03: 聖書緒論

聖書緒論

 

1、 聖書の霊感とは何か。

 

  聖書は預言的に聖霊の啓示によって書かれていて、まさに神の言葉であることを表しています。

 

2、 聖書の霊感について最も重要であると思われる聖書の箇所を三つ挙げて、説明せよ。

 

2ペテロ1:21なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。

2テモテ3:16-17聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。

マタイ5:17-18 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます

 

思いついたもの、考え出したものではなく、神様が書き記す人を導き、啓示を与えました。それを受けた人は誤りなく、書き記しました。そのゆえ、無謬で権威あるものと言えます。

 

3、 誤った霊感説を挙げ、どこが誤っているか説明せよ。

 

人間が書きながら、聖霊は神学的にだけ誤らないように守ったという説があります。これは一つの部分的な霊感説とも言えます。しかし、これでしたら、ある箇所は人間の言葉で、権威ある神様の言葉ではなく、参考程度にしてもいいということになります。

 

4、 へプル語聖書(旧約聖書)の三大区分、及び小区分とその冊数を記せ。

 

律法(モーセ5書)

預言者(ヨシュア、士師記、サムエル、列王記、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、12小預言者)

諸書(詩(詩篇、箴言、ヨブ)、5巻物(雅歌、ルツ、哀歌、伝道の書、エステル)その他(ダニエル、エズラ、ネヘミヤ、歴代誌))

 

5、 新約聖書が正典として認められた理由は何か。

 

使徒たちの神的な権威と聖霊によって語られたことが認められました。

 

6、 外典が正典から除外される理由は何か。

 

聖人の名乗りながらの偽作で、宗教的な価値がなく、正統的キリスト教を惑わす内容が含まれています。

 

7、 新約聖書にコイネーのギリシャ語が使われた理由は何か。

 

一般的な言語だっただけではなく、ギリシャ語の特徴が神学的に聖書の意味を表すのに適切であります。

 

8、 へプル語旧約聖書全巻を含む最古の写本の年代は何世紀か。

 

レニングラード写本は1008年に作成されていたとされています。

 

9、 主な古代訳について説明せよ。

 

旧約聖書においては、ギリシャ語の七十人訳、アラム語のタルグム、スリヤ語のペシタ、ラテン語のヴルガータ。新約聖書においては、スリヤ語のペシタ、ラテン語のヴルガータ、エジプト語のコプト訳。これらの古代訳は2千年後という文化的、時期的な距離より著者に近いので、元文の解釈に役立ちます。

 

10主な近代訳について説明せよ。

 

 英語圏ではジェームス王訳(KJV・欽定訳)英語圏において何百年にわたって愛用されたバージョンです。ある教会では1900年代の半ばまででも、KJVとその改訂版以外の訳を受け入れないほどです。しかし、あまりにも言葉のニュアンスが変わって来た中でNIVが普及するとともに、ほかの訳の数が爆発的に増えている現状です。

日本においては今でも使われることがある訳は口語訳から始め、その後にできた新改訳と新共同訳は広く使われています。現在は多種多様な翻訳方針の影響もあり、パラフレーズのリビングバイブルやダイナミックエクイバレンスの現代訳もあります。

 

11、モーセ五書の著者問題について述べよ。

 

伝統的にモーセはモーセ5書の著者とされていますが、部分的に難しいところもあります。申命記の終幕はモーセの死と葬られたことについて書いてあります。創世記12:6は将来にカナン人がイスラエルからいなくなることを意味しますが、モーセが生きていた時はまだいたはずです。しかし、ヨハネ5:46-47などに、イエスはモーセが少なくともある分を書いたといっています。例えば、全体の内容について、人間の著者を一人と特定ができなくても、霊感による神の誤りのない言葉だと信じることができます。

 

12、創世記の神名について記せ。

 

1章では「神」。2~3章は「神である主」。4章は「主」。5章は「神」。6章は「主」から初め、9節以降「神」。7章は「主」。まとまった使い分けは目立ちます。この違いについて、「神」は創造主、全力であることを強調していますが、「主」は契約の主ということを強調しています。

 

13、創世記の「日」の解釈について述べよ。

 

「יוֹם」という単語は聖書の中で、さまざまの使い方があります。24時間の期間を指すほか、明るい訳12時間、一年間、季節、永遠などを指すこともあります。聖書の中で近い箇所の例を挙げると創世記2:4に「יוֹם」を用いて創造の一週間全体をさします。そのゆえ、文字の通りの解釈を信じるにしても、正確な創造期間が議論され続けています。

 

14、出エジプト記の年代について記せ。

 

紀元前15世紀早期説と紀元前13世紀の後期説があります。出エジプト記には、パロの名前など時代に対する決定的な証明する表記はありませんので、議論されています。

 

15、イザヤ書の統一性について説明せよ。

 

多くの学者によると、3つの時代で、3つ違う編集者によって、イザヤ書ができたと説明しています。その区分は1~39章、40~54章、55~66章になります。しかし、中に含まれている内容と外部の証拠で統一の書物を論じることもできます。書き方が変わったりするのも、どの人間においてもあり得るものですので、内容に合わせているというように説明できます。

 

16、ダニエル書の著作年代について記せ。

 

「ギリシャ」の名前が出てくるので、ダニエルが生きていた時代の後になると思われています。しかし、正確に詳細まで預言するものは他にもありました。また、考古学者によると書き方からすればダニエルが書いたことも論じることができます。

 

17、サムエル記Ⅰ・13:1「サウルは30歳で王位に着き、12年間イスラエルを治めた」とあるが

初代教会13:21にはサウルの治世は40年、と記されている。

サムエル記1・13:1にはなぜ「12年」と書かれているのか。

 

LXXのギリシャ語では、30歳+12年間になっていますが、へブライ語を読むと1年、2年となっています。

Westminster Leningrad Codex: בֶּן־שָׁנָ֖ה שָׁא֣וּל בְּמָלְכֹ֑ו וּשְׁתֵּ֣י שָׁנִ֔ים מָלַ֖ךְ עַל־יִשְׂרָאֵֽל׃

新共同訳などが、これについて下記のように訳します。

新共同訳: サウルは王となって一年でイスラエル全体の王となり、二年たったとき、

スリヤ語のペシタはこの点で21歳として、また別の年齢が記載されています。英語の翻訳の一部(NAB, NRSV)はこのような、不統一に対して、この数字を「…」と表記します。

 

18、サムエル記Ⅱ 14:1新改訳聖書では、「ダビデがアブシャロムに敵意を抱いている」と訳し

ているのに対し、共同訳は「好意をいだいている」と訳している。これには、どのような理由が

あるのか。

 

וַיֵּ֖דַע יֹואָ֣ב בֶּן־צְרֻיָ֑ה כִּֽי־לֵ֥ב הַמֶּ֖לֶךְ עַל־אַבְשָׁלֹֽום׃

直訳:その王の心はアブシャロムに

この「心が〇〇に」の表現の意味が複数あるので、訳が違ってきます。文脈的には敵意適切と思われます。

 

19、「呪いの詩篇」は、どのように理解したらよいか。

 

祈るときには正直に私たちの気持ちを神様の前に表さなければなりません。

 

20、ブルトマンが「史的イエス」と「信仰のキリスト」を分離した理由について述べよ。

 

考古学者の学術を利用して、言われる信仰のキリストは神話に過ぎないとし、史的イエスを考え直すことをしようとしました。しかし、信仰のキリストこそ、史的であることが重要な事実です。歴史的な証拠をみても、信仰のキリストはきちんといました。神話化された前提が間違いです。

 

21、マタイの「系図」とルカの「系図」の関係について記せ。

 

マタイの系図は王家の系図と言われていて、ヨセフにつながります。ルカの系図は祭司の系図と言われていて、マリヤにつながります。

 

22、マタイ1:18以下、マリヤとヨセフは婚約中であるのに、なぜ「夫」「妻」と呼ばれているの

か。

 

当時のユダヤ教の結婚は2段階にされたものでした。第1段階は現代の婚約のような状態です。この期間中に別々で暮らし、夫は家を準備します。準備が完成したら、第2段階として妻を迎えます。しかしながら、第1段階の時点から夫と妻として約束されて、法律上でもそうであることが認められました。

 

23、ユダヤ教の立場では、マタイ1章のマリヤが処女であったという記述は、70人訳の誤訳から生じたものであると言われているが、そのことについて述べよ。

 

イザヤ7:14にある「少女」の意味を持つヘブライ語の言葉を、ギリシャ語に訳した時、乙女の意味を持つ言葉に変えたといわれています。マタイの福音書の時に同じ乙女の言葉が使われています。超自然的な産まれ方は、イエスが来た目的をなすために必要不可欠でした。

 

24、マタイ2:2と2:9の明るい星は自然現象か、それとも超自然の現象なのか。

 

納得できる自然現象の説もありますが、はっきりと細かく導き、場所に止まったとされる点において、超自然的な現象と思われます。

 

25、マタイ5:43「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。旧約聖書には「自分の敵を憎め」という

言葉は無いのに、どうしてこのように書かれているのか。

 

「あなた方は聞いていると書いてある通り」と言い、「旧約聖書に書いてあるとおり」と言いませんでした。律法学者はこの箇所について、「隣人」はユダヤ人に限りもので、ほかの人は憎んでいいという説明がされていました。

 

26、マルコ16:9~20(ヨハネ7:53~8:11、マタイ6:13、ヨハネ5:4、使8:37)

これらの箇所はどういう意味か。

 

最も古くて信頼されている写本にない箇所なので、後で追加されていたとされている箇所です。追加になったゆえ、その霊感が問われますが、聖書に残していることからしては一般的にはプロテスタントの教会は、この霊感を受け入れられています。

 

27、マルコの福音書において、アラム語が出てくるが、どうしてか。

 

ガリラヤ湖の近辺ではアラム語が使われて、イエス様とペテロなどの弟子の母国語でしたからです。また、マルコがペテロの視点から書いたとされていますので、ガリラヤ地域の言葉を使いました。

 

28、ヨハネの福音書の著者は誰か。ここで使われている時間は、ユダヤの時間か、ローマの時間か。

 

ヨハネの名前のある人物は多くありますので、使徒ヨハネと別に宣教士のヨハネなど、別の人物がいたと主張する人がいます。この中で、ヨハネの名前が使われないので、使徒ヨハネによって書かれていると思います。ヨハネはローマの時間を使っていたと思われます。

 

29、ヨハネの福音書5:1の「祭り」は何の祭りか。13章の洗足は礼典なのか。

 

過ぎ越しの祭りと思われています。洗足は一般的なキリスト教の礼典になりませんでした。しかし、イエスの例に従って、愛し合って、奴隷的に仕えあうことを実行しています。

 

30、使徒の働き1:15~26の12使徒の補充は間違っていたのか。

 

まだ聖霊を受け入れていなかった弟子たちが旧約聖書のウリムとトンミムのように神様の御心を知ろうとしていたといえます。特に間違っていたと思いませんが、現在では聖霊を受けているクリスチャンは聖霊に頼るべきです。

 

31、使徒の働き5:1~10のアナニアとサッピラの事件を、どう理解したらよいのか。

 

信者と言いながら、心と行為は福音によって変えられませんでした。バルナバにあった、人間と神からの好意と油注ぎを妬み、形だけを取ろうとしたことから、全能で全知の神様を信じていなかったことが分かります。尾山先生の説だと経綸の入れ替わりつつの旧約経綸の出来事と説明してくださいました。

 

32、使徒の働き8:4・・・・なぜ迫害の中で宣教できたのか。

 

弟子としての教えに加えて、訓練を受けていましたでしょう。

 

33、使徒の働き9:1~2で、サウロはなぜクリスチャンを迫害したのか。

 

人間にすぎないが神と名乗っていたイエスを信じていた、その弟子も申命記13:1~5のような偽預言者と思っていたので、殺すことがモーセの律法的に合法で義務としていました。

 

34、使徒の働き11:15での聖霊のバプテスマについてどのように理解するか。

 

第二の恵みとして聖霊のバプテスマによって賜物が与えられ、奉仕のために力が備えられることになります。

 

35、使徒の働き14:23と、テモテⅠ・3:6との整合性について述べよ。

 

「彼らのために教会ごとに長老たちを選び」とありますが、「彼らのために」とは「彼らの中から、新しく信じた人」に限らないで、前から一緒に旅していた人かもしれませんし、ペンテコステの日にエルサレムにいた人かもしれません。

 

36、使徒の働き15:20,29・・・エルサレム会議ではなぜこのことを付け加えているのか。

信仰のみによる救いとは矛盾しないのか。

 

これらの律法はモーセによってユダヤ人に与えるよりも前、ノアとその子供、すなわち全人類に与えられた永遠なものと考えられていたからです。これにより救われるのではなく、他人をつまずかないための愛の表れです。また、イエスが律法をなくしたわけではなく、私たちがイエスに似ていく中で、私たちが自分や他人に害を加えないために神様が愛をもって与えられた原則に従っていける恵みも与えられます。罪の奴隷でも、ルールの奴隷でもなく、御霊によって生まれ変わり、心の一新によって御霊の道に歩んで、御霊の実を結ぶものは、肉の欲望に従いません。

 

37、使徒の働き16:37・・・パウロはなぜ後になって、ローマの市民権を主張しているのか。

 

ピリピの教会が法的に迫害から守られるため、主張したと思われます。

 

38、使徒の働き19:1~6・・・この箇所をどのように解釈するのか。

 

聖霊を受けたかを聞くパウロの姿から、ヨハネの悔い改めのための洗礼しか受けていなかったことで聖霊の実を結ぶ生活していなかったことが分かります。イエスの名によって洗礼を受けなかった人達は罪の悔い改めだけではなく、聖霊を受けて、新しいクリスチャンとして生き方が変わります。

 

39、コリントⅡ 12:1~10・・・「肉体のとげ」とは何か。「幻」とは何のことか。

 

幻は超自然的に目で見えたものです。パウロの肉体のとげははっきりしていないが、おそらく、罪の誘惑でなく、病などのような身体の弱さと思われます。

 

40、コリントⅡ 13:1・・・「3度目の訪問」と言っているが、いつ2度目の訪問をしているの

か。

 

AD55年前後と思われています。この旅について、1コリント16:6~8にも書かれています。

 

41、ガラテヤ人の手紙の宛先(北ガラテヤ説と南ガラテヤ説)について述べよ。

 

伝統的に、ガラテヤの北の地方あてに書かれていますが、聖書的には、パウロが南ガラテヤにしか行っていませんでした。ほかの考古学、言語的などの証拠も南を指すものが多くあります。

 

42、ガラテヤの教会に侵入した異端はどういうものか。

 

恵みではなく、律法に生きること、特に割礼されないと救われないという異教的な教えを持っていました。

 

43、ガラテヤ人への手紙2:3・・・テトスは割礼を受けたのか。

 

強制的に受けさせていないと書かれていますが、はっきりと受けていないとは書かれていません。反対に割礼について、たくさん書いたことや、「強いられていない」という言葉から、テトスは受けていたけど、その受け方は自発的で、その割礼は救いに関係はないことを説明しないと行けなかったではないかと思われます。

 

44、エペソ人への手紙は回状なのか。

 

ラオディキアなど、その地方全体に対して書かれていた回状と思われています。

 

45、ヨハネの黙示録の解釈について述べよ。

 

1世紀に起こったことを象徴的に表している解釈や、歴史的な流れを示している解約、将来に起こることを示している解釈などもありますが、まず1章1節にある「イエス・キリストの黙示」であることから、なによりも黙示録はイエスキリストについての啓示だと思います。1章の中でも、イエスについての名前と特徴的な表現がたくさんあります。そういう意味で黙示録の中でイエスキリストをあらゆる面で見ることができます。そのため、たとえば、中にでてくる出来事のタイミングが分からなくても、現在の私たちにとっても意味のあるものだと思います。

まず2章~3章の教会への手紙は直接さしていた1世紀の当時の教会へのものだと思いますが、その教えについても直接に指していない現在の教会にも適応できる変わらない注意と真理はあります。(旧約聖書のイスラエルにあった教えと出来事も直接現代の教会をささないけど学んで適応できるものがたくさんあると同じように)

また、4章から20章まで出てくる封印、ラッパ、器などから、神様はタイミングを知らせたいというより、神の敵が滅ぼされるという確実な計画はあり、敵が滅ぼされる時に生きているイエスを信じるものは必ず救われることだと思います。もしそのタイミングをもっとはっきり教えたかったのであれば、それを示すことができました。

21章以降は永遠の状態、新しい天地についての約束を示しますが、その詳細に関しても象徴的に表していると考えられます。