哲学的弁証学
キリスト教が始まった第一世紀のギリシャ文化の背景があることから、当然のこと、哲学的な弁証学は昔から続いている一つの流れになります。英語だと、この歴史を認識し、「Classical Apologetics」と呼ぶことが一般的です。多くの教父たちの書き残したものも哲学的な要素が多く入っているし、新約聖書にあるパウロの手紙もその要素があります。もっと言うと、旧約聖書のソロモンが書いた伝道者の書も、哲学的な視点から見た、合理的な信仰のための議論とも言えます。
一般啓示
聖書が教えていることは、どの人でも、心の奥底に神様について分かっています。この事を一般啓示と言います。
19:1 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。19:2 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。19:3 話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。19:4 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。19:5 太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。19:6 その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。その熱を、免れるものは何もない。
ー詩篇19:1-6
原因の原則
私達が考えられる原因なしにあるもの、起こることが一つもありません。目の前にボールがあるとすれば、それは誰かが作って、また何かの一連の出来事ないことにそこにはありません。全宇宙についても、同じことが言えます。ライプニッツはこう言いました。「まず問わないといけない質問とは、なぜ無でなく有が存在するのでしょうか?」その答えは神様の存在にしかありません。
①存在するものすべては原因があります。
②すべての存在しているものの原因があるとすれば、その原因は神様です。
③すべてが存在している。
④ゆえに神様が存在します。
全宇宙(地球)のチューニング
宇宙は細かく固定されている数値(物理定数)によってできています。その一つが微妙にでもずれていたら、命が存在できる宇宙ではありませんでした。このチューニングの説明として、三つ取り挙げられます。
①必要性
②幸運
③デザイン
でも、数値がその数値であることの必要はありません。また、運でたまたまこの数値のすべてがここまで細かい設定に自然と落ちた可能性はあり得ません。最も有力的な説明は、デザインです。設計者ないことにはデザインされません。
単純化できない構造
このチューニングは物理学のことだけではなく、DNAや細胞内のタンパク質の動きなどの生物化学の分野でも見受けられます。生物学において、これは「単純化できない複雑な構造」と言います。その例として、ATP合成酵素、キネシン、DNAからタンパク質の作られるプロセスなどは単純化できない構造と言われたいます。(必要なら下の動画を見る時、日本語字幕を付けてください。)
普遍的道徳性
国や文化によって、善悪の細かい定義がないにしろ、誰も世界中で善悪の定義がつく普遍的道徳性があります。この客観的な道徳性の説明は、神様がいなければ説明しにくいものです。神様の良さは客観的に完全な基準を示していますので、客観的な善悪が分かります。逆に神様がいなかったら、ただの人によるものなら、主観的な道徳性になります。しかし、どんな人でも「不公平だ!」と言ったところで客観的な善悪はあると認めるので、心の奥底に神様がいることが分かっています。
神学を哲学で弁証
よみがえりに関する証拠
また、イエスの墓に体が残らなかった証拠はたくさんあります。(女性の証言、タルムードの記録、墓を守る決断、フレゴンが突然の暗さと地震を記録、ヨセフス)
聖書預言の実現
去年も、ダニエルの預言、マタイにある預言などが、はっきり歴史的に実現されたことを見てきました。マタイの福音書や聖書以外の書物から、イエスが旧約聖書の預言を実現したことが歴史的な客観的な真実です。その一部のリストについて、こちらのリンクをご覧になってください。
パウロの回心
未信者にとって新約聖書の大きなミステリーは、使徒パウロの回心です。。。そのパウロが記録を残した教会の第一番の信条。1コリント15書
15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、
①聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
15:4 ②また、葬られたこと、
①また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、15:5 ①また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
15:6 ②その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。
(その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。)
15:7 ①その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。
15:8 (そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。)
哲学的弁証学の弱点
哲学的弁証学は根本的なところに、宣教の方法としていくつか弱点があります。このことについて一緒に考えましょう。。。
質問
①一般啓示について述べてください。
②哲学的に福音の弁証を述べてください。
③パスカルの賭けを説明してください。