その日、麗しいぶどう畑、これについて歌え。わたし、主は、それを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも、それをそこなわないように、夜も昼もこれを見守っている。

 

(ダニエル書 7:27) 国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』

 

(詩篇 102:13,14,16) あなたは立ち上がり、シオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来たからです。まことに、あなたのしもべはシオンの石を愛し、シオンのちりをいつくしみます。なぜなら、主はシオンを建て、その栄光のうちに現われ、

 

(イザヤ書 4:5,6) 主は、シオンの山のすべての場所とその会合の上に、昼は雲、夜は煙と燃える火の輝きを創造される。それはすべての栄光の上に、おおいとなり、仮庵となり、昼は暑さを避ける陰となり、あらしと雨を防ぐ避け所と隠れ家になるからだ。

 

(イザヤ書 65:18,19) だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。

 

9. 教会の永遠の存続

(イザヤ書 66:22) 「わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、――主の御告げ。――あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。

 

(エレミヤ書 31:35-37) 主はこう仰せられる。主は太陽を与えて昼間の光とし、月と星を定めて夜の光とし、海をかき立てて波を騒がせる方、その名は万軍の主。「もし、これらの定めがわたしの前から取り去られるなら、――主の御告げ。――イスラエルの子孫も、絶え、いつまでもわたしの前で、一つの民をなすことはできない。」主はこう仰せられる。「もし、上の天が測られ、下の地の基が探り出されるなら、わたしも、イスラエルのすべての子孫を、彼らの行なったすべての事のために退けよう。――主の御告げ。――(エレミヤ書33:20-22,25,26参照)

 

(マタイ 28:20) また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

 

(ルカ 1:33) 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」

 

(ダニエル書 7:14) この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。

 

(黙示録 11:15) 「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」

 

(ダニエル書 2:44) この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。

 

(イザヤ書 59:21) 「これは、彼らと結ぶわたしの契約である。」と主は仰せられる。「あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない。」と主は仰せられる。

 

10. ユダヤ民族の改宗と立ち返り

(ゼカリヤ書 14:11) そこには人々が住み、もはや絶滅されることはなく、エルサレムは安らかに住む。(章全体を参照)

 

(エゼキエル書 16:60,61) だが、わたしは、あなたの若かった時にあなたと結んだわたしの契約を覚え、あなたととこしえの契約を立てる。わたしが、あなたの姉と妹とを選び取り、あなたとの契約には含まれていないが、わたしが彼女たちをあなたの娘としてあなたに与えるとき、あなたは自分の行ないを思い出し、恥じることになろう。(62,63節参照)

 

(ホセア書 1:10,11) イスラエル人の数は、海の砂のようになり、量ることも数えることもできなくなる。彼らは、「あなたがたはわたしの民ではない。」と言われた所で、「あなたがたは生ける神の子らだ。」と言われるようになる。ユダの人々とイスラエルの人々は、一つに集められ、彼らは、ひとりのかしらを立てて、国々から上って来る。イズレエルの日は大いなるものとなるからである。

 

(エレミヤ書 33:7-9,15,16,24-26) わたしはユダの捕われ人と、イスラエルの捕われ人を帰し、初めのように彼らを建て直す。わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す。この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。」その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を芽生えさせる。彼はこの国に公義と正義を行なう。その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの町は、『主は私たちの正義』と名づけられる。」「あなたは、この民が、『主は選んだ二つの部族を退けた。』と言って話しているのを知らないのか。彼らはわたしの民をもはや一つの民ではないと見なして侮っている。」主はこう仰せられる。「もしわたしが昼と夜とに契約を結ばず、天と地との諸法則をわたしが定めなかったのなら、わたしは、ヤコブの子孫と、わたしのしもべダビデの子孫とを退け、その子孫の中から、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選ばないようなこともあろう。しかし、わたしは彼らの捕われ人を帰らせ、彼らをあわれむ。」(章全体また50:4,5,19,20を読むことを推奨)

 

(ミカ書 2:12,13) ヤコブよ。わたしはあなたをことごとく必ず集める。わたしはイスラエルの残りの者を必ず集める。わたしは彼らを、おりの中の羊のように、牧場の中の群れのように一つに集める。こうして人々のざわめきが起ころう。打ち破る者は、彼らの先頭に立って上って行き、彼らは門を打ち破って進んで行き、そこを出て行く。彼らの王は彼らの前を進み、主が彼らの真先に進まれる。

 

(エゼキエル書 36:11,24-26,33) わたしは、おまえたちの上に人と獣をふやす。彼らはふえ、多くの子を生む。わたしはおまえたちのところに、昔のように人を住まわせる。いや、以前よりも栄えさせる。このとき、おまえたちは、わたしが主であることを知ろう。わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。神である主はこう仰せられる。わたしが、あなたがたをすべての不義からきよめる日に、わたしは町々を人が住めるようにし、廃墟を建て直す。(章全体、また37章を読むことを推奨)

 

(エゼキエル書 20:34,35,37,38,40) わたしは、力強い手と伸ばした腕、注ぎ出る憤りをもって、あなたがたを国々の民の中から連れ出し、その散らされている国々からあなたがたを集める。わたしはあなたがたを国々の民の荒野に連れて行き、そこで、顔と顔とを合わせて、あなたがたをさばく。わたしはまた、あなたがたにむちの下を通らせ、あなたがたと契約を結び、あなたがたのうちから、わたしにそむく反逆者を、えり分ける。わたしは彼らをその寄留している地から連れ出すが、彼らはイスラエルの地にはいることはできない。このとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。わたしの聖なる山、イスラエルの高い山の上で、――神である主の御告げ。――その所で、この地にいるイスラエルの全家はみな、わたしに仕えるからだ。その所で、わたしは彼らを喜んで受け入れ、その所で、あなたがたのすべての聖なる物とともに、あなたがたの奉納物と最上のささげ物を求める。(41,44節参照)

 

(エレミヤ書 32:41) わたしは彼らを幸福にして、彼らをわたしの喜びとし、真実をもって、心を尽くし思いを尽くして、彼らをこの国に植えよう。」(37節から最後まで読むことを推奨)

 

(エゼキエル書 34:23,24,28,29) わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。主であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデはあなたがたの間で君主となる。主であるわたしがこう告げる。彼らは二度と諸国の民のえじきとならず、この国の獣も彼らを食い殺さない。彼らは安心して住み、もう彼らを脅かす者もいない。わたしは、彼らのためにりっぱな植物を生やす。彼らは、二度とその国でききんに会うこともなく、二度と諸国の民の侮辱を受けることもない。(11,16節、また22節から最後までを読むことを推奨)

 

(ホセア書 2:14,15,19) それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。わたしはあなたと永遠に契りを結ぶ。正義と公義と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。(16節から最後まで読むことを推奨)

 

(2コリント 3:15,16) かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。

 

(ゼカリヤ書 2:10,12) シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。――主の御告げ。――主は、聖なる地で、ユダに割り当て地を分け与え、エルサレムを再び選ばれる。」

 

(ミカ書 5:3,4,7,13)(5章全て、4章、7章14,17節とゼカリヤ書3:9から最後まで読むことを推奨)

 

(オバデヤ書 1:17,21) しかし、シオンの山には、のがれた者がいるようになり、そこは聖地となる。ヤコブの家はその領地を所有する。救う者たちは、エサウの山をさばくために、シオンの山に上り、王権は主のものとなる。

 

(ホセア書 3:4,5) それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごすからだ。その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。

 

(ヨエル書 3:1,2,17,20) 見よ。わたしがユダとエルサレムの捕われ人を返す、その日、その時、わたしはすべての国民を集め、彼らをヨシャパテの谷に連れ下り、その所で、彼らがわたしの民、わたしのゆずりの地イスラエルにしたことで彼らをさばく。彼らはわたしの民を諸国の民の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、わたしの聖なる山、シオンに住むことを知ろう。エルサレムは聖地となり、他国人はもう、そこを通らない。だが、ユダは永遠に人の住む所となり、エルサレムは代々にわたって人の住む所となる。(7,14,16,18,21節を読むこと)

 

(ゼカリヤ書 10:6,8,9) わたしはユダの家を強め、ヨセフの家を救う。わたしは彼らを連れ戻す。わたしが彼らをあわれむからだ。彼らは、わたしに捨てられなかった者のようになる。わたしが、彼らの神、主であり、彼らに答えるからだ。わたしは彼らに合図して、彼らを集める。わたしが彼らを贖ったからだ。彼らは以前のように数がふえる。わたしは彼らを国々の民の間にまき散らすが、彼らは遠くの国々でわたしを思い出し、その子らとともに生きながらえて帰って来る。(10章全部を読むこと)

 

 

(ローマ 11:2,12,15,23,24,25-29,32-33) 神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けてしまわれたのではありません。それともあなたがたは、聖書がエリヤに関する個所で言っていることを、知らないのですか。彼はイスラエルを神に訴えてこう言いました。もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。神の賜物と召命とは変わることがありません。なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。

 

(エレミヤ書 31:1,4,10,17,31-33,38) 「その時、――主の御告げ。――わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。」おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。諸国の民よ。主のことばを聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。「イスラエルを散らした者がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守る。」と。あなたの将来には望みがある。――主の御告げ。――あなたの子らは自分の国に帰って来る。見よ。その日が来る。――主の御告げ。――その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。――主の御告げ。――彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ。――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。見よ。その日が来る。――主の御告げ。――その日、この町は、ハナヌエルのやぐらから隅の門まで、主のために建て直される。(31章全体を読むこと)

 

(ゼカリヤ書 12:6,10) その日、わたしは、ユダの首長たちを、たきぎの中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えているたいまつのようにする。彼らは右も左も、回りのすべての国々の民を焼き尽くす。しかし、エルサレムは、エルサレムのもとの所にそのまま残る。わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。(12章全体を読むこと)

 

(アモス書 9:14,15) わたしは、わたしの民イスラエルの捕われ人を帰らせる。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。わたしは彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない。」とあなたの神、主は、仰せられる。

 

(エレミヤ書 30:9,10) 彼らは彼らの神、主と、わたしが彼らのために立てる彼らの王ダビデに仕えよう。わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。――主の御告げ。――イスラエルよ。おののくな。見よ。わたしが、あなたを遠くから、あなたの子孫を捕囚の地から、救うからだ。ヤコブは帰って来て、平穏に安らかに生き、おびえさせる者はだれもいない。(30章の終わりまで読むこと)

 

 キリストの再臨についての約束

-- キリストは再び来られる

(1コリント 4:5) ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。

 

(2テモテ 4:8) 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

 

(1テサロニケ 4:16,17) 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

 

(マタイ 24:42) だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

 

(ヨハネ 14:28) 『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る。』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。

 

(1テサロニケ 1:10) また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです。

 

(ゼカリヤ書 12:10)彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。

 

(コロサイ 3:4) 私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。

 

(ヨブ記 19:25) 私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。

 

(ゼカリヤ書 14:4) その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。

 

(1コリント 11:26) ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。

 

(2テサロニケ 3:5) どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。

 

(マタイ 24:30) 人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

 

(1ヨハネ 3:2) しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。

 

(1ペテロ 5:4) そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。

 

(黙示録 1:7) 見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。

 

(マルコ 14:62) 人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」

 

(2テサロニケ 1:7) 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。

 

(ヨハネ 14:3) わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

 

(マタイ 24:27) 人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。

 

(2テトス 2:13) 祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。

 

(使徒の働き 1:11) あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

 

(マタイ 16:27) 人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。

 

(マタイ 25:31) 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。

 

(使徒の働き 3:20,21) あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。

 

(へブル 9:28) キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

 

(黙示録 22:12,20) 「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。アーメン。主イエスよ、来てください。

 

(1テサロニケ 3:13) また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。

 

(1コリント 1:7,8) その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。

 

(ダニエル書 7:13,14) 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られた。この方に、主権と光栄と国が与えられた。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。

 

(ピリピ 3:20,21) けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

 

(2ペテロ 3:3,4,10) まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。

 

結論

神はすべての約束を果たす

(申命記 7:9) あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られる

 

(詩篇 119:89,90,160) 主よ。あなたのことばは、とこしえから、天において定まっています。あなたの真実は代々に至ります。みことばのすべてはまことです。

 

 

(民数記 23:19) 神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。

 

(へブル 6:18) それは、変えることのできない二つの事がらによって、――神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません。――前に置かれている望みを捕えるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。

 

(詩篇 18:30) 主のみことばは純粋。

 

(へブル 10:23) 約束された方は真実な方です

 

(イザヤ書 25:1) あなたは遠い昔からの不思議なご計画を、まことに、忠実に成し遂げられました。

 

(詩篇 89:34) わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから出たことを、わたしは変えない。

 

(イザヤ書 46:11) わたしが語ると、すぐそれを行ない、わたしが計ると、すぐそれをする。

 

(詩篇 105:8) 主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。お命じになったみことばは千代にも及ぶ。

 

(ヨシュア記 23:14) 見よ。きょう、私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。あなたがたは、心を尽くし、精神を尽くして知らなければならない。あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束したすべての良いことが一つもたがわなかったことを。それは、一つもたがわず、みな、あなたがたのために実現した。(1列王記 8:56も読むこと)

 

(イザヤ書 54:10) たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」とあなたをあわれむ主は仰せられる。

 

(2テモテ 2:13) 私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」

 

(2ペテロ 3:9) 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。

 

(ローマ 4:21) 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

 

(2コリント 1:20) 神の約束はことごとく、この方において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。

 

(テトス 1:2) それは、偽ることのない神が、永遠の昔から約束してくださった永遠のいのちの望みに基づくことです。

 

(1サムエル記 15:29) 実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔いることもない。この方は人間ではないので、悔いることがない。」

 

(申命記 4:31) あなたの神、主は、あわれみ深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、あなたの先祖たちに誓った契約を忘れない。

 

(詩篇 9:10) 御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。

 

(2ペテロ 1:4) その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。